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ネルソン・マンデラ氏釈放された日

1990年・・日本では平成 2年のお話です。
反人種差別運動の象徴的存在である、南アフリカ黒人運動指導者のネルソン・マンデラ氏釈放された日。なんと1962年に逮捕され、国家反逆罪で終身刑の判決を受けてから・・・28年ぶりの釈放された日ですが!!
マンデラさん!!ほんまにスゴイ人・・・すごい人生でした(^^)/
ちょっとだけ!!知ってるつもり・・・
力強く歩いた人生・・・でもそれは壮絶な戦いでした。アパルトヘイトは、アフリカーンス語で分離、隔離の意味を持つ言葉だそうです。特に南アフリカ共和国における白人と非白人(黒人、インド、パキスタン、マレーシアなどからのアジア系住民、カラードとよばれる混血民)を規定する人種隔離政策( `ー´)ノ。
マンデラ氏は若くして反アパルトヘイト運動に身を投じます・・・・1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受ける。なんと27年間に及ぶ獄中生活の後・・・1990年に釈放。アパルトヘイト撤廃に尽力して1993年にノーベル平和賞を受賞しました。1994年、南アフリカ初の全人種参加選挙を経て大統領に就任します。民族和解・協調政策を進めました。
実に27年半、約1万日に及ぶ投獄にも屈することなく、残酷な人種差別と戦い抜いた人。彼は獄中の生活を一時間が一年のようでしたと語っている。
通常であれば、無期刑などで刑務所に入れられれば夢も希望もなくなります。しかし、マンデラ氏は刑務所にいる・・・白人の看守達を偏見のない人達、自分の味方、仲間に変えることができるのであれば、南アフリカ中の白人を変えることができる!と思い・・・刑務所を一つの修行の場のように考えたそうなのです。すごい・・・実際に、マンデラさんは少しずつ白人看守のの友人達を増やしし、刑務所の中の環境も少しずつ変えることに成功していく。
彼がなんで、そんないばらの道をえらんだのか?それは!幼いのころ、黒人は白人よりも劣っていると繰り返し教え込まれた・・・。社会の仕組みが、もともとそうなっているのだから仕方がない( `ー´)ノ社会には、無力感とあきらめが蔓延していた。しかし、その気持ちを打ち破る事件が起こった。卒業前のある日、黒人の詩人が学校を訪れてスピーチをした。その詩人は、校長をはじめ多くの白人が並ぶ前で、毅然と叫んだ。余りにも長い間、我々は、白人がもたらした誤った偶像を崇拝しそれらに屈服してきた。しかし、今や、我々は立ち上がり、こうした考えを捨て去るのだ・・・・。 マンデラ青年は、驚いた。そんな勇気ある声を発する人など、当時はだれもいなかった。人間は誰人たりとも、平等であり、尊厳である!という不滅の信念の光が彼の胸に輝きわたった。その光を抱きしめ、大闘争の人生が始まる・・・。
インビクタス&奄ッざる者たち・私を覆う漆黒の夜
鉄格子にひそむ奈落の闇
私はあらゆる神に感謝します
我が魂が征服されないことを
無惨な状況においてさえ
私はひるみも、叫びもしなかった
運命に打ちのめされても、血を流しても
決して屈服はしない激しい怒りと涙の彼方に、恐ろしい死が浮かび上がる
だが長きにわたって、そんな脅しを受けても
私は何ひとつ恐れはしない
門がいかに狭かろうと
いかなる罰に苦しめられようと
私が我が運命の支配者
私が我が魂の指揮官なのだ
自分が自分の運命の支配者であり・・・支配しようとしてくる人間や環境に絶対に負けない!そんな強い意志が世界を変えたのですね!
すごい・・・
いまだに堂々と行われている人種間の差別・・・誰が上で誰が下で・・・
そんな時代は終わりにしないと・・・・
 

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