わたしたちが彼らのことを何の役にも立たない、と考えることです。
彼らに、神の子としての尊厳を払うのを忘れることです。
貧しい人々は、人とのふれあいや、
ほほえむことを忘れてしまっているのですが、
彼らにほほえみかけてくれるだれか、
彼らを認めてくれるだれか、
よく思ってくれるだれかが必要なのです。
もっとも恐ろしいことは、
誰からも要らないと思われることです。
(マザー・テレサ
The Greatest Injustice of All
人は生まれてから、
まず母親、そして父親の姿を見て育ちます。
それぞれの人生の中で、
自分がこうなったのは、
誰かのせいということを覚えてしまったら・・・?
そんなシーンを数多く見てきました。
解決方法がないかのように諦め、
我が子の暴力やひきこもりに苦しむ両親の姿。
そんな家庭が多くありました。
今でも・・・。
主の前にへりくだって、
あなたの神を愛し、
知って侵した罪も知らないで侵した罪も
すべてをご存じの神にすべての重荷を取っていただき、
心をまっさらにして祈りましょう。
あなたの姿を見てご家族も変えられる日が来ます。
キリストの霊である聖霊様があなたの内に住んでくださる喜びと感謝を表せますように。
聖霊様があなたにも、ご家族にも自由に働けるように、おゆだねください。
そう祈ったり、アドバイスをしながら一緒に祈ったりしています。
国家がそのような体制になっているから
国家のせいや周囲のせいにされて、
ご自身はあるがままでいいのだからと、決めておられるかたは、
結果はなにも変わらない現状維持でした。
自分も反省して変わった家庭には笑顔が戻りました。
祈りはひとりで祈るより、
多くの祈り手が必要な時があります。
私は祈りの柱と呼んでいます。
より太くなると、神さまも気にしてくださるのが早いかも?
と思うのです。
家庭の中で自分の生き方も変えていくと、
空気も変わります。
愛の人になれる?
それは、誰であっても困難かもしれません。
マザーのように、自分を捨てて神に従って生きる決断をして、
自らも聖霊に導かれて行けばきっと・・・。
けれど、やっぱり無理?
自分にはできないから、
イエスさまに生きていただくこと、
委ねることは誰でもできます。
「待っていたよ。」
こころのドアをたたきながら、
そんなイエスさまの声と共に、変えられて行くでしょう。
誰のせいでもなく、
あなたが神に出会うために
すべてがあるのです。
両親を尊敬し、
十戒を守り、
神を恐れて笑顔の家庭を築けますように。
カトリックや聖公会が毎回正餐式をしていることを不思議に思ったことがあります。
許されているのに・・・
けれど、罪の悔い改めを告白している中で、気づかされることがあります。
正餐式は聖霊のいやしが注がれているなかで行われています。
人は常に罪を犯し続けている存在です。
たった一回の十字架の死と復活でゆるされていることを知りつつも
瞬間瞬間に罪を重ねる人間の愚かさを知ることの大切さを、
愛なる神が見守って近づいて気づかせてくださっている。
そのまなざしは、優しくて愛に満ちています。
キリストにならいたくてもならえない愚かさをも
神が愛してくださっている。
主と同じ姿に変えられるまで賛美しながら
義の道を歩めますように。
キリエ・エレイソン
Amen.
”人よ、彼はさきによい事のなんであるかを あなたに告げられた。
主のあなたに求められることは、
ただ公義をおこない、
いつくしみを愛し、
へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。
(ミカ6:8)”
リビングバイブルは、わかりやすい言葉で書かれています。
”神は望んでいることを
あなたに告げたました。
すなわち、えこひいきせず、
公平で、 あわれみ深くあること、
また、謙遜に
あなたの神と共に歩むことです。
(ミカ6:8)”
7月27日の花言葉
マツバボタン
可愛らしさ・可憐・無邪気
最新の画像もっと見る
最近の「日記」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事