ジョニーの勝手にブログ訪問日記

人様のブログを勝手に訪問し、簡単な感想を書きます。

このブログについて

2222年02月02日 | Weblog
 ジョニーと申します。日替わりでお題を決め、私なりの短文を書きます。さらに、そのお題で検索にかかったブログを訪問し、簡単な感想を書きます。お題はできるだけ浮世離れしたものを選びます。なお、当ブログはコメントを受け付けていませんので、ご感想等はメールでお願いします。johnny170@mail.goo.ne.jp

当分の間、更新を停止します

2008年02月08日 | Weblog
 当分の間、更新を停止します。
 このブログの真の目的は、人様のお上品で教養あふれるブログを見つけ、そのリストを作ることでした。そのための方法として、ちょっと小洒落たキーワードで検索にかければよいのではと思いついて、このブログをはじめました。
 そして、お上品で教養あふれるブログは多数見つかったのですが、いかんせん、私自身の心根がいささか下賎で、かつ拝金思想に染まっているため、それらのブログを読んでも、あまり興が湧きませんでした。
 その結果、このブログを続ける意欲を喪失してしまいました。
 復活の可能性はもちろんありますが、いつになるかはわかりません。むしろ私のもうひとつのブログ「るるぴんの高等遊民日記」のほうが早く再開すると思います。では。

饕餮文

2008年02月01日 | Weblog
 2008年2月1日のお題は、「饕餮文」(とうてつもん)です。
 饕餮文とは、シナ殷周時代の青銅器にほどこされた紋様のことです。その形象が獣面に似通っているため、後世になって饕餮文と呼ばれるようになりました。なお、饕餮はシナの妖怪の名前です。私はこの紋様の禍々しさと力強さが大好きです。
 さて、検索で15件のブログがかかり、「silkroad_desert9291」を訪問することにしました。
 以下は、昨年の2月にこの方が東京国立博物館を訪れたときの記事です。

……
大きな青銅器がいくつか出ていて見ごたえがあった。全体が饕餮文(とうてつもん)という奇怪な怪物の絵でうずめられていたりする。四面に羊の首が付いた「四羊尊 (しようそん)」、いけにえや罪人などの首を叩き切るための刃に顔の絵が彫られた「鉞 (えつ)」、犀の形をした酒を入れて注ぐ容器「犀尊 (さいそん)」、四川省の三星堆の「突目面具」という目が飛び出た大きな面などが、興味深い。青銅器は、現在は錆びて青緑色になっているが、使われていた当時はピカピカに光っていた物なので、当時と現在見るのとは受ける感じがだいぶ違うのかもしれない。
……

 このブログは、読み応えのありそうな記事ばかりが500件以上もありますので、全体をざっと読むことはあきらめました。それで最新のところをちょろっと見たのですが、この方は株式投資をなさっていて、かなりの好成績を挙げておられるようです。私も別人格のほうで投資のまねごとをしていますので、なんともうらやましいと思うばかりです。

クララ

2008年01月29日 | Weblog
 2008年1月29日のお題は、「クララ」です。クララと聞いて「アルプスの少女ハイジ」しか思い出せなかったら、その人は自らの無知を恥じるべきでありましょう。
 ここでいうクララは、マメ科植物の一種のクララです。薬用植物として漢方薬に処方されることがあります。また、大変苦くてかじるとくらくらするほどだからクララと名づけられたという説明もよくありますが、これはなんとなくですが違うと思います。私は子供のとき、司馬遼太郎の「妖怪」を読んでいて、この名前を知りました。名前の由来はこの小説にも書いてあったように記憶しています。
 さて、gooブログ限定検索をして「ふにょの巣穴」を訪問しました。

……
クララ(苦参)。別名・クサエンジュ(草槐)。
聞いたこともない名前だが、自分も調べて初めて知りました。
日本、中国、朝鮮などの山野に普通に自生している、マメ科の多年草らしい。
和名は「眩草(くららくさ)」からきていて、根が目が眩むほど苦いことより。
その根は生薬の苦参(くじん)として健胃薬となるらしい。
もっとも有毒との情報もあるので注意。
……

 このブログ、昨年の4月からほぼ毎日更新されていて、記事のひとつひとつに自作の写真またはイラストが貼付されています。この積み重ねは、素直に見事だと思います。ただ、ところどころメンヘラーを匂わせる記述があります。もし、本当にそうなら、そっち方面ももっとたくさん記事にしてほしいぞと。

太陰太陽暦

2008年01月28日 | Weblog
 2008年1月28日のお題は、「太陰太陽暦」です。
 太陰太陽暦とはいわゆる旧暦のことで、日本では有史以来明治5年まで使われていました。この暦の利点は、月を見れば今日が何日かがわかることです。新月は1日、三日月は3日というように。二十三夜の月見も23日に行います。とても風情のある暦だと思います。なお「二十三夜」については、後日気が向いたらお題にいたします。
 さて、gooブログ限定で検索しても100件以上かかってしまいましたが、フィーリングで「E-OJISAN ブログ」を選びました。

……
初めて聞く話で、受け売りとなるが、記憶違いがあるやも知れず、その点、間違いがあればご容赦願います。
(中略)
関が原の戦いは9月15日とされており、「残暑の中で、負傷した人間が次々と死んでいった」という説明をしている書物もあるらしいが、今の暦では10月21日。
今年は別にしても、暑さが残るような季節ではない。
忠臣蔵も12月14日となっており、雪が深々と降るとなっていて、小生も疑問を抱いていたが、今の暦では1月30日?頃になるという。 これで、納得。
啓蟄とか処暑という季語は、太陰太陽暦の言葉ではあるが、これは太陽暦を基準にした季語であり、「啓蟄は陰暦で言えば○月になる」といったことにはならない。
こんな話を平気でしている気象予報士がいたと嘆いていた。
(中略)
目から鱗の話ばかりで、時間がたっぷりできたら勉強してみたい。
……

 上の文章は、旧暦とか二十四節気とかの魅力を十分に感じさせてくれます。感謝。

宋襄の仁

2008年01月27日 | Weblog
 2008年1月27日のお題は、「宋襄の仁」(そうじょうのじん)です。
 春秋の時代、宋の襄公が敵に情けをかけ、結果、自身の敗北につながった故事にもとづく言葉で、無用無益の情けという意味になります。「惻隠の情」が肯定的にとらえられているのに比べ、宋襄の仁は否定的な意味合いで使われます。
 私は、幼児のとき自分を刺している蚊をつぶすのをためらったことがあります。そのとき父は、そういうのを宋襄の仁というんだよと私を戒めました。
 さて、このお題を検索して「drunker’s high」を訪問しました。
 以下は、華栄の丘 (宮城谷昌光、文春文庫)の書評です。

……
2003年3月購入。3年半の放置。春秋時代(まだ孔子すら誕生していない)宋の国の宰相・華元の生き様を描いた作品。この時代の宋は「宋襄の仁」で知られる襄公より後、すなわち衰退の一途をたどっており、なおかつ周囲には楚や晋という強国が存在しており、生き残ることさえ難がある。そういった時代情勢にあって華元は国の舵取りを見事にやってのけた。不勉強の身ゆえ、この華元という人物はまったく知らなかったのだがそういった人物を発掘し生き生きと描いてみせ、なおかつはるか遠い古代中国の国々の興亡を再現する宮城谷の筆致はいつものことながらお見事。
……
 
 この方の書評はかなりうまいような気がします。ブログの他の部分もいくつか見ましたが、どの書評も、買いたい、読みたいと思わせてくれるものばかりでした。
 いったいどういう方なのでしょう。体調が悪くても競馬をやるという05年5月15日の記述がちょっと気になりましたが。