2011年は、
震災を通して
松田直樹の死を通して
そして我が子の誕生を通して
命の尊さ、重みを痛感した年だった。
沢山の出会いと別れ、
たくさん泣いて笑って、
私は、この2011年を一生忘れない。感謝の気持ちでいっぱい。
松田が逝った四ヶ月後の11月4日に生まれた紗慈の側には、
なぜか松田が一緒にいてくれている気がしてならない。
亡くなってからお葬式の日まで毎日の様に夢に出て来た松田、
そして最後に出て来た夢の中で形見をくれと頼んだら
も~ないな~?ない!ない!と笑ってそれ以来パタりと出て来なくなった。
そして、久しぶりに出て来たと思ったら
まるでその日を知らせに来たかの様に四十九日の前日だった。
そして、紗慈を生んだ日の夜。。。
誰もいない真っ暗な病室で泣きながら目が覚めた。
おめでとうを言いに来てくれたのか、四十九日以来の事だった。
うちの居間には、あの日以来ずっと3番のユニフォームが
カーテンレールにかけてある。
居間でおっぱいをあげていると不思議と紗慈は、そのユニフォームばかり見てる。
さんのお気に入りのスケボーの板や、
他に目に入るものだってあるのに、いつも3番を見てるんだ。
あれから毎月4日が来る度に松田は、この世を去ってからの月日を重ねて
そして4日が来る度に紗慈は、この世に生を受けてからの月日を重ねる。
これからも永遠に松田と紗慈は、そうやってリンクしながら生きて行くんだ。。。
って、さんも言ってた。
車の中でこの曲が流れる度に
相変わらず今も涙が溢れて来る。
そして、今もまだなんで逝ってしまったのか意味も分からないまま。。。
でも、これだけは言える。揺るぎない自信がある。
本当にいつも側にいてくれてる気がするって。。。
これは私だけじゃなくって、松田を想う人全てが口を揃えて言ってる。
だから、紗慈が3番のユニフォーム見る度に
「また松田来てるの?」って思うんだ
そして、やっぱり。嘘みたいに年末の挨拶をしに
紗慈誕生の夜以来、昨夜も来てくれた。
ありがとう松田。ありがとう2011年。
本当に忘れない。そんな年。
震災を通して
松田直樹の死を通して
そして我が子の誕生を通して
命の尊さ、重みを痛感した年だった。
沢山の出会いと別れ、
たくさん泣いて笑って、
私は、この2011年を一生忘れない。感謝の気持ちでいっぱい。
松田が逝った四ヶ月後の11月4日に生まれた紗慈の側には、
なぜか松田が一緒にいてくれている気がしてならない。
亡くなってからお葬式の日まで毎日の様に夢に出て来た松田、
そして最後に出て来た夢の中で形見をくれと頼んだら
も~ないな~?ない!ない!と笑ってそれ以来パタりと出て来なくなった。
そして、久しぶりに出て来たと思ったら
まるでその日を知らせに来たかの様に四十九日の前日だった。
そして、紗慈を生んだ日の夜。。。
誰もいない真っ暗な病室で泣きながら目が覚めた。
おめでとうを言いに来てくれたのか、四十九日以来の事だった。
うちの居間には、あの日以来ずっと3番のユニフォームが
カーテンレールにかけてある。
居間でおっぱいをあげていると不思議と紗慈は、そのユニフォームばかり見てる。
さんのお気に入りのスケボーの板や、
他に目に入るものだってあるのに、いつも3番を見てるんだ。
あれから毎月4日が来る度に松田は、この世を去ってからの月日を重ねて
そして4日が来る度に紗慈は、この世に生を受けてからの月日を重ねる。
これからも永遠に松田と紗慈は、そうやってリンクしながら生きて行くんだ。。。
って、さんも言ってた。
車の中でこの曲が流れる度に
相変わらず今も涙が溢れて来る。
そして、今もまだなんで逝ってしまったのか意味も分からないまま。。。
でも、これだけは言える。揺るぎない自信がある。
本当にいつも側にいてくれてる気がするって。。。
これは私だけじゃなくって、松田を想う人全てが口を揃えて言ってる。
だから、紗慈が3番のユニフォーム見る度に
「また松田来てるの?」って思うんだ
そして、やっぱり。嘘みたいに年末の挨拶をしに
紗慈誕生の夜以来、昨夜も来てくれた。
ありがとう松田。ありがとう2011年。
本当に忘れない。そんな年。