さようなら!「スナック・ジロー」40年の歴史

1966年若干20歳の今野浩二さんが、初代マスター・通称ジローとして人気を博して始めた店。その思い出の写真集。

スナック「ジロー」40年の思い出

2011-11-03 19:20:30 | 日記
上野駅のすぐ近く、上野7丁目の路地裏に、木造のシモタヤを改装した6坪ほどの小さなお店が始まりだった。カウンターに7人、2人掛けのテーブル席が2組。今野こと通称マスターのジローと、ウッちゃんという従業員の2人で、当時は有線放送などはなく音楽はレコードだけ。開店当時は日にお客は3,4組、ひっそりといった感じで営業していた。

3年ほど過ぎたころ、常連客も増えたので、表側にあった店舗と合わせて改築して、12坪ほどの広さとなり、カウンターに12人。L字型のベンチ椅子に8人ほど、中央にマントルピース、やジュークボックスと、スナックムードも整い、そのころには従業員も、ツトムくん、ケンちゃんなど4,5人になり、界隈の同種の店では、1,2を争うにぎやかな店として繁盛した。

”界隈の同種の店”って?、を説明すると、主に男性だけが集まる特殊スナックで。当時上野界隈だけで80数軒件あった。「タロー」「歌や」「ばんちゃん」「石松」「忍」「亀」「あるす」「ブルー」など、いずれも女性客はオフリミット。しかし「ジロー」は、水商売関係の女性客の常連さんも増えていた。

当時のスタッフメンバーは、いずれも20代の今言葉で言うイケメン揃いで、ケンジくんなどは「薔薇続」に続いて発刊されたゲイ雑誌「さぶ」の、グラビアヌード写真に登場したほど。ほかにヒロシ、ノン、マモル,カズユキなど女性客にも人気を集めていた。

「ジロー」という店名は、当時上野でかなりの人気店だったスナック「タロー」にあやかって、カラフト犬の“タロー・ジロー”から頂いたもの、もちろんタローは関連店だった。このタロー店は、現在のサウナ「大番」がある場所で、当時は永田屋旅館があり、その1階のコーナーに「タロー」があッた。大物歌舞伎俳優や東映の若手時代劇スターなどがお忍びで顔を出していた。

永田屋旅館は今でいうハッテン旅館だったが、昭和40年ごろだったか、火事で全焼、もちろんタローも罹災した。旅館のお客が3人も焼死し、1人だけいまだに身元不明とのこと。タローのマスターだったミッちゃんは、その後「福和」「花笠」などのマスターとなった。

ちょうどそのころ、焼失した「タロー」の近くの佐藤ビル2階に空き店舗があり、借りてもらえないかとの話があったので、「ジロー」の姉妹店として営業してみることにした。店名は洋風居酒屋「けんじ」。ジローのチーフ役だったケンジくんがマスターで、ナオちゃん、ヤッくんの3人でスタート。まずまずの順調な出足だった。この店がその後平成3年から21年までの18年間、“もつ鍋”屋として、テレビでも話題にされた「居酒屋けんじ」の前身だった。



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