栗山大膳 画像おかりしました
江戸時代の初期は、諸藩のなかもまだ落ち着かず、多くのお家騒動がありました。それまで、実力で天下を取ろうとしていた風潮から、秩序ある社会へと変化していくのにうまく適合できない、藩のなかの恨みを訴えるといったことが起きてしまいました。
そのなかでも有名な黒田騒動を取り上げてみようと思います。
黒田藩は藩祖如水、初代長政と天下に響いた名将が筑前の地に52万石の所領をもった大藩でした。
長政は長男忠之の性格を気に入らず、三男の長興に後を継がせようと考えました。これを近臣の栗山大膳は、
「徳川の世は才よりも秩序です」(といったかわかりませんが)
本来の長男である忠之の相続をほかの藩士とともに主張しました。そのため忠之が二代藩主になりましたが、長政の心配通り、長政が亡くなったあと忠之はうるさい大膳などの家臣を退けて、言うことを聞く足軽組の若い倉八十太夫を重用しました。
十太夫がいう大型の船「鳳凰丸」を建造して藩の財政を傾け、真言宗の僧の占いを信じるなどの行いに、大膳は意を決して幕府に「忠之謀反の疑いがある」と訴えました。
公儀は大膳の訴えを退け奥州へ流罪としましたが、忠之は藩主としてとどまりました。
現代もそうですが、大きな地位のあとを継ぐのはなかなか難しいですよね。
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