写真お借りしました
教科書にも天平時代の説明に大きく阿修羅の写真が載ります。
3つの顔を持ち、6本の腕を持つという、とても実在するとは思えない造形ですが、お顔は少年のあどけなさが残るような独特の表情があります。
数世紀前には古墳におかれた埴輪のような、素朴でほぼ無表情の造形をしていたのに、これほどの高度な表現ができるようになったのは驚きです。
一つには脱活乾漆つくりという技法です。土で成形した体部に漆で麻布を貼って布の層を作っていきます。それができると土を抜いて、布の層の上に木くそ漆(木くずに漆を混ぜる)で成形していくというものです。
細かいていねいな造形ができるようです。しかし、非常に手間がかかるのでのちの時代にはあまり作られなくなります。
そして、なにより現実的、理想的な表現を示すという精神ではないかと思います。
一つには中国の唐時代の仏像の表現の影響が考えられます。薬師寺の薬師三尊像が理想的なすぐれた造形を示している理由と思われます。でも阿修羅像はそのような崇高さとは少し違います。
和辻哲郎の「古寺巡礼」では紹介されません。20世紀前半の哲学者には関心を呼ばなかったのでしょうか。
阿修羅像が人気を博したのは、それほど過去のことではないのかもしれません。現代の私たちがその美を強く感じるようになったと思われます。
でもそれは奈良時代の人々も身近な愛らしい表現への愛着があったのだと思います。仏さまも立派な方々ばかりではなく、愛らしい方もいてほしいと願ったのかもしれません。
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