近畿旅客鉄道 佐倉線

明日の鉄道員を夢見る男の物語

海を走った新幹線!?〜その正体とは

2013年07月13日 | 5番線「気になる○○○…」

今日は鉄道とは関係がある様で関係無い話題です

さて皆さんは「海の新幹線」といった台詞を何処かで聞いたことはありませんか。
恐らく殆どの方はまず聞いたことが無いはずです。

当然です。常識的に考えて新幹線が軌道上以外を走行することは絶対に有り得ません。
にもかかわらず何故、こんな言葉が自然に生まれたのでしょうか。
その答えはかつて宇野駅と高松駅間を結んでいた宇高連絡船の中にありました。


かつて瀬戸大橋が開通するまでの間、四国と本州の移動は海路が一般的でした。
この区間はJR四国が宇高連絡船として旅客営業を行っていました。

さて宇高連絡船は青函連絡船と異なり、運行便に普通、急行の区別が存在しました。

そして急行に主に充当されていたのが、水陸両用の乗り物であったホバークラフトです。
(画像はWikipediaより引用しています。)

このホバー便(急行)は一般便の約1/3の所要時間である約23分で宇高間を結んでいました。
また一般船を遥かに上回る時速80km/h運航もあり、利用者の間で「海の新幹線」の愛称を定着させました。
そして時には後続のホバー便が先発の一般便を海上で追い越す光景もあり、面白い存在でした。


ただ宇高連絡船の廃止から22年後の今、なぜホバー便はそれほど浸透しなかったのか。
実は急行便で運用される機体は、必ずしもホバークラフトだけではありませんでした。

そうです。多客期の臨時便や全般検査の際は、高速艇を使用する場合もあったのです。

この高速艇は宇高間を約27分で結んでいた為、両者の所要時間は実質ほぼゼロに等しいと言えます。
(画像はWikipediaより引用しています。)

また高速艇と比較して、燃費が悪い上に混雑時でも詰め込みが出来ない等、数多くの問題点が存在しました。
従って瀬戸大橋線の開通後はその役目を高速艇に託す形で、活躍の場を離れることになりました。
(高速艇の運航は、瀬戸大橋の開通後も暫く行われていました。)

今日は以上です。


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