随喜功徳 (逆のものさしをもってみませんか)

黙々と穏やかにさり気なくおまかせする

20170909

2017-09-09 06:15:46 | 日記




喧嘩がはじまる、生きるために。それが本能である

戦いと喧嘩は少しちがう。喧嘩は揺れ動く欲と防衛である。
それぞれ、欲の渇望が強くなると、その欲のとりことなり、人は阿修羅と化す。
欲の化身は、その欲が満たされると、人と化す。

常に、緊迫の状況に二十四時間浸かっていると、強く張っている弦と同じで、少しストレスが加わるとその糸はいとも簡単に切れる。

このような状況の時はむしろ喧嘩がはじまる方が、まだまだエネルギーがあるのだも思う。絶望感に陥ると「喧嘩」はない。欲望がなくなるからだ。

「私は生きる、生きるぞ、祖国に帰る」その思いの強さが仲間同士の喧嘩となる。

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生きる
小野田寛郎 著

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こう言う極限でのお話を目にすると
身につまされます。祖父はどういう思いで
戦地で生き散っていかれたのか。。
そして、そういう大先輩のお陰で
自分は生きてるのだという事を忘れない。
ただ、普段はヘラヘラでいい。なんかあったら切り換えてしっかり、立つ。生きる。