きょうは朝刊を時間をかけてじっくり読んで
5月29日付け神奈川新聞より
保存版ページは
見開き両面A~Dページ
Aページは清水ケ丘より日ノ出町方面を臨んで
暮らした街が焼かれた風景を
高台からみつめる少年、少女たち
Dページは清水ケ丘より根岸方面を臨んだ風景
80年前
横浜大空襲後に横浜市南区から見た山手、根岸方面
高架は現在の京急線
左が黄金町駅、南が南太田方面
裏面BCページには
この風景を体験したひとたちの言葉
朝食前に朝刊を読んだひとは
戦時中だから防空壕で生まれて
誕生1ヵ月ちょっとで
この風景は記憶されていないようだけど
その年の8月
ようやく戦争は終わって
アメリカ軍のしたこと
日本軍のしたことも
きちんと記憶に刻んで
朝刊の一面の照明灯にも
当時は新聞も国策に従い国民を煽って
戦争に加担したことへの反省の文字も
戦時中は
横浜公園近くのダンスホールが
社屋として利用されていて全焼して
活版印刷で刷った号外だけは
発行できたよう
「今回の戦災は勝つための試練」
まだ国を信じた言葉、、、
あれから80年
国がポイントまでつけて
推奨するものもあったり
何かを決断するとき
反対するのは想像力
昔も今もかわらない