マザー・テレサ

1/22はわたしの両親の洗礼記念日でした。
雪の朝、起こった母の無条件のいやしは、
両親が救われて欲しいと願ったわたしにとって、
神さまの御業をさらに知らされた奇跡でした。
30年以上前、
田舎の道路工事の現場で、突然、ダンプカーの土砂が工事をしていた多くの人の上にかぶさって、
そこにいた人たちが生き埋めになりました。
その生き埋めの中のひとりが母でした。
母は熊本市内の病院に救急車で運ばれて輸血を大量にして処置を行われて奇跡的に助かりました。
友人の父親は助け出された時には息絶えていました。
他にも亡くなられたかたが数名おられました。
母の人生には病気で入院することはありませんでした。
生き埋め事故で長いこと入院したあと、
輸血の相性が悪く、痒みや痛みが続き、ずっと何種類ものお薬を飲んでいました。
わたしの両親が大阪の我が家に来たのは1997年1/21
当時、肝臓がん末期で入院していた母の妹を、
これが最期だと思って大津までお見舞いに来た帰りに泊まってくれました。
(叔母のところに祈りに行って欲しいと言ったのは母でした。
わたしは暮に妹と一緒に大津の病院に行って祈らせてもらいました。
叔母に、何かあったら、イエス様助けてって言ってねと伝えて帰りました。
叔母はそれから17年間生かされ、バレンタインデーに天に召されました。
叔父が、あれ以来、いつも祈っていたと話してくれました。)
久しぶりの両親との再会はとても嬉しい時間でした。
母は何度もわたしに、
「あなたから聴いてた神さまの話を妹にしてきた」
と言いました。
その夜、両親と娘と4人で語り合った時間は、不思議な愛がいっぱいの時間でした。
ただわたしの心の中は、
イエス様のことを言いたいのに、仏教徒の両親をわざわざ、我が家で怒らせることはできない。
でも、救われて欲しい・・・。
思いがいっぱいでした。
二人を前に、わたしが言えたのは、
「わたしは二人の娘で良かったって本当に感謝しています。ありがとう」
だけでした。
いつも礼拝をしている部屋に両親を寝かせて、
わたしは隣の自分の部屋から、壁伝いに祈ることしかできませんでした。
せっかく二人が我が家に来ているのに、イエス様、何も言えません。
でも、どうか、どうか、二人を救って下さい。
どうすることもできない思いで泣きそうに祈り続けました。
朝になりました。
起きると、わたしより早く母が起きていて、わたしを待っていました。
「どうしたの?」
と、聞くより早く、母は「祈り方を教えて欲しい」と言いました。
母の顔はとても笑顔で嬉しそうでした。母は、
「今朝起きたら、いやされていたの」
と言いました。
ゴミ箱に薬をいっぱい捨ててあるのが見えました。
何が起こったの?かと母に尋ねると、
「身体がもう痛くも辛くもないの」
と言いました。
神さまが癒やして下さったことを知りました。
母に、二人が寝てたリビングで礼拝をしていることを話すと、
母は感動して目を閉じて両手を合わせました。
無条件のいやしを受けたことを知った母は、祈ってほしいと言いました。
わたしは、イエス様を信じる祈りをするために、
母に、わたしのあとについて、アーメンと言うまで一緒に言ってねと伝えました。
母はうなずいて、わたしの祈りについて一緒にイエス様を信じる祈りをしてくれました。
それから、
目も見づらいので祈ってと言いました。
祈り終えてから母に洗礼を勧めると、母は喜んで受けてくれました。
お水を祈り、母の頭にかけてイエス様の名前で父と子と聖霊の洗礼の祈りをしました。
母は感動してとても喜んでくれました。
わたしも娘も、母のいやしだけでなく、洗礼になった奇跡の凄さに感動していました。
すると、トイレから戻ってきた父が、
「なにをしているんだ?」と言いました。
きっと、父が見た光景はそう言わざるを得ないくらい輝いていたのでしょう。
母が、父に洗礼を勧めました。
父は「せっかくだから」と言って、素直に祈らせてくれて洗礼を受けました。
母が父に勧めている時間、わたしと娘には、1分が1時間以上に感じられました。
雷が落ちてもおかしくないことを母が言ったのですから・・・。
長年、父に服従していた母が父に洗礼を勧める姿を見て、
わたしは神さまの世界のすごさを見せられた気がしました。
誰でも、自分を造られた方の愛の中に帰りたい、
永遠にゆるし、
永遠に変わらない愛で愛してくださる神を知りたい。
たった一人の尊い存在を認めてくださる神の愛に帰りたい。
どんな人も、生まれる前から、神さまが造られた愛を知っています。
生まれてから様々な環境で忘れてしまった記憶が
祈りの中で一瞬によみがえるような瞬間でした。
父は洗礼の祈りが終わると、玄関に行って静かに泣いていました。
やがて、リビングに戻って来た父は、窓の外に降り積もる雪を見て、
「雪はすべてのものを真っ白にするね」
と言いました。
”たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。
(イザヤ1:18)”
御言葉を思いました。
やがて、雪で欠航だった熊本行きの飛行機が、運行を再開しました。
両親は感謝をいっぱい告げて熊本へ帰って行きました。
熊本に着いた母は、すぐに電話をしてきました。
嬉しそうな声で、お礼と共に、
「もう仏壇には拝めなくなった」
と言いました。
わたしは、
無理しないでいいからね・・・と添えました。
忘れられない雪の朝の奇跡。
神さま、ありがとうございます。
あの年の父の日に、父は肺がん末期宣告を受けました。
あの年のクリスマスに、両親から「お前を産んでてよかった。ありがとう」
と二人に言われました。
父は肺がん末期宣告から17年間、神の愛によって、憐れみによって、生かされました。
最期は体温を下げると聞いていた健康食品を勧められて飲んでしまって、肺炎を起こして天に召されました。
販売した人を責めず、すがってしまった自分が悪かったのだと言って、わたしにも訴えないでと言いました。
父が天に還って1年後、健康食品会社が業務停止になったことは、神さまだったのだと思います。
いま、二人は天から一緒に礼拝をする存在となっています。
昨日はあの日のような雪は降りませんでしたが、空はとても澄んでいて、夜はきれいな満月でした。
両親を救って下さった神さまの愛、
言葉でどんなに伝えても、
「お前はお前の信仰でいい。俺は俺で先祖供養をする」
と言って拒絶していた父を、一瞬で、無条件に救われた神のご計画でした。
あの日の母を思うと、夫婦の愛はこれ以上ないと思いました。
”あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、
上から、光の父から下ってくる。(ヤコブ1:17)”
主に感謝をお捧げします。
Amen..
1/23の花言葉
スノーフレーク
純粋・純潔・汚れなき心