日々を楽しく 横浜の田舎者の日記

横浜を中心に日常とその時訪れた場所を綴っています。

ポン太今日も元気

2011年03月29日 03時52分54秒 | 日記

余震などに、ちょっと怯えていたポン太ですが、普段は何かといたずらを目論む元気なポンです。

台所が住処の、母曰く「台所天使」ポン太は、それでも今日もいたずらを考えては実行に移すのでした。

最近はテーブルの上がお気に入り。

 


座布団がべちょべちょベチョリーナ

2011年03月27日 21時09分29秒 | 日記

何だか椅子の上の座布団がお気に召したポン太。

暖かいのか、はたまた美味しいのか、ひたすらペロペロ舐めまわすポン太。

それともいい匂いがするのか臭いのかさっぱり分からないけど、いつまでもペロペロするポン太。

おかげで座布団はびしょ濡れだ。

この後座布団は母の手により、洗濯機へ突っ込まれたのでした。

 

ポン太座布団のどこが良かったの??やっぱり臭さが気に入ったの???????


東京の水まで・・・・

2011年03月23日 16時41分31秒 | 日記

先ほど東京の水道水からも放射線物質が検出されたと発表されていたけど・・・

大人には今のところ支障はない、とは言っても、従姉妹には、今月末にでも、産まれてくる子供がいるわけで。

乳幼児には飲ませてはいけないらしいです。

 

乳幼児にどんな影響が出るんでしょうか。不安です。心配です。

もう、山奥の清水とかなんかも、汚染されているんだろうな、と思います。

今は放射線物質が微量でも、それを数日、十日、百日と飲み続けたら大人でもどうなるのでしょうか・・・

日本は水道水が飲める国と言うのも、なくなるのかも知れないですね・・・

とりあえず従姉妹の子供が無事に産まれて来るといいなぁ。

 

 

ちなみに叔母さんは只今ミネラルウォーターを求めて奔走中!!!

 


ポン太だって怖いのだ

2011年03月22日 18時48分30秒 | 日記

余震の続く中、怖いのは人間だけではないのだ。

動物だって地震は当然怖いと思う。

被災地の動物達はなおさら恐怖のまっただ中だと思います。

うちのポン太も、今日は普段、父に寄り添うなんて絶対にしないのに、父の足元から動こうとせずに、目が強ばっていました。

そんなときに、今夜の余震も来て、ポン太パニックにはならないけど、顔が不安そうで、そこは、内弁慶なポン太。

おとーさんヘルスミー

とか言っているんでしょう。(多分)

余震が早くおさまりますように・・・・


春ですね

2011年03月21日 10時25分32秒 | 日記

線路の脇の土手につくしがたくさん出ていました。

春ですね~~

 

うちではつくしの時期はよくつくしのおひたしなんかを作ります。

去年もつくしのおひたしを作りましたが、もう一年経つんですね~~早いわー。

 


今までの生活の有難さ

2011年03月20日 17時54分24秒 | 日記

被災地の皆さんは、暖を取るのも侭ならない状態が続いていますね。

私の炊き出し経験というか、正確には炊き出しではないですが、夏場のキャンプでの、食事作りとか、夜のキャンプファイヤーであるとか、被災地の皆さんとは程遠い自炊ですが、夏場でも、山梨などの山の夜は寒かったです。

 

東北の今の時期の冷え込みは凄まじいものだと思います。

ガスや、火や、電気の使える有難さは、きっと被災した方々が一番身に染みていると思います。

 

早く全ての生活の機能が復旧しますように・・・・


放射能の爪痕

2011年03月19日 17時20分23秒 | 日記

原発から漏れた放射能がの被害が確実に広がりそうですね。

今朝買った野菜ですが、今日ニュースで、茨城産や、福島産の野菜から微量の放射線物質が検出されたそうな。

買った野菜、一つは茨城産でしたが・・・農家はこれから大打撃を受けてしまいそう・・・

 

神奈川とか、埼玉とかもそのうち影響でそう・・・・どうなってしまうのかな。

 

 

父の実家は栃木の農家だけど、栃木も、影響出るのかなぁ・・・不安は消えないです。

放射能は、原発が落ち着いたとしても、すぐに消えるものではないから、怖いけど、首都圏の野菜事情はこれからどうなってしまうんだろう。


関東大震災のとき

2011年03月18日 05時33分23秒 | 日記

日本はどうなってしまうんでしょうか。

昨夜は寝ている間に、停電があった様子。

 

今回の東北地震、何と言っても津波が物凄かったですが、関東大震災の時の様子を、ちらりと、母が祖父から聞いたと以前聞いたことがあります。

そのころは、こんなに通信設備も、なかった時代なんで、地震が起こった時の様子は分からないですが、直ぐ側の海が、海水が全部引いてしまい、津波とかいう知識がなかったので、みんな海に降りてタコや貝を取っていたそうです。

 

その後今回のような津波が来たとは聞いていませんが、おそらくすごい津波はなかったと思われます。

祖父のうちはすぐ海辺にあるのですが、海水に浸水した、とか家が流されたとか言う話しは聞いてないです。

 

でも、基本的に祖父は昔を多く語らない人でした。きっと辛い記憶なんだと思います。

 

テレビの取材で、家屋から助け出されたおじいさんが、「再建しましょう」と言ったのには、すごく感動しました。日本が、強くなくてはいけない時ですね。

頑張りましょう。