金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

東北地方での二至二分の暦認識時期は

「縄文学研究室」のブログには、太陽運行とかかわる可能性のある遺跡が紹介しされています。
その中の一つ
【樺山遺跡】
 岩手県北上市の後期の配石墓群。国史跡
★ 春分・秋分の日、前塚見山に日が沈む。(小林ほか1998)
と有りました。
縄文後期の遺跡と記載されていましたが、遺跡の時期については中期なのか後期なのか今一不分明。
もしも中期からなのであれば、山梨と同様に東北地方でも、縄文中期から二至二分の暦が認識されていた可能性がある。
これについて詳しい方は居られるでしょうか。

引用します---
国学院大学の先生が運営しておられた「縄文学研究室」のブログには、太陽運行とかかわる可能性のある遺跡が紹介しされています。

「自然の社会化」の例
      99.10.30現在 私が得ることができた情報による

【石倉貝塚】
 北海道函館市の後期の環状列石。
 中央と南東の立石を結ぶ線の延長線上から冬至に日の出。
 また、中央と南西の配石群を結ぶ線の延長線上に冬至の日没。(北海タイムズ1996/1/7)

【三内丸山遺跡】
 青森県青森市の前期・中期の集落跡。国史跡。
 大型木柱遺構の方向と夏至の日の出・冬至の日の入線がほぼ一致。(小林ほか1998)
 写真:青森県のサイト

【小牧野遺跡】
 青森県青森市の後期の環状列石。国史跡。
 現在馬頭観音となっている配石と中央とを結ぶ線が夏至の日の出線と一致。(小林1996)

【大湯環状列石】
 秋田県鹿角市の後期の環状列石。国特別史跡。
 万座と野中堂の日時計状特殊組石を結ぶ線が夏至の日没線。(富樫1995・読売新聞1994/6/26)

【伊勢堂岱遺跡】
 秋田県鷹巣町の後期の環状列石。
 環状列石AとCが南北一列に並ぶ。(秋田魁新報1996/11/13)
 ※その後の調査で他にも環状列石が確認されており、この南北軸が特に意識されていたかどうかは微妙である。
 環状列石C:外環のまとまりが30度づつ区切られており、その区切りが、中心-直列石のラインを中心に磁北ライン・夏至の日の出ラインなどと重なる。(秋田魁新報1999/7/8)
【樺山遺跡】
 岩手県北上市の後期の配石墓群。国史跡
★ 春分・秋分の日、前塚見山に日が沈む。(小林ほか1998)

【中野谷松原遺跡】
 群馬県安中市の前期の集落。
 土壙墓の主軸方向の延長線に浅間山を望む。(大工原1995)
 写真:Archaeological-Laboratory内

【天神原遺跡】
 群馬県安中市の晩期の環状列石。
★ 中央から3本の立石を結ぶ線の延長線に妙義山(三峰)を望み、春分・秋分には妙義山に日が沈む。
 また、冬至には大桁山に日が沈む。(大工原1995)
 写真:Archaeological-Laboratory内

【砂押遺跡】
 群馬県安中市の中期の環状集落。
 環状集落の中央広場からみると、冬至に大桁山に日が沈む。(Archaeological-Laboratory)
 写真:Archaeological-Laboratory内

【野村遺跡】
 群馬県安中市の中期の環状列石。
 この場所から見ると冬至に妙義山に日が沈む。(Archaeological-Laboratory)
 写真:Archaeological-Laboratory内

【寺野東遺跡】
 栃木県小山市の後期の遺跡。国史跡。
 環状盛土の中の円形盛土と中央の石敷台状遺構とを結ぶ線上に冬至の日の入を望む。(小林1996・読売新聞1994/5/28)

【田端遺跡】
 東京都町田市の後期~晩期の環状積石遺構。都史跡。
 冬至には、丹沢の主峰蛭が岳に日が沈む。(原田1998)

【当麻亀形遺跡】
 神奈川県相模原市の後期の集落跡。
 敷石住居が皆西(丹沢)の方向を向いていると新聞で報道された。(神奈川新聞 朝日新聞) しかし、現説では担当者が、地形によるものとしてこれを否定している。

【水口遺跡】
 山梨県都留市の中期の環状列石。
★ 春分の日没が地蔵岳に落ちる。(Landscape Archaeologyのゲストブックへの今福氏の投稿)

【牛石遺跡】
 山梨県都留市の中期の環状列石。
★ 春分の日没が三つ峠山に落ちる。(Landscape Archaeologyのゲストブックへの今福氏の投稿)

【大柴遺跡】
 山梨県須玉町の中期~後期の環状列石。
 夏至には金峰山から日が昇る。(読売新聞山梨版96/11/5)

【宮久保遺跡】
 山梨県長坂町の中期~後期の環状列石。
 冬至の日没の方向への配石?。(読売新聞山梨版97/9/14)
++++そうなのか 金生遺跡の配石は考えていないのか

【阿久遺跡】
 長野県原村の前期の集落跡。国史跡。
 集落中央の巨石列の延長線に蓼科山を望む。(小林編1995)

【アチヤ平遺跡】
 新潟県朝日村の環状列石を伴う拠点集落。
 夏至の日、朝日岳から日が昇る。(Landscape Archaeology)

【道添遺跡】
 新潟県妙高村の中期の環状集落。
 妙高山に向かって石が一列に並んでいるという。(新潟日報94.9.8)

【極楽寺遺跡】
 富山県上市町の早期~前期の攻玉遺跡。
 冬至には大日山(立山連峰の1峰)から日が昇る。(藤田1998)

【不動堂遺跡】
 富山県朝日町の中期の集落。国史跡。
 冬至には朝日岳と前朝日の間(鞍部)から日が昇る。(藤田1998)

【チカモリ遺跡】
 石川県金沢市の後期の遺跡。国史跡。
 ウッドサークルの入口?が、冬至の日の出の方向を向いている。
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樺山遺跡 かばやまいせき その他の画像全4枚中4枚表示
史跡 / 東北   岩手県 北上市稲瀬町  指定年月日:19770714
管理団体名:北上市(昭52・11・18)  史跡名勝天然記念物
 樺山遺跡は、北上[きたかみ]市街地の南方約7キロメートル、北上川の左岸に張り出した北上山地の麓に所在する縄文時代中期の遺跡である。昭和25年に発見され、翌26年から51年まで数次にわたって発掘調査が実施されている。
 遺跡は標高約80メートルと約100メートルの上下2段にわたっており、下段に配石遺構群があり、段は竪穴住居を持つ集落が営まれている。下段の配石遺構は径約1.2メートルの範囲に石を敷きつめ、一端に立石を設ける類を典型とし、合計32以上の存在が確認されているが、ほかに耕作によって破壊されたものがある。
 配石の中にしばしば石皿が入っており、立石に用いている例もある。また、配石の直下には土壙が設けられており、配石遺構が墓ではないかという推定がなされている。
周辺から発見される土器によって中期に属するものと判断され、特別史跡大湯環状列石等の系統につながって行くものと考えられる。上段の集落跡は配石遺構と同時代に営まれており、台地の周縁に住居跡が集中している。また、中期末から後期初頭にかけても再び集落が営まれ、竪穴住居跡と甕棺が発見されている。
 縄文時代中期の集落跡と同時代の墓域と考えられる配石遺構群を含めて全体を指定し、保存を図るものである。
作品所在地の地図


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