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徳川吉宗が重用した学者、青木昆陽はサツマイモを植えさせたことで知られます。
やせた土地でも育つサツマイモは荒れ地に植えて、飢饉に備えることが出来ると考えたのです。
原種は中央アメリカらしいのですが、大航海時代の行き来によって、中国にもたらされたものが、琉球~薩摩(鹿児島)に伝わりました。それを徳川吉宗の命で、江戸小石川で育て、各地へ広がったとされます。
青木昆陽は江戸の魚屋の子として生まれますが、もとは蒲生氏の一族と伝えています。蒲生氏郷の一族は江戸時代初期に断絶となって、家臣は浪人となりました。
春日局のあとを継いだ祖心尼の夫町野氏も蒲生家の家臣で、江戸に出てきたところを奥さんの方が大奥にスカウトされたということがありました。そのために町野氏も幕臣となったようです。
青木昆陽が幕府に登用されたのは南町奉行大岡越前守の推薦だったようです。犯罪者ばかりでなくすぐれた人も見抜いたのでしょう。
青木昆陽はサツマイモで有名ですが、長崎に行ってオランダ学を学び、その門下から「解体新書」を出版した前野良沢を出しています。
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