芥川龍之介の顎と歯
芥川龍之介の文学といえば一部では「敗北の文学」(宮本顕治)と否定されながらも最近海外において、広く翻訳されたのをきっかけに 日本でも再評価されつつあるという。私も唯美的な 知性主義なそして芸術至上主義ともいわれる彼の文学に、中学生のころより、魅了されている一人である、それと同時に、彼の複雑な生い立ちから 三五歳で自殺に至るまでの短編小説のような彼自身の生涯に少し憧れのようなものすら感じている。
ここでは歯科医として、芥川の「顔」について述べてみたい。芥川の顔なり風貌は、大正時代より絶賛されており、「芥川龍之介の顔」(松本哉)という本まででている、それによると芥川の顔は、当時「美しい人」「きれいな人」「ハイカラだ」「都会的であかぬけている」などといわれていたという。また当時としては珍しく 彼のブロマイドが売られたり、コマーシャルフィルム(映画)に出演したりしている。
では、芥川の顔のどこに特徴があったのであろうか。彼の友人である小島政二郎は、「目が澄んで、長い睫で、深く黒々と叡智を湛へたいい目だった。」と述べているし、菊地寛は、「『芥川の唇』と云へば、僕達の間では一寸評判のものでした。・・・・・その唇と云ふのが真紅で紫色を帯び非常に印象的なものでした。」と記載している。
しかし、私は芥川の顔の特徴の第一は「顎(アゴ)だと思うのである。芥川の写真は殆どが正面から撮られておりだいたい口を閉じている。これからが、芥川のニヒリストのようなイメージを醸しだしているのであるが、よく見ると下顎が、妙に小さい。彼の顔が「三角定規を逆さにしたような顔」(彼の日記より)と言われるのもこのためである、私はこの点に着目し芥川は「小下顎症」と、それによる歯列不正(歯並びが悪いこと)いのかがひどく、唯美主義な彼はその醜い歯を隠すためにしっかりと基地を閉じていたのではないかと口を閉じていたのではないかと想像した。
「文学アルバム」などで、色々と彼の写真を渉猟した。少しだけ口を開けた写真や横顔の写真・彼の出演した映画(先のコマーシャルフィルム)などで、そのことが、裏付けられた。下顎は後退し 前歯部は歯列不正で、いわゆる「出っ歯」である。そして、それらにより、横からみると、口もとは、かなり突き出た感じとなっている。奥歯は、虫歯(歯列不正があると虫歯になりやすい。)あるいはそれより抜歯されたと、思われ、、真っ黒なのである。虫歯が多かったのは、事実のようであ彼の日記に、朝起きたら、歯の痛みが昨夜よりひどくなった。鏡に向って見ると、左の頬が大分腫れている。・・・・本郷の歯医者へ行ったら、いきなり奥歯を1本ぬかれたのには驚いた。」(大正六年、二十五歳時)などというのがある。特に彼の出演した映画でよくわかるのであるが、口を開けと、歯の醜形により、彼は別人の様に見えるのである。
一方、果たして芥川自身は、自分の顔のどこ注目していたのであろうか。彼は自身を「かっぱ」と称して自画像として河童を描いたり、同名の小説をかいた。これもやはり横からみると突き出た河童の顔に自身の顔が似ていると思ったのであろう。
もうひとつは「鼻である」。「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」を辞世の句として、選んだことにもそのことが、伺える。この句の短冊を自殺の前の晩に、伯母に、明朝友人であり、かかりつけの医師である、下島勲に渡すように言いそして致死量の睡眠薬を飲み永眠した。この短冊に「自嘲」とあるように、彼の絶望感を自画像として、表現したこの句は彼独自の美学であると思う。このくの「鼻」の意味のひとつは、「鼻」という小説を、彼の尊敬する夏目漱石に絶賛された、かつての栄光のことで、そのことだけをのこして「暮れ」てしまったということかもしれない。が、やはり彼自身は鼻を自分の顔の象徴として考えていたと思うのである。事実、彼の鼻は、写真で見ると高くてスラっとしている。
しかし彼の高い鼻というのは、顎が小さいために、相対的に高く見えたのではないかと考えられる。つまり、人類進化学てきに、猿人から原人・旧人新人と進化するうえで、あごが、進化し、相対的に鼻が高くなったという説があるがそれと同様の理屈である。つまり、かれのかおは、げんだいてきなかお、さらには、近未来の顔といえるかもしれない。
顔ばかりでなく、彼の多様な情報をもとにした文学ストレスに満ちた生涯、そしてまた遺書ににこした「ぼんやりとした不安」のことばは、この平成時代の現代社会にもなにか通じるものを感じるのである。
芥川龍之介の文学といえば一部では「敗北の文学」(宮本顕治)と否定されながらも最近海外において、広く翻訳されたのをきっかけに 日本でも再評価されつつあるという。私も唯美的な 知性主義なそして芸術至上主義ともいわれる彼の文学に、中学生のころより、魅了されている一人である、それと同時に、彼の複雑な生い立ちから 三五歳で自殺に至るまでの短編小説のような彼自身の生涯に少し憧れのようなものすら感じている。
ここでは歯科医として、芥川の「顔」について述べてみたい。芥川の顔なり風貌は、大正時代より絶賛されており、「芥川龍之介の顔」(松本哉)という本まででている、それによると芥川の顔は、当時「美しい人」「きれいな人」「ハイカラだ」「都会的であかぬけている」などといわれていたという。また当時としては珍しく 彼のブロマイドが売られたり、コマーシャルフィルム(映画)に出演したりしている。
では、芥川の顔のどこに特徴があったのであろうか。彼の友人である小島政二郎は、「目が澄んで、長い睫で、深く黒々と叡智を湛へたいい目だった。」と述べているし、菊地寛は、「『芥川の唇』と云へば、僕達の間では一寸評判のものでした。・・・・・その唇と云ふのが真紅で紫色を帯び非常に印象的なものでした。」と記載している。
しかし、私は芥川の顔の特徴の第一は「顎(アゴ)だと思うのである。芥川の写真は殆どが正面から撮られておりだいたい口を閉じている。これからが、芥川のニヒリストのようなイメージを醸しだしているのであるが、よく見ると下顎が、妙に小さい。彼の顔が「三角定規を逆さにしたような顔」(彼の日記より)と言われるのもこのためである、私はこの点に着目し芥川は「小下顎症」と、それによる歯列不正(歯並びが悪いこと)いのかがひどく、唯美主義な彼はその醜い歯を隠すためにしっかりと基地を閉じていたのではないかと口を閉じていたのではないかと想像した。
「文学アルバム」などで、色々と彼の写真を渉猟した。少しだけ口を開けた写真や横顔の写真・彼の出演した映画(先のコマーシャルフィルム)などで、そのことが、裏付けられた。下顎は後退し 前歯部は歯列不正で、いわゆる「出っ歯」である。そして、それらにより、横からみると、口もとは、かなり突き出た感じとなっている。奥歯は、虫歯(歯列不正があると虫歯になりやすい。)あるいはそれより抜歯されたと、思われ、、真っ黒なのである。虫歯が多かったのは、事実のようであ彼の日記に、朝起きたら、歯の痛みが昨夜よりひどくなった。鏡に向って見ると、左の頬が大分腫れている。・・・・本郷の歯医者へ行ったら、いきなり奥歯を1本ぬかれたのには驚いた。」(大正六年、二十五歳時)などというのがある。特に彼の出演した映画でよくわかるのであるが、口を開けと、歯の醜形により、彼は別人の様に見えるのである。
一方、果たして芥川自身は、自分の顔のどこ注目していたのであろうか。彼は自身を「かっぱ」と称して自画像として河童を描いたり、同名の小説をかいた。これもやはり横からみると突き出た河童の顔に自身の顔が似ていると思ったのであろう。
もうひとつは「鼻である」。「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」を辞世の句として、選んだことにもそのことが、伺える。この句の短冊を自殺の前の晩に、伯母に、明朝友人であり、かかりつけの医師である、下島勲に渡すように言いそして致死量の睡眠薬を飲み永眠した。この短冊に「自嘲」とあるように、彼の絶望感を自画像として、表現したこの句は彼独自の美学であると思う。このくの「鼻」の意味のひとつは、「鼻」という小説を、彼の尊敬する夏目漱石に絶賛された、かつての栄光のことで、そのことだけをのこして「暮れ」てしまったということかもしれない。が、やはり彼自身は鼻を自分の顔の象徴として考えていたと思うのである。事実、彼の鼻は、写真で見ると高くてスラっとしている。
しかし彼の高い鼻というのは、顎が小さいために、相対的に高く見えたのではないかと考えられる。つまり、人類進化学てきに、猿人から原人・旧人新人と進化するうえで、あごが、進化し、相対的に鼻が高くなったという説があるがそれと同様の理屈である。つまり、かれのかおは、げんだいてきなかお、さらには、近未来の顔といえるかもしれない。
顔ばかりでなく、彼の多様な情報をもとにした文学ストレスに満ちた生涯、そしてまた遺書ににこした「ぼんやりとした不安」のことばは、この平成時代の現代社会にもなにか通じるものを感じるのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます