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20世紀は遠くになりて

21世紀になってまだ10年ちょっとですが、懐かしいですね。
こんな時代でした。

赤塚不二夫

2012-12-30 | 日記
赤塚が亡くなって、何年になるのでしょうか?
葬儀のときの、「私もあなたの作品です」というタモリの言葉が記憶に残っています。

影丸と同時期のサンデーに、おそまつ君が連載されていました。
あまりギャグマンガには関心がなく、むしろ藤子不二雄のオバQのほうが
好きでした。

おそまつ君でも、いやみのシェーがはやりましたが、本当のブレイクは
マガジンの天才バカボンでしょう。
マガジンは、大学生までも読者対象としていったことから、そのギャグは
子供の範囲を超えていったような気がします。

赤塚は、晩年いわゆる植物状態になって、数年病院で過ごしましたが、
その間に2番目の奥さんが亡くなっています。
前の奥さんとも嫌いになって別れたわけでもなく、その辺の事情を
NHKが「二人の妻」としてドラマ化しましたが、再放送されるようです。

その原作は、赤塚本人ではなく、担当記者による
「赤塚不二夫のことを書いたのだ」という本だそうです。
最近読んで、そのことを知りました。

マンガ雑誌創生時の、編集者の本が何冊か出ていますが、面白いですね。
赤塚のアシスタントから、今でも活躍している中堅漫画家が何人も出ていますが、
いわゆるプロダクション制で、何人もでアイデアを出し合って描いていたのですね。

集まった才能ある漫画家たちが、赤塚の天才を見抜いて、自身を殺して、
協力していったことがわかります。
これを読むと、赤塚はゆわゆるプロデューサー兼放送作家のようなものだったみたいです。
そうであっても、赤塚の作品であることは間違いないですが。

赤塚も、その後独立して行こうとする彼らを、出版社に積極的に売り込んだようです。
彼らが独立して行った後の、赤塚の創作は歯が抜け落ちるようになって、
どうしたのだろうかと感じた覚えがあります。

この本の作者の、武居と言う担当者ですが、確かにマンガの中に出てきた記憶があります。
そのころの赤塚は、山田太郎などという改名をするなど、悪ふざけが過ぎると思い、
もはや笑えるマンガではなかったのですが、本人たちは真面目にギャグとしていたようです。

渡良瀬橋 八雲神社焼失

2012-12-09 | 日記
「渡良瀬橋」にも登場、八雲神社全焼…足利
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121209-OYT1T00486.htm?from=main7

森高千里が去年あたりから、ぼちぼち復帰して、「渡良瀬橋」を歌うことが
多くなりました。
その矢先に、残念なニュースです。
不審火ぽいので、なにかその影響もあったのでしょうか?

実は、足利にはよく足を運んでいます。
森高千里の歌に関心を持ったと言うより、行っているうちに、
こういう歌があるということを知ったのです。

さて、八雲神社ですが、歌詞の重要な役割を果たします。
結婚まで約束しようとした恋人と別れて、願いをかけます。
あの頃に戻りたいと。

よく知られていることですが、足利市の八雲神社は多数あります。
その中で、一番古く格式が高いのが、焼失した緑町の神社でした。
森高自身は、この神社だと特定はしていません。
しかし、イメージビデオに登場するのは、この神社でした。

この緑町の神社には、つい1ヶ月前に始めてお参りしました。
ああ、ここだったのかという印象でした。
僕自身は、よく行くもう一つの八雲神社、通五丁目の神社が、
歌詞にふさわしいと思っています。

それは、こちらのほうが本社建築が古く、立派に感じられるからです。
全体の雰囲気もよく、それに加え理由もあります。
まず、森高自身は実際には記憶になく、「やくも」という言葉から
歌詞に用いたと言っています。

しかし、彼女が作詞のきっかけになった大学の文化祭から
駅に向かう途中に視野に入ったのは、この神社しかありません。
その道沿いには、もう一つ重要な場所、床屋の前の公衆電話もあります。

もう一つ、通五丁目の八雲神社の後ろには、織姫神社が控えています。
こちらは、縁結びの神社なんですね。
織姫神社に行かず、八雲神社にお参りする、そうした女性の心情に
ぐっと来てしまいます、(僕の勝手な思い込みなんですけどね)

ともかく、八雲神社が、もし放火で焼失したとしたら非常に残念です。
ただ、先に書いたようにさほど歴史のある社殿ではないので、
ファンの呼びかけなどで再建させて欲しいですね。
そうすれば、再建された八雲神社が、本当に大勢のファンのものに
なっていくでしょう。

僕自身も、別の八雲神社を一人だけで思い込んでいけますしね。

伊賀の影丸

2012-12-09 | 日記
鉄人28号の横山光輝の忍者マンガです。
横山の忍者マンガと言えば、テレビドラマ化された赤影のほうが、
どちらかと言えば知られています。

初めて買った週刊マンガ誌で見て、ひきつけられた記憶が残っています。
「7人の影法師」の巻でした。
忍者の対戦が、スピィデーに描かれていて、今見ても面白いですね。

その当時、忍者映画や小説がはやっていて、その影響を受けたマンガであった
ようです。ようだと言うのは、映画や小説は全く関心がなかったので。
忍者をロボットに置き換えれば、鉄人になるし、アニメ化された頃のアトムにも
通じます。

文庫版を手に入れましたが、巻末にまともに江戸の忍者ーお庭番の解説が
載ってたのも面白かったですね。
伊賀と甲賀の争いどころか、両者とも徳川幕府に採用されていて、
江戸時代も半ばを過ぎると根来衆が中心になっていった。
その頃には、お庭番もほぼ単なるお役人になっていたようです。

さて、影丸ですが、その名前を白土三平の影丸から取っていたとは、
不覚にも思いつきませんでした。
あの反体制マンガの「カムイ伝」とは、まったく結びつきませんでした。

横山の影丸は、水戸黄門のように体制がちがちの忍者です。
幕府に敵対する相手に、心情的には同感することはあっても、平和な世の中の
維持には、幕府の安泰が不可欠であると独り言を言って終わらせます。

伊賀の影丸は、全編に渡って、忍者の忍術比べに終始していて、
連載当時は面白かったが、メリハリがないのも、テレビ化されない理由だったかも
しれない。
しかし、天の邪気という憎めない適役を配置しており、「バビル2世」などよりも
よっぽど面白いですね。

わな

2012-11-26 | 日記
スーちゃんが亡くなったのは、ショックでした。
まさに同世代でしたから。

アイドル全盛時代に登場したキャンディーズですが、僕にとっては
ストライクゾーンをはずれていました。

初めの頃の、スーがセンターだった頃は、ちょっと気になる存在でしたが、
ランがセンターになってしまい、あまり関心がなくなりました。
作詞作曲も、変わりましたしね。

実のところ、マイナー好みの僕としては、3人の中で言うなら、
地味なミキが好みだったので、解散間際のこの曲はよかったです。

でも黒の衣装と、大人っぽいと言うか、ミキに合わせた?地味な衣装でしたし、
振りもいまいちで、曲のイメージを壊していますね。

さらに、非常にわかりにくい詩ですね。
曲名の「わな」とはいったい何をさしているのか?
繰り返される「しくじった」とは、何を意味しているのか?

別れを言い出し、男の反応を見たというのが素直な解釈かな。
何か気に入らないことがあったのでしょうね。
別れ話をして、相手の本気を見るのは女の陳腐な手ですが、
これをわなと言っているのか?

男は、最初はちょっと冷たいんですね。
出て行くのを止めようとはしないで、「帰ってくればいいさ」と
突き放したりします。

しかし、泣く女に「座ったままでいなよ」と、そのままいるように、
言います。
最後は、「両手を拡げてしまう」、もう女が出て行かないのを確信します。

なぜ、出て行けないのか、それは男がふだん優しい行動をとっているから、
それを一つ一つ挙げていきます。
これが、わなだったのでしょうか?

結局、男も別れられない。
つまり、あいつはしくじった。

そして、あたしもしくじった。
本気になってしまったから。

そんなところかな?
この曲が出た頃には、解釈しようとさえしていませんでしたね。



コーヒーショップで

2012-11-26 | 日記
あべ静江さんのデビュー曲です。
作詞は、阿久悠さんだったのですね。

時代を反映して、非常にレトロな雰囲気が漂う曲です。
コーヒーショップなんて言っても、今ではドトールか、スタバか
それともタリーズぐらいしか思い浮かべられませんが、
大学の周辺には、雰囲気のある喫茶店がありましたね。

でも、そのマスターが、「今はフォークのギターを弾く」とか、
その前はどんな曲だったのかなど気になってしまいますね。
流行には敏感だと言うことなんでしょうけど、、、

また、客の学生が人生の悩みや恋愛相談を持ちかけていたなど、
時代を感じますね。
中村雅俊の「俺たちの旅」の世界でしょうか?

フォークもそうですが、僕にとっては少し上の世代に、
ちょっと背伸びした世界でした。
あべ静江さんも年上で、年上にあこがれる年齢だったので、
大きな瞳に引き寄せられていました。

この間、テレビで久しぶりに見かけたら、バラエティでいじられていました。
この方が、還暦まで一度も結婚しないなど、想像もつきませんでした。
ただピークを過ぎて数年ぐらいに、ふとめと言うか、むくんだような顔に
なっていたので、ちょっとがっかりしたことを覚えています。