DARAぴあん

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

友達

2019-09-28 17:56:00 | 日記
40歳半ばも過ぎてもう50手前になってきた。

ふと、たまに「何か悩みは無いか?」
と聞かれる

仕事や家のことなどはもちろん常に何か考えたり悩んでいたりはします。

しかし、それ以外のことでの悩みや気になっていることといえば、おそらく友達という言葉


自分の周りを見渡してみる

全然友達がいない

普段、遊びに行くのは嫁ばかり

他には友達同然の付き合いをさせてもらっている姉と義兄
趣味のことまで姉と義兄に付き合ってもらっている

そして、趣味のピアノのサークル

他の付き合いが全くない

この状態を悩んでいるわけではない

むしろ充実しているとも思っている

小中高、学生時代、どの時代の友人も今は無し

数年前までは月一くらい大阪まで泊まりで出て飲みに行ったりバカしあえる友達はいた

それも切れてしまった

どちらが悪いというわけではないが、僕にも非がある部分がある

ふと、今の生活の中で、過去の友達関係が続いていたら?
と考えることがあります。

今、僕が夢中になっていることといえばダントツでピアノです。
そして、もし、もう少し時間が取れれば始めたいのが絵を描きたいです。

今までの友達付き合いの中では、そういった、ピアノや絵を描くことを趣味とした付き合いは全くありません。

ただ、会えば昔を懐かしんで飲んで、しゃべって、たまにあてもなくドライブをする

そんなことをしてました。

そして、今はそんなことに価値が見出せてない自分がいます。

強がりなのかなんなのかはわからないですが、過去を振り返ってる時間が無駄な気がしています。

そんな事をするならピアノの事に時間をかけたい

ただでさえ、中年も過ぎてきてしたい事、弾きたい曲は山ほどあるのに、仕事、家庭、趣味、それ以外に時間を費やしたくはありません。

ということで、今は充実しています。

悩みはここからなんです。

やはり、友達はかけがえのないものという事は色々な方々から耳にします。

もちろん、経済的な援助関係のやり取りのあるような友達付き合いというのは、僕個人としては友達では無いと思ってます。


今までの友達関係を断捨離のようにスパスパ切ってしまってますが、これから先、歳を重ねるにつれてそれが寂しさにつながってくるかどうかがわからないです。

今まで切れてしまった友達に対して、もう一度話をしたいとかは無いのですが、そういう想いがまたいつぞや出てくるのか?

もともと、1人で行動することが好きなので一人になる事に抵抗はないけど、そうは言ってもなんやかんやと周りに身内であったり誰かは人がいる。助けてもらってる。


なので、本当の一人という孤独はまだ知らない世界。


そんな時に今までの自分の行いを最大限に後悔してしまうのか

それがどうなるのかは、全くわからない

今までの友達に対して行ってきたこと、多分正解では無いと思う。

付き合いのある時は、友達として義理を通してきたつもりではいますが、切れる時は切れてしまう


どちらかというと不正解に近いかも


かと言って、不正解をもう一度解き直そうとも思わない。


ただ一つ、ありがたいことに、少なからず新たな出会いもあります。

こうして、今まで考えてきたこと、疑問に思ってきたこと、そういう事を考えながら過去を振り返らず、目の前にいる人間関係を大切にしていきたい


振り返ってしまうから、後悔が始まってしまう


それならば、振り返ろうとしないくらい前を向いて突き進めば良い


その原動力がピアノであり、そのピアノを通じて知り合った友達を大切にしていく


何が正解かはわからないけど、自分の中でわかる範囲で正解を探し出して、迷って、また悩んでいくのでしょう


もしかしたら後悔はあるかも知れない


だけど、最期に自分が納得できればそれが良い


グチ

2019-09-17 16:04:00 | 日記
先日、演奏会でシューベルトを聴いて、感動して、そこからシューベルトを聴いたり、また弾きたくなって弾いたりもしてる。
弾くといっても休みの日に、ガッツリ練習する時間は無いので、昔弾いていた曲を流すくらいのことしかできないけど。

シューベルトを弾いてると今度はシューマンを弾きたくなって、そしてベートーベンを弾いたりしてます。

ベートーベンはエコセーズを弾きましたが、結構好きな曲で、またもし練習会などで弾ける機会があればしっかりと仕上げていって弾いてみたいとも思ってるくらい、今ハマってます。
エコセーズは初級レベルですが、しっかりと仕上げようと思うとなかなか大変な曲です。

僕にしては珍しくロマン派をよく聴いてます。
フォーレのノクターンはしっかりと指の確認練習ができてなく、中途ハンパに流して弾くと、弾けば弾くほど悪いクセがついてしまい、最近ドンドンと下手になってしまってます。
これも、今はしょうがないです。

とにかく、弾く時間が無い中でピアノが嫌いにならないレベルに弾いてるだけです。
なので、上手くなるより、今は自分がリラックスするためだけに弾いてます。

ただ、今のところ計画通りではあるのですが、どうしても不安と焦燥感が押し寄せてきていて、落ち着きのない日々を過ごしてます。
自分としてはやることはやって、多分今のところ大丈夫と思えるレベルと思ってるのですが、不安と追い込まれ感から抜け出せません。

もうすこし、今度の連休はさらに追い込みます。

よくわからない文章になりましたが、今の僕のグチです。
どこにも吐き出すところがなくここで吐き出させてもらいました。

すいません。

徒弟制度

2019-09-14 18:00:00 | 日記
僕の仕事の業界では、徒弟制度というのが当たり前の世界でした。


今の流れで徒弟制度というのは古臭くて、まだやってる所もありますが、あまりそういう制度ではやっていけないようです。


まず、スタッフが集まりません。


今で言ったら、超ブラックというのが当たり前で、安い賃金で長時間働く状態です。


安い賃金で働く代わりに、技術であったり様々なノウハウを教えてもらうという部分もあります。


なので、働いているというより完全に最低限の生活費をいただいて修行させていただいている、というそんな感覚です。


教えてもらうためならこっちも必死なので、師匠が言ったことは基本全てイエスになります。


それが、本当に全て正しいことばかりなら問題ないかもしれませんが、それがエスカレートして変なことになることもよくあります。


仕事も8時間労働なんて無いに等しく。一通りの仕事が終わっても、ノウハウを学ぶため、教えていただくため、修行という名文のもとにひたすら残る。

師匠からすると帰ってもいいのではあるけど、残っておかないと色々と盗めることもなくなる。


そして、こちらもどんどんマヒして、ノウハウやテクニックを学ぶということはどうでもよくなり、それよりも、師匠が気に入ってくれるような態度を取らないと、置いていかれるのではないか、取り残されるのではないか、、と不安になり、どんどんと自分プライベートを削って、帰ることができなくなる状況に追い込まれてしまいます。



こんなことばかりでなく、良い師匠もあるのでしょうが、狭い組織の中で言うことを聞いてくれる人ばかりいると、自然と世間の見えないお山の大将になってしまう方は多いようで。


特に僕の世界には多いです。

師匠が右と言えば右、これはもう基本です。


下手をすれば法に触れることでもやり兼ねない状況です。


自分の意見を持つことはできず、帰りたくても、風邪引いても修行という名のもと長時間拘束され、盆正月も、修行の名のもとに研修に連れていかれ、終業は深夜2時3時、休日無し

そんなことは当たり前です。


ただ、一番しんどいのは過酷な労働時間というよりも、精神です。


自分という人間性を完全に消して弟子として過ごすので、自分らしさがなくなる、自分の人間性がわからなくなる、そういう苦悩が大きいです。


徒弟制度全てがこんな師匠ばかりではないですがそういう方が多い世界です。


一つの場所に勤めてそこでの環境がこういう徒弟制度で、その次の場所でも同じような師匠でした。

また、取り込みやすいという僕の性格も災いしています。

師匠に対しては気に入られたい、取り残されたくない、嫌われたくないという思いが強く出過ぎて、今から思うと間違った行動ですが、ハッキリとNOと言えずにそのままどんどんと言いなりになってしまうのも仇となってます。


ただ、良いところもあって技術の伝承という点ではこういう方法もありかと。

技術を教えて、すぐに辞められてしまっては指導する立場としてもやってられず、どんな仕事もそうですが、技術は教えてもらっても最後には経験がものをいってきます。

同じパターンということはなく、良い武器を持っていても使い方や使うタイミングで効果は全然変わります。


そのためには徒弟制度の中で給料が安い状態でもしっかり習得してからというのが良い部分もあります。

でも、今の時代にそぐわず、労働基準法であったりコンプライアンスの面からみても少なくなってきてます


修得することはできるかもしれませんが、僕としてはおススメできないです。


やっぱり、自分の人間性が最大限に活かされる世界でない自我がわからなくなり、自分を大切にすることができなくなりますよね。

八方美人

2019-09-13 08:08:00 | 日記
僕はどちらかというと八方美人と言われる類です。

男なんで八方美人とはあまり言われませんが、それに近いことはよく言われます。

人の集まっている集団の中で、基本的に誰に対しても同じように、出来る限り笑顔で、敵対することもなく、人当たり良く接してしまいます。

誰も傷つけることもなく、場は盛り上がり、和気あいあいとします。


良いことです。


しかしなんでしょう


最近、あまり良い意味に捉えられてないような気がします。


八方美人といえば、媚びているとか、常に誰かの気を引こうとしてるとか、自分が中心にいないと機嫌を損ねる自己中じゃないか

とか


そんなことをよく言われました。


何が悪いのか?


たまに、本当に自分が中心でないとダメな方もおられます。

特に気になる異性がいる前でそういう風に振舞ってる方はおられます。

ただ、そんな人はすぐにわかります。


本当の八方美人はなかなか生易しいものではないです。


自分が苦手や嫌いな人に対してでも同じように振る舞います。


そりゃ、誰に対しても悪い印象を与えたくない、良い印象を持ってもらいたい。

そういうことは常に思ってます。


これが、セコいことなのか?


卑しいことなのか?


自分をよく見せるために作ってしまってる? 


本当の自分ではない?


そんなことはない


人前で自分をよく見せるために振舞ってる姿も本当の自分


そもそも、人との繋がりの中で人に良い印象を持ってもらいたい


このどこが悪いのか


そのために、他人のために出来るだけ傷つけないよう 


他人に出来るだけ優しく接しよう


そのために他人の顔色を必死で伺い


他人の話を笑顔で聞いて


他人の話に合わせて


そして誰も傷つかないよう自虐を貫く


何がいけないのか

人一倍、コミュニケーションには気を使い


疲れて


メンタルもやられて


人嫌いになる時もある

周りからはいつも明るく振舞ってる分、悩みがなさそうとか、友達いっぱいいそう
とか言われるが、

悩みだらけ

友達はぜんぜんいない


でも、それが自分であり、そういう性格なので八方美人はやめられない

というより、今ではこの八方美人に誇りを持っている。


これが自分の性格だと自信を持ってます。 


それを調子こいてると言う人はそう思えばいい


ただ、わかってくれる人はいる。

わかってくれる人は少なくてもいれば良い。

そういう人を大切にしていきたい。

僕の武器

2019-09-11 19:05:00 | 日記
小学生から中学生にかけてはどうも集中的にイジメられてたわけではないけど、そういう対象になったり激しくいじられることが多かったです。

背もとても小さかったのもありますが、小さいクセにお調子者で、少しふざけてからかったりもしてたので、余計にそんな対象になったと思います。

これは完全に僕にも非があります。
でも、こういう態度しか知らなかったのかもしらず、小・中学生とあまり楽しい記憶がありません。

高校は男子校でした。

男子ばかりなのでイジメられるのか、とか不安でしたがある事がキッカケで一気に楽しくなってしまいました。

それが自虐ネタです。

男子ばかりで不安で、調子に乗る事も出来なかったので、誰かをおちょくることもできず、自分を落として話をしてたところ、これが受けて、いつのまにか周りに人が数人集まってました。

今までで、僕の周りに人が集まってくることは無く、寄って行ってた方なのでこんなにうれしいことはなかったです。

その時から基本的に僕のコミュニケーションは自虐です。

そして、自分がバカになることでした。

これが最善とは思いませんが、僕の性格にはおそらくピッタリだったのでしょう。

もともと、自信に満ち溢れた性格でも無く、自信が無い性格です。

自虐というのは自分を貶めているので、他人を攻撃する事がありません。そして面白おかしくネタにできれば、僕さえ気にしなければ、みんなが楽しい。

そういう風になってしまいました。

そのために自分がバカになれば、相手はあまり攻撃もしてきません。

たまにこちらがバカになってるとそれに調子付いてしまい、とことん追い込んでくる人もいますが、そういう時もひたすら耐えます。

でも、こうして何十年とこうしてきてるので、今ではこういうコミュニケーションしか取れませんが、こういう色合いの人間になってしまったんでしょう。

良いか悪いかわかりませんが、こういう性格になってしまいました。


多様な性格があって良いんでしょうね。