読書日記と読書ノート第二部(2009年8月~2011年1月) 吉野三郎

退職してから読書中心の生活をしています。その日に読んだ本の感想を日記に記し、要点をノートに書いています。その紹介です。

10、トゥーキュディデース『戦史』(上)(中(下) (岩波文庫)

2014-12-31 06:30:06 | 読書記録
(1)日記から
・2009年9月9日(水)
昨日から「戦史」(上)を読み始め、今日読了した。文体は歯切れがいいのだが、何せ人名・地名・ポリス名がこれでもか、という具合に出てくるので閉口する。戦に明け暮れたポリスの命運がよくわかる。仇敵ペルシアと結んでまで敵対ポリスを打倒しようとする。戦うことで生命を保っているかのようだ。
・9月12日(土)
「戦史」(中)を読了した。記述中にたびたび出てくる指揮官や外交使節の弁論は不思議だ。論理的で、修辞たっぷりで、法廷弁論のようだ。論理と弁舌によって相手を説得するのが2500年前からの伝統なのか。それもおもしろいことに、民衆を相手とする時の弁論と、指導者を相手とする時の術が違っている。一方は感情に訴えることに重きをおき、他方は利害に訴えることに重きをおく。
・9月22日(火)
「戦史」(下)を二日間で読み終えた。訳者が精魂を込めた本だと知られる。膨大な注(ほとんど読まなかったが)、簡潔な訳文。民主政治がポピュリズムに堕す危険は昔も今も変わらない。民衆は威勢のいい叫びをあげるが、結果がうまくいかないと、自分たちの判断が間違っていたとは思わず、任に当たった者が不手際だったからと責める。冷静な判断に基づく選択を求めるのは困難だ。昔は群集心理が、今はマスコミが増長する。

(2)ノートから-(下)-
①人は己の願望の主人たり得ても、事の成り行きを己の願い通りに支配することはできない。
②事の成否は願望の大小によって左右されるものではなく、冷静な見通しの有無にかかっている。

(了)

9、河合隼雄著作集6、7、13巻(岩波)

2014-12-30 06:11:02 | 読書記録
(1)日記から
・2009年9月3日(木)
河合隼雄著作集を取りだして、13巻の「生きることと死ぬこと」を読み始めた。60歳~65歳は老人への過渡期・準備期だそうだ。深くはないが、なるほどと思わせる。自己と自我。自我は自己意識の世界。これと無意識を含めた自己が己の全体である、という。
・9月4日(金)
「生きることと死ぬこと』を読了。大きく見れば、死ぬことで生まれることと釣り合いがとれる。死後世(死後の世界)はない、としなければならない。河合は判断を留保しているが。死までを含めた人生の完結の仕方を考えなくてはならない、という。生を意味づけることが死への準備となる、とも。随想的な文章でそんなに頭を使わないで読める。
・9月5日(土)
河合隼雄著作集7巻『子どもと教育』を150ページ読んだ。常識的で、取り立てて深く考えさせられるところはない。ところどころに警句的表現はあるが。
・9月7日(月)
著作集6巻「子どもの宇宙」を読んだ。子どもの見方・考え方が、大人が想像するよりもはるかに大きく不思議なものであることを、児童文学を素材に説く。

(2)ノートから-『子どもと教育』-
①子どもに『正義』とか「勇気」といった抽象名辞を教えることの意味について。
…『名付ける』ということは、人間が自分の『知』を自分の物とするうえで極めて大切なことである。
②道徳性は、生きることに対する畏敬の感情に裏打ちされたものである。
③日本的民主主義について。
…個人主義を経験しない民主主義で、個人差の存在を認めない民主主義。
④教育界における「右傾化」の法則→万事『右へ倣え』。
⑤何かを見るためには、適当な距離が必要である。
⑥人間の個性を抹殺するものとして、時間と金は似たものになっている。
⑦ファンタジーは、外的現実に立ち向かう精神的な武器となりうる。

(了)

8、ウェーバー『官僚制』(角川文庫)

2014-12-29 07:07:16 | 読書記録
(1)日記から
・2009年9月1日(火)
ウェーバーの『官僚制』を読んだ。80ページ余りの小著ながら内容は豊か。近代官僚制の合理性を家産官僚制、名望家支配などと比較して説く。名望家の正確な意味を初めて知った。官僚制と大衆民主主義との微妙な関係がおもしろい。民主主義の平等化の要求は官僚制を生むが、官僚制が進行すると支配者と被支配者との乖離をもたらし、民主主義を形骸化する。官僚制化を必然としつつ、民主的コントロールをどう働かせるか。

(2)ノートから
①名望家(支配)とは。
…名望家とはその経済的状態によって、何らの報酬をもらわずに兼職して、団体のなかで指揮・管理をし、社会的尊敬を受ける人のことをいう。名望家支配は社会的尊敬を基礎とする支配であるから、伝統的支配の一種である。
②即物的な処理とは『人を顧慮せず』計算可能な規則に従って行われる処理を意味する。
③公務の処理に当たって、愛憎やあらゆる個人的な、一般に計算できない一切の非合理的な感情的要素を完全に排除することができればできるほど、それだけ官僚制は資本主義に好都合な特有な性格をいっそう発達させることになる。
 ※カーデイ-裁判…伝統や経験にとらわれず、具体的に妥当な結果を志向する裁判。

④大衆民主主義下の世論は非合理的な感情から生まれ、官僚制の形式性に対立する。
⑥官僚的行政組織は、近代的な大衆民主主義の不可避な随伴現象である。
⑦官僚制化は民主主義の並行現象であるが、その組織の内部での非民主化-支配に対する被支配者の積極的参与の反対物-をともなう。
⑧漠とした未組織の大衆は、ちょっとでも団体が大きくなると、決して自分で自分を管理する自治能力を持たず、誰かに管理される。こうして、官僚制的に編成された支配集団に対するに、被支配集団の平均化という事実である。
⑨官僚制と社会的平均化は封建的特権を打破する。
⑩民主主義そのものは自ら欲せずして官僚制化を促進する。それが不可避的であっても、自ら欲せざるものであったが故に、官僚制の『支配』(官僚主義)の敵手であり、ある条件では、官僚制組織のきわめて顕著な破壊と障害をつくりだす。
⑪官僚制は秘密保持によって自己の優越性を保とうとする。いかなる官僚制もその知識や意図の秘密保持という手段によって、職業的精通者の優越性を高めようとする。


特定秘密保護法!

⑫公法と私法の概念的区別は、官僚制における職務遂行の完全非人格化と法の合理的体系化によって、初めて原理的に貫徹された。客観的法秩序と個人の具体的権利との区別も同様である。
⑬家産官僚制とは。
…奴隷のように不自由な官吏によっておこなわれる。古代エジプト、中国、絶対王政化で。

(了)

6 由井正臣『田中正造』(岩波新書)、7宮崎㴞天『三十三年の夢』(岩波文庫)

2014-12-27 05:56:32 | 読書日記
日記から
・2009年8月30日(日)
由井正臣『田中正造』を読んだ。名主の四代目が被る幕末・維新の転変が興味深い。鉱毒問題に生命をかけた後半生。文字通り下層民と苦楽をともにする。“義民”としかいいようがない。飾り気がなく、おごりがなく、はったりがない。屈することなく闘い抜いた生涯。誇るべき貧民の友だ。たまたま今日は総選挙の投票日。三人の候補者がいたが、俺が書いたのは×印。読了後は宮崎㴞天『三十三年の夢』を読み始めた。語り口が絶妙だ。内村の『余は如何にしてキリスト信者となりしか』を思わしめた。
・9月2日(水)
『三十三年の夢』を読了。何とも破天荒な生き方。弱者・貧民に寄せる同情、中国革命への共感、そして酒と女。まったく常軌を逸しているが、貫く一本の筋は信義を裏切らないということだ。面白い本、面白い人物だ。
(了)

5、ミル『代議制統治論』(岩波文庫)

2014-12-26 06:16:38 | 読書記録
(1)日記から
・2009年8月29日(土)
ミルの『代議制統治論』を200ページほど読んだ。内容は難解ではないが、留保や二重否定文が多用され、読みにくいところがある。女性選挙権の主張など、今は常識だが、ミルがこれを書いてから、イギリスでさえ実現するのに60年かかった。今から見ると、ミルの平等な選挙権の主張は生ぬるいが、書かれた当時は革新的だったのだろう。婦人参政権や労働者への選挙権拡大の主張を支えるのは、自分のことは本人がもっとも利害関心を持ち、的確に判断できる、という考えだ。この原理は今でも通用する。
・8月31日(月)
ミルの本を読む。複数投票制や記名投票制など、今では支持できない主張もある。複数投票制を主張する理由は大衆不信と知的エリートによる統治だ。労働者階級の勃興を認めながら、その影響力を抑止しようとする立場だ。ミルの妥協的・中間的な立場-決して反動的ではないが-を現わしている。

(2)ノートから
①国家構造に対する信頼はすべて、それらが与えうる保障、つまり権力の受託者がその権力を濫用しないだろうという信頼ではなく、そうすることができないという保障に基づいているのである。
②完全な選択の自由のもとでは、真に多様な適性がある場合にはどこでも、大多数の人々は最適な物ごとに従事する。
③個々人が何に適し何に適していないか、何を試みることが許され何が許されないかを、彼らに代わって決定するという社会の主張にますます強く反対が表明されている。


(了)