人が失敗したときでも、
神は、方法を見つけて下さいます。
(マザー・テレサ)
”異言は、信じる者のためではなく、
信じていない者のためのしるしですが、
預言は、信じていない者のためではなく、
信じる者のためのしるしです。
(コリント第一14:22)”
兄の耳鳴りがひどくて、兄が神さまを求めていた頃、
私に聖霊のバプテスマを導いてくださった伝道者の集会に来てくれました。
その場に、ご自身の息子を私に、
とおっしゃっていたおばあちゃまも来られていました。
みんな、聖霊の導きでいらしているのだなあと、感動して見ていました。
ところが、そのおばあちゃまが突然、異言?で祈り始められたのです。
表現は良くないのかも知れませんが、
お経をもっと気持ち悪くしたような祈りで、私も不安を感じました。
すると、兄が
「気持ち悪い!帰る!}
そう言って会場を出て行ってしまいました。
このことがあってから、神さまの話がしづらくなりました。
耳鳴りがひどくなるたびに、電話がかかってきました。
祈ると落ち着いて電話を切る兄に神さまが触れてくださっていること、
いやされることを信じて祈り続けました。
兄は私の病気がいやされたこと、
娘の聞えなかった耳がベニーヒンの日本クルセードでいやされたこと、
母が礼拝をしている部屋に泊まった翌朝、
無条件でいやされ、
両親共に救われたことを聴いてくれていたので、時を待っていました。
幸いにも、教会に来てくれて洗礼を受けてくれたので、
その後は心配しないで祈り続けていました。
教会でも祈られると、人が倒れたり、小さな声で異原を祈っている人もいましたが、
あのときほどではありませんでした。
コリント14章にはそのことが書かれています。
読むたびに、兄のことを思いだしてしまいます。
デザイナーの仕事をしているので、PCを使わない日はありません。
電磁波の害を受けていることも明確です。
真夏の蝉が鳴く声のようなものがずっと耳もとに聞えてて狂いそうだと、よく言っています。
でも、
祈りが聞かれないから、自分で治すと言って、様々な世にあるものを求めています。
原因となるものを少しでもやめて、
対処するしか方法はありません。
神の時がいつか、しるしとして与えられるでしょう。
素直に祈ってくれと電話をしてきていた頃の喜びを忘れないで・・・
毎朝、祈り続けています。
神はけして、忘れてはおられず、時を用意してくださっています。
人の世界に行くと、
時として、
傷ついたり、
いやな思いをしたり、
二度と行かない思いまで出てきます。
いつも新しい人、初めての人が来ることを忘れないでいたいと思いました。
土曜日に、教会スタッフから、
8月の集会に行くとの電話を受けました。
まだコロナが・・・と伝えても通じませんでした。
色んな意味で感染のこと、
シェディングのことを伝えても通じなくて、
祈りながら、言えない思い(かつて、Rubyが受けた香害など)
のことも思いだして、
今は訪問者限定でいるのでご理解をお願いします。
無理でしたら、はずしていただいて構いません。
そう答えると、やっと、
わかりましたと言って電話を切ってくださいました。
電話のあとで静まって祈りました。
重たくなってしまって、
しばらく賛美を続けました。
悪いことをしているのでしょうか?
この重荷もわたしのところに返しなさい。
十字架に返しなさい。
そんな声を聴いた気がしました。
重荷をすべて負って下さるイエスさまに
すべてをお返しすることができて感謝でした。
日曜日のみことばを祈り、
誰もいやな思いをしないように、
私の言葉で不適切な言葉があったら修正してください。
分断社会、グローバル社会のことも祈りました。
話しても通じない部分があるときは、
心で祈るしかありません。
関わる人たちが一つの霊のなかでありますように。
「あなたの霊が喜ぶところに行きなさい。
わたしは、いつもあなたと共にいるよ。」
昨日、バスから降りて教会まで歩いている道でそんな声を聴いて、
「そうなんですね。
私は神さまだけを礼拝します。
人でも自分でもなく、イエスさまの十字架を見上げて礼拝します。」
そう答えると、聞こえてきたことばにメロディがついてきました。
わあ、嬉しい♪
教会まで賛美しながら歩いて行ってる間、
嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
礼拝のタイトル「「賛美歌の原点」
として、
出エジプト15:19~21
ミリアムの賛美
コリント第26:1~10
でした。
神さまはすべてをご存じでひとつの霊の中で語られていると感謝しました。
礼拝が終わった時、私がいやされた時の導き手として
神さまがお遣いになられた婦人が近づいてこられました。
つい最近、元の教会から転会されたばかり・・・
不思議な導きです。
いつも私のことを気にかけて下さっている婦人に教会で再会した時は、
神さまってすごい!と思いました。
教会の牧師が変わってから、
「自分がいないとダメだからお仕えするのよ」
と仰っていた教会優先の婦人にも、
この30年ほどの年月で
色んなことがあったとのことでした。
5人もいない教会になっていると聞いて寂しく思いました。
私が離婚する時に親子で通って教会学校の奉仕をしていた教会を懐かしく思い祈りました。
婦人から改めて牧師先生に紹介されて話していると、
先生は、「時のしるしですね」
と言われました。
ローマ教皇フランシスコが来日された時のテーマ曲、
PROTECT ALL LIFE〜 時のしるし 〜
まで響いてきて、天使たちも賛美しているようで、
嬉しい思いで帰ってきました。
なぜか、バス料金は再乗車1時間以内無料のはずなのに、
時間を過ぎていたのに無料でした。
イエスさま感謝!!
バスを降りるときも、運転手さん、乗車の人たちに祝福を祈りました。
娘にもLINEすると、喜んでくれました。
礼拝の日は神さまの贈り物がいっぱいです。
昨日のみことばも、
今朝のみことばも、
今日のマザーのことばも、
イエスさまはどんな目で、
どんなハートでみておられ、
接して下さるかを思い、
心から感謝しています。
主は、御名のために、わたしを正しい道に導かれる。
(詩編23)
キリエ・エレイソン
Amen.
7月24日の花言葉
スイレン
純潔・清浄・甘美・清純な心・信仰
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