そこには良心の問題もあります。”もっとよくやるべきだったのに”と。
私たちは生きたように死ぬものです。
死とは人生の続きであり、また、人生を完成させるだけでなく、体をお返しするに過ぎないのです。
しかし、心と魂はずっと永遠に生き続けます。
死なないのです
マザーテレサ


All Soul's Day
11/2は死者の日だそうです。
10/31は宗教改革記念日でした。
マルチン・ルターさえも止められなかったヨーロッパの習慣だそうです。
天と地が一つであることがわかったら、イエス・キリストさまの名前を使って、彷徨う霊も天国に送ることができます。
わたしは阪神大震災や、自殺の名所、また、かつて住んでいた住宅など・・・
数多くのシーンで体験してきました。
イエス・キリストの名前を知らなかったときは恐怖でした。
この名前に力があることを知って祈ったときから、
恐怖が十字架の凄さ、愛の力の素晴らしさへの感動に変えられました。
霊はすべてキリストの名前に服従するのです。
ただ、注意しないといけないのは、
死の世界は神さまの領域ですから
感謝して聖霊様の導きで祈ります。
彷徨う霊、また諸霊にも、すべての被造物にも、
唯一勝利をする名前、従うべき名前はイエス・キリストのみです。
万物が従うように
神さまがお決めになられたことだからです。
キリスト教会では、悪霊追い出しをするところもあります。
この祈りを怖いと思うこともあります。
悪霊よ出て行けと、
自分が祈られたら悲しい。
悪霊やサタンはほんとうにいます。
聖書にもたくさん書かれています。
わたしが通っている教会では、
イエス・キリストさまの名前によって、
愛よ満ちよ、いのちよ満ちよ、光よ満ちよ、あふれよ!!
と祈る祈りを初期に聞いた時、この祈りだと感動しました。
主の愛が満ち溢れることで、
十字架にすべてが吸収されていくことを確信しました。
様々なシーンで感じる時、祈ると空気が変わります。
十字架の中にしか答えがありません。
悪霊が出ていって何処かに行くのでは、また被害が起きます。
なんという美しい十字架の愛、
これが神さまの愛なんだと思いました。
十字架が完成しているからです。
彷徨う霊は素直に、
ここだ~と言わんばかりに十字架のなかに帰ります。
愛と平安の風が吹きます。
そして、
サタン悪魔ももちろん、十字架に吸収されます。
何かを感じたら祈ること。
そうすれば、
神の愛がそこに働いて最善となります。
死者のために祈る時、
永遠のいのちの世界で、
天と地がひとつになって、
一緒に賛美を捧げる世界を知るのです。

”キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
キリストは人間と同じようなかたちになり、自分を卑しくし、
死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
(ピリピ2:6~11)”
”キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。(ピリピ3:21)”