赤塚が亡くなって、何年になるのでしょうか?
葬儀のときの、「私もあなたの作品です」というタモリの言葉が記憶に残っています。
影丸と同時期のサンデーに、おそまつ君が連載されていました。
あまりギャグマンガには関心がなく、むしろ藤子不二雄のオバQのほうが
好きでした。
おそまつ君でも、いやみのシェーがはやりましたが、本当のブレイクは
マガジンの天才バカボンでしょう。
マガジンは、大学生までも読者対象としていったことから、そのギャグは
子供の範囲を超えていったような気がします。
赤塚は、晩年いわゆる植物状態になって、数年病院で過ごしましたが、
その間に2番目の奥さんが亡くなっています。
前の奥さんとも嫌いになって別れたわけでもなく、その辺の事情を
NHKが「二人の妻」としてドラマ化しましたが、再放送されるようです。
その原作は、赤塚本人ではなく、担当記者による
「赤塚不二夫のことを書いたのだ」という本だそうです。
最近読んで、そのことを知りました。
マンガ雑誌創生時の、編集者の本が何冊か出ていますが、面白いですね。
赤塚のアシスタントから、今でも活躍している中堅漫画家が何人も出ていますが、
いわゆるプロダクション制で、何人もでアイデアを出し合って描いていたのですね。
集まった才能ある漫画家たちが、赤塚の天才を見抜いて、自身を殺して、
協力していったことがわかります。
これを読むと、赤塚はゆわゆるプロデューサー兼放送作家のようなものだったみたいです。
そうであっても、赤塚の作品であることは間違いないですが。
赤塚も、その後独立して行こうとする彼らを、出版社に積極的に売り込んだようです。
彼らが独立して行った後の、赤塚の創作は歯が抜け落ちるようになって、
どうしたのだろうかと感じた覚えがあります。
この本の作者の、武居と言う担当者ですが、確かにマンガの中に出てきた記憶があります。
そのころの赤塚は、山田太郎などという改名をするなど、悪ふざけが過ぎると思い、
もはや笑えるマンガではなかったのですが、本人たちは真面目にギャグとしていたようです。
葬儀のときの、「私もあなたの作品です」というタモリの言葉が記憶に残っています。
影丸と同時期のサンデーに、おそまつ君が連載されていました。
あまりギャグマンガには関心がなく、むしろ藤子不二雄のオバQのほうが
好きでした。
おそまつ君でも、いやみのシェーがはやりましたが、本当のブレイクは
マガジンの天才バカボンでしょう。
マガジンは、大学生までも読者対象としていったことから、そのギャグは
子供の範囲を超えていったような気がします。
赤塚は、晩年いわゆる植物状態になって、数年病院で過ごしましたが、
その間に2番目の奥さんが亡くなっています。
前の奥さんとも嫌いになって別れたわけでもなく、その辺の事情を
NHKが「二人の妻」としてドラマ化しましたが、再放送されるようです。
その原作は、赤塚本人ではなく、担当記者による
「赤塚不二夫のことを書いたのだ」という本だそうです。
最近読んで、そのことを知りました。
マンガ雑誌創生時の、編集者の本が何冊か出ていますが、面白いですね。
赤塚のアシスタントから、今でも活躍している中堅漫画家が何人も出ていますが、
いわゆるプロダクション制で、何人もでアイデアを出し合って描いていたのですね。
集まった才能ある漫画家たちが、赤塚の天才を見抜いて、自身を殺して、
協力していったことがわかります。
これを読むと、赤塚はゆわゆるプロデューサー兼放送作家のようなものだったみたいです。
そうであっても、赤塚の作品であることは間違いないですが。
赤塚も、その後独立して行こうとする彼らを、出版社に積極的に売り込んだようです。
彼らが独立して行った後の、赤塚の創作は歯が抜け落ちるようになって、
どうしたのだろうかと感じた覚えがあります。
この本の作者の、武居と言う担当者ですが、確かにマンガの中に出てきた記憶があります。
そのころの赤塚は、山田太郎などという改名をするなど、悪ふざけが過ぎると思い、
もはや笑えるマンガではなかったのですが、本人たちは真面目にギャグとしていたようです。