HappyChristmas

絶望した患者が見つけた生きる価値

9/1の花言葉
ムラサキツユクサ
貴ぶ


あなたも望まれてこの世に生まれてきた大切な人なのですよ
マザー・テレサ


昨日.8/30の朝日新聞be
それぞれの最終楽章
「病気の自分は生きる意味がない」

淀川キリスト教病院のチャプレン(牧師)の証が掲載されています。
ホスピスが日本に受け入れられてから、まだ浅い年数ですが、
病のなかで苦しむ人が人生の最期に平安につつまれて天国への旅立ちの準備をできる場所があることは、地上の天国、救いだと思います。

どんな人も、神に愛されている。
どんな人も、天国に還れる。
わたしはそう信じています。

*****
多発性骨髄腫を発症した61歳のTさんは、揺るぎない価値観を持っていました。
「病気の自分は生きる意味がない」というものです。
ですから、病気が分かった時に「早く死のう。治療はしない」と決めました。

続きは朝日新聞サイトで。

https://www.asahi.com/articles/ASM8W624TM8WUCFI007.html?iref=pc_ss_date


*****
今日はわたしの愛する父の誕生日。
生きてたら・・・と年齢を数えながら
父の娘として生まれてこれたことを心から神さまに感謝し、
芦屋の教会の第一日曜礼拝に行きました。

帰りに、ケーキが良い?和菓子が良い?
父に聞くと、祖母がつくっていた饅頭と・・・。
レシピを遺してくれなかった祖母と母。

近所の和菓子屋さんで父が好きだった和菓子を買ってきて、ささやかなお祝いパーティをしました。
神さまに感謝のお祈りを捧げました。

父は、洗礼を受けた1997年1月から半年後の父の日に、
「肺がんになって悪性と言われた。末期だそうだから祈ってほしい。
お前の兄と妹には動揺するから言わないでくれ。」と電話をくれました。
父の日の贈り物をしたお礼の電話でした。

末期だなんて・・・タバコの害が母に行くことを知って喫煙をやめて10年目でした。
どんなに忠告してもやめなかった父が、母に危害が行くことを知っただけでタバコをやめたという愛を知って、
二人の娘としてのしあわせを感じていました。

悲しみに沈む父の声を聞きながら、わたしは、
「父さんは洗礼を受けているから、大丈夫だよ。父さんには永遠のいのちが与えられているんだよ」
と言いました。

最初の手術の日、片方のがんは消えて、もう片方のがんは切除できて、
執刀医から「こんなにきれいながんははじめて見た」と言われた手術後の証を聞きました。

父は、「同じ部屋から何人も手術室に向かって出て行ったんだよ。
でも、誰一人帰ってこなかった。自分は戻ってこれた。
このいのちは、生かされているいのちだとわかった」と感謝して言いました。

それから17年間、父は奇跡的に生かされました。
3回目の手術はわたしの誕生日でした。
熊本に帰って父の手術に立ち会った時、執刀医は、
「神の介入しかない手術でした。」と仰ったほどに、父は生かされていました。
大雨だったのに、祈った途端にやんで太陽が出てきたり、多くの奇跡が起きた誕生日でもありました。

アスベストの被害を受けたことを聞いたのは、4回目の再発の時でした。
「もう終わりかもしれない」
父はそう言いました。
祈りが続きました。

大阪と熊本が離れていることを何度も辛く思いました。
最期は偏った健康食品販売トークに乗ってしまって、
身体を冷やして肺炎になって急速に体力が落ちてしまいました。
薬事法違反(現在の薬機法)で訴えたいと心の中で思ってしまったわたしに、
父は「訴えないでくれ。買った自分が悪いんだ」と言いました。

父が天に還った一年後、その会社が違法トークで行政指導、業務停止命令を受けている報道がありました。
すべてのことを神さまがご存知なのだと、改めて感謝し、祈りました。

父は、付き添っていたわたしに、罪の懺悔をしました。
はじめて聞いた父の苦しみ、痛みでした。
父が生まれる前から父を知っておられて、父を愛して下さり、まるごとゆるし、
救って下さった神さまがおられるから、心配しないで良いことを伝えると、父は平安に包まれました。

父は最期に、孫にあたるわたしの娘の結婚式のために、
熊本から飛行機で沖縄に来てくれた際に、空から見た海の美しさに感動した光景を思い出して、
「あの光景は忘れられない。綺麗だった、本当に綺麗だった。招いてくれてありがとう」と言いました。
(沖縄の海のために祈りを続けるのは、天の人たちも同じです。
辺野古の海を傷つけない&基地反対の祈りを続けています。)

そして、
何度も、「しあわせ、しあわせ・・・」
父はそう言って天に帰りました。

父の脈が止まった時、わたしはすぐに父の霊を主にお返しする祈りをしました。
瞬間に、父はわたしに声をかけてくれました。
あまりにも不思議な体験でした。
告別式が終わるまで、父との会話はリアルに続きました。
不思議なことに、いまも礼拝の賛美の中にいることがわかります。
今日も、永遠までも・・・。
礼拝は天と地をつなぐパイプ、通り道だと思えるようになりました。

天に還った人と共に、
永遠の世界に置かれていることを感謝しています。

神さまのつくられたすべてのいのちが
生かされていることを知り、
喜びに生きることができますように。
Name Jesus、Amen.

”神は、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである。
(ヨハネ3:16)”
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