「悪影響は…」(2024/3/31)
「『世襲』でも 『個人商店』 などならば 悪影響は 小さいのだが…」-。
きょうもごく普通の多くの人たちが日ごろから疑問に思っていてもなかなか現実味を持って考えることができない「素朴な疑問」について、あえてありがちな物の見方とは少し違った角度から物事を考えてみることにしようと思います。どうやら世の中には、いわゆる「世襲」などと呼ばれるべきことをあえてしようとする人たちも、またいわゆる「世襲」などと呼ばれるべきことを容認しようとする人たちも多くいるようです。そもそもいわゆる「世襲」などと呼ばれるべきことを容認したり容認されたりする人たちは自分たち以外の人たちの存在を意識しているのでしょうか?
いわゆる「世襲」が問題になるのは、社会の中の多くの人たちに対して非常に大きな影響を与える可能性が高い「大きな組織」であることが多いように思われます。例えば、地球上に無数に存在する「個人商店」や「零細企業」のような「非常に小さな組織」の場合には、いわゆる「世襲」が問題になることはほとんどないのだろうと思います。「個人商店」や「零細企業」のような「非常に小さな組織」の場合には、一般的に社会に与える影響が非常に小さいのでそこに所属している人たちがいわゆる「世襲」でもいいと思うのならばそれでもいいということに基本的にはなるのだろうと思います。しかし、社会の中の多くの人たちに対して非常に大きな影響を与える可能性が高い「大きな組織」の場合には、その「大きな組織」に所属している人たちの大多数がいわゆる「世襲」を容認したとしてもそれで問題なしということにはならないのではないかと思います。「大きな組織」の場合には、いわゆる「世襲」が容認されると同時に社会の中のその「組織」に所属していない多くの人たちに対しても非常に大きな影響を与える可能性が高くなるのです。あえて言い換えるのならば、社会の中のいわゆる「世襲」を容認していない人たちもいわゆる「世襲」の悪影響から逃れることができなくなるのです。そもそもいわゆる「世襲」などと呼ばれるべきことを容認したり容認されたりする人たちは自分たち以外の人たちの存在を意識しているのでしょうか? もしも社会の中のその「組織」とは無関係の多くの人たちに対して非常に大きな影響を与える可能性が高い「大きな組織」でいわゆる「世襲」が容認されるのならば、社会の中のいわゆる「世襲」を容認していない人たちもいわゆる「世襲」の悪影響から逃れることができなくなるのです。きょうのところはあえてそのことを指摘した上で強調するだけにとどめることにしておきます。