(2)ノートから-つづき-
行為と存在
①本性は行為において実在する。
②真の仕事は行為と存在、意欲と遂行の統一である。
一般的行為
①悟性を持って慈善を施すということは、もっとも豊かでもっとも重要な形となる場合には、国家が悟性的な一般的な行為をするということになる。
※絶対的内容とは内容がないのと同じだ。
②人倫的本質は、法則が自己自身にのみ等しく、自己自身の本質に基づいており、制約されたものではない。
②私が物を所有するということは、物が一般的な形態であるということと矛盾する。だから、私有は非私有と同じくあらゆる面で自己矛盾である。
精神的本質
①精神的本質は自己意識にとって、自体的に存在する法則としてある。
②精神的本質は個人の意志に根拠を持つものではなく、自体的に存在し、万人の絶対的な純粋意志である。
③この意志は、存在すべきである、というような命令ではなく、現にあり、現に妥当している。
精神
①理性は全実在であるという確信が高まって真理となり、自己自身を自分の世界として、また世界を自己自身として意識するようになったとき、精神である。
②即かつ対自的に存在する本質が、同時に意識として自分にとり現実的となり、また自分で自己自身を表象するようになったとき、精神である。
③精神はすべての人の行為の根拠であり出発点である。
④精神は動揺せぬ実体である。実体が自己のなかで解体した-運動する-存在であるというまさにこの点で、死んだものではなく現実的であり、生きているのである。
⑤精神のさまざまな契機-意識、自己意識、理性。
⑥自己において、自分であるといという直接的意識であるとき、意識と自己意識の統一であるとき、精神は意識である。
⑦精神は理性という対象を持つ。
⑧精神の持っているこの理性が、現に理性であるようなものとして、言いかえれば、精神のなかで現実的であり、精神の世界であるような理性として、直観されるようになったときには、精神は自らの真理にいる。つまり、精神は現に精神であり、現実の人倫的実在である。
民族、共同体
①精神はある民族の人倫的生命である。一つの世界であるような個体である。
②個別化された自己と一般化された実体(人間の掟)は自己意識において統一される。自己意識が行動に出ると、人間の掟=法状態とぶつかる。
③人倫的実体は現実的存在としては共同体である。共同体は絶対的な精神である。
④この精神は現実的実体としては民族であり、現実的意識としては民族の市民である。
⑤精神が自らの現実態を持つのは、現に妥当し、現に存在している民族の精神においてである。
⑥この精神は人間の掟と呼ばれる。一般性の形では習俗となって、個人の形では個人の現実的確信であり、統治の形となるときは王の自己確信である。
⑦自然的な人倫的共同体は家族である。家族成員の関係は単に自然の関係ではなく、人倫という一般的関係である。この人倫的関係は感覚の関係でも、愛情の関係でもない。全体としての家族に対する個々の家族成員の関係のうちにある。
⑧全体としての家族に向けられた行為の目的は、さらに一般的な国家共同体に向けられている。国家に対するこの使命は、個人を家族の外に連れ出す。個人を一般者のために生きさせるようにする。こうして、教育が公共的に行われる。
⑨個人は市民としてのみ現実的であり実体的であるのだから、市民ではなく家族の一員である場合には、非現実的で無力な影に過ぎない。
(つづく)
行為と存在
①本性は行為において実在する。
②真の仕事は行為と存在、意欲と遂行の統一である。
一般的行為
①悟性を持って慈善を施すということは、もっとも豊かでもっとも重要な形となる場合には、国家が悟性的な一般的な行為をするということになる。
※絶対的内容とは内容がないのと同じだ。
②人倫的本質は、法則が自己自身にのみ等しく、自己自身の本質に基づいており、制約されたものではない。
②私が物を所有するということは、物が一般的な形態であるということと矛盾する。だから、私有は非私有と同じくあらゆる面で自己矛盾である。
精神的本質
①精神的本質は自己意識にとって、自体的に存在する法則としてある。
②精神的本質は個人の意志に根拠を持つものではなく、自体的に存在し、万人の絶対的な純粋意志である。
③この意志は、存在すべきである、というような命令ではなく、現にあり、現に妥当している。
精神
①理性は全実在であるという確信が高まって真理となり、自己自身を自分の世界として、また世界を自己自身として意識するようになったとき、精神である。
②即かつ対自的に存在する本質が、同時に意識として自分にとり現実的となり、また自分で自己自身を表象するようになったとき、精神である。
③精神はすべての人の行為の根拠であり出発点である。
④精神は動揺せぬ実体である。実体が自己のなかで解体した-運動する-存在であるというまさにこの点で、死んだものではなく現実的であり、生きているのである。
⑤精神のさまざまな契機-意識、自己意識、理性。
⑥自己において、自分であるといという直接的意識であるとき、意識と自己意識の統一であるとき、精神は意識である。
⑦精神は理性という対象を持つ。
⑧精神の持っているこの理性が、現に理性であるようなものとして、言いかえれば、精神のなかで現実的であり、精神の世界であるような理性として、直観されるようになったときには、精神は自らの真理にいる。つまり、精神は現に精神であり、現実の人倫的実在である。
民族、共同体
①精神はある民族の人倫的生命である。一つの世界であるような個体である。
②個別化された自己と一般化された実体(人間の掟)は自己意識において統一される。自己意識が行動に出ると、人間の掟=法状態とぶつかる。
③人倫的実体は現実的存在としては共同体である。共同体は絶対的な精神である。
④この精神は現実的実体としては民族であり、現実的意識としては民族の市民である。
⑤精神が自らの現実態を持つのは、現に妥当し、現に存在している民族の精神においてである。
⑥この精神は人間の掟と呼ばれる。一般性の形では習俗となって、個人の形では個人の現実的確信であり、統治の形となるときは王の自己確信である。
⑦自然的な人倫的共同体は家族である。家族成員の関係は単に自然の関係ではなく、人倫という一般的関係である。この人倫的関係は感覚の関係でも、愛情の関係でもない。全体としての家族に対する個々の家族成員の関係のうちにある。
⑧全体としての家族に向けられた行為の目的は、さらに一般的な国家共同体に向けられている。国家に対するこの使命は、個人を家族の外に連れ出す。個人を一般者のために生きさせるようにする。こうして、教育が公共的に行われる。
⑨個人は市民としてのみ現実的であり実体的であるのだから、市民ではなく家族の一員である場合には、非現実的で無力な影に過ぎない。
(つづく)