「仮面の女神」土偶は、縄文後期の特徴的な土偶という
この土偶はもしこの時期であれば、金生遺跡の設置時期と重なるものと考えても良いのだろう。
おなかの前の臍の位置の渦巻きは同じようなものとなるのだろうか
肩か腕の位置にある渦巻きは同じもののように見える。母性とか生命力を示すものなのだろうか。
抽象的な造形も近いように感じるが、金生遺跡の土偶の方が簡略な作り。どちらも何を表そうとしているのか分らない。
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「仮面土偶」の発掘場所は、八ヶ岳の南西の麓 、標高約950mの台地で、高台の八ケ岳を一望出来る花蒔公園近くの畑の中にあり、6,000年前の縄文前期から4,000年前の同後期の集落跡であった。
ここでは、過去に県内最大級の翡翠の飾り玉が出土した。中ツ原遺跡では、昭和初期から数次にわたって発掘調査が行われて、今回の調査は前年度から約1,3000㎡を対象に実施していた最中であった。
仮面土偶は8月23日、遺跡の中央付近にある墓域と推定される土坑が密集する場所で、長さ約1.3m、幅約1m、深さ約45cmの土坑の中に横向きの状態で出土していた。約4,000年前の縄文後期前半の作で、土偶は体全体がボリュームのあるどっしりとした立像で、肩から大きく左右に張り出す両腕、極端に太い台のような脚、やや膨らみのある腹部、女性器も露出させ鮮明に表現する。
胴部と腕には、縄文時代後期に特有な細かな渦巻きや同心円とたすき状の模様が施されていて、特徴は顔に付けた逆三角形の仮面で、二つの点を結ぶつり上がった目、小さく尖った鼻、小さな穴で表現される口などが特徴である。右足が壊れて胴体から 外れていたが、研究者の中には、人為的に取り外したものとみる人もいた。
縄文時代後期、中部では団子鼻付きの土面が出土している。この土偶も仮面をつけた祭祀者の形を象っているのかもしれない。土偶は壊れたものが出土することが多く、祭祀や呪術に使われたとする説が強く、それと関係ある墓域から出土することが多い。墓に一緒に埋葬されたものか、あるいは土偶だけが単独で埋められたかは、現在は不明である。
--中略--土偶は調査の途中であったが、発表は「出土した状態を生のまま見てもらいたい」(矢崎市長)という観点から急遽行われた。それでも、未だ土の中から全身を現していないものの、露出した部分だけでも分かる価値の高さに、現地を訪れた研究者たちの間からは感嘆の声が上がった。
北方向を向いた体の前面と上を向いた右側面が露出しただけ、それでも黒光りする全身の群を抜く大きさや、頭部や手足に欠損部分はなく、胸や腹部には紋様がくっきりあり、美術的、学術的な価値の高さは容易に推測でき、右足が胴体からとれているが、頭、手足がそろう完形土偶であった。
桐原健・県考古学会長は、土偶は遺構の中からの出土例が少ない点を指摘しながら、「出土状況がはっきりしている点がすごい。土偶自体も素晴らしいし、すべての面で土偶研究の大きなプラスになる」。樋口昇一・県文化財保護審議委員も「こんないい土偶が完形で出るとは」と驚きの表情であった。一方、発掘調査に携わった人たちの興奮も計り知れない。作業中、最初に見つけた発掘作業員の柳平年子さん(同市上場沢)は「丸みを帯びた黒いものが出てきたのが最初。後で土偶と分かってその夜は眠れなかった」。調査を指揮している同市文化財課の守矢昌文さん(43)は「とにかくえらいものが出たというのが最初の感想」と詰め掛けた関係者の対応に追われていた。その造形の素晴らしさとともに、出土した場所や状況が明らかなで、土偶が見つかった土坑の左右には、死者の埋葬形態の一つである鉢かぶせ葬の浅鉢が残っており、出土場所が墓域であることが知られ研究価値が高まった。--中略--
仮面土偶は、縄文後期の特徴的な土偶で、長野、山梨など中部山岳地帯に多く見られる。頭部に付けた仮面が特徴で、辰野町泉水遺跡から出土した土偶(県宝)や、山梨県韮崎市後田遺跡の土偶が有名だが、いずれも高さが20cm程度で、今回見つかった土偶は倍近くの大きさがあった。同種の土偶の中では国内最大級である。尖石縄文考古館名誉館長の戸沢充則・元明治大学学長(岡谷市出身)は「国宝級の素晴らしい出土品」と高く評価していた。