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HappyChristmas

尊厳を払うのを忘れない

7月27日の花言葉 
ゼラニウム 
尊敬・信頼・真の友情


貧しい人たちに対するもっともひどい不正は、
わたしたちが彼らのことを何の役にも立たない、と考えることです。
彼らに、神の子としての尊厳を払うのを忘れることです。
貧しい人々は、人とのふれあいや、
ほほえむことを忘れてしまっているのですが、
彼らにほほえみかけてくれるだれか、
彼らを認めてくれるだれか、
よく思ってくれるだれかが必要なのです。
もっとも恐ろしいことは、
誰からも要らないと思われることです。
(マザー・テレサ)


初めに、ことばがあった。 
ことばは神とともにあった。 
ことばは神であった。 
この方は、 初めに神とともにおられた。 
すべてのものは、 この方によって造られた。 
造られたもので、 
この方によらずにできたものは一つもない。 
(ヨハネ1:1~3)

今朝のマザーテレサの言葉を書き写していたら
やまゆり学園で、
職員だった人が多くの入所者を殺害したときの言葉を思い出して涙があふれました。

 神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で
2016年7月26日に入所者19人が刺殺された事件

https://www.bbc.com/japanese/51906304

知的障害のある人は「生きる意味がない」とし、
「社会のためにやらなければならなかった」と語っていたとのこと。

マザーテレサの言葉は今日、7月27日のことばですが、
事件の翌日にあたります。

偶然とは思えない。
人が思い違いをしてしまうことで起きるおかしな正義感。

言葉は神です。
言葉は発する人の口を通して善にも悪にもなってしまう。

聖書には人が生きる上で避けたい多くの思いや言葉が書かれています。
愛なる神が忌み嫌われる言葉や思いは避けたい。
誰かのせい、という言葉も思いも避けたいと思います。

人の心の中には、
いつでも闇が支配して巣食っていく隙間があるのだと思います。

ハートの隙間が洗礼によって埋まるまで、
人はいつも、なにか虚しい、
落ち着かない、満たされない思いを持っています。

けれど、イエス・キリストを自分の救い主として信じて洗礼を受けたら、
ピタッと、隙間もなくその虚しさが埋められ、
愛に変えられるのです。

そのことを、私は多くの人に語ってきました。
現実に救いの瞬間でも数え切れないほど見せられてきました。

魂深くから救われる人の救いは、
どんな偉大なものよりも大きな感動を与えられるものなのです。

この救いを見た私は、
いつ死んでも良いと言えるほどの感動に包まれてきました。

これほどまでに神が愛されている人の尊厳を見させていただけるなんて・・・畏れ多く思います。

イエスさまの降誕を待っていたシメオンの思いと重なります。

”シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、
「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに
この僕を安らかに去らせてくださいます、
わたしの目が今あなたの救を見たのですから。 
この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、
異邦人を照す啓示の光、
み民イスラエルの栄光であります」。 
(ルカ2:28~32)”


それは、神さまがそのように、
すべての人に
生まれる前からご計画されていた救い、
究極の十字架の愛、
神のリアリティだからです。

わたしの愛のもとに帰っておいで

招きの言葉にこたえ、一歩進み出る人は幸いです。

すべての命あるものが
主の無条件のコーリングを受け取ることができますように。
魂深くに永遠の平安が与えられますように。
NameJesus,Amen.






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