2月9日の花言葉
マリーゴールド
生きる・悲しみ・嫉妬・勇者・予言

かつてわたしは、ゴミ溜めの中から、
ひとりの女性を拾いあげました。
彼女は非常に高い熱を出していました。
彼女の最後の日々、言いつづけた嘆きはたったひとつ、
「息子がわたしをこんな目に遭わせた」と。
わたしは、彼女に頼みました。
「息子さんをゆるしましょう。
怒り狂ったような瞬間に、
彼は彼自身ではなくなってしまったのですよ。
だから、後悔するようなことを、しでかしてしまったのです。
息子さんの母親でありつづけてください。
彼をゆるしてあげてください。」
とても時間がかかりましたが、
彼女はとうとうこう言いました・・・。
「息子をゆるします」
わたしの腕の中で死ぬ直前に、
ゆるしの心を持って、こう言うことができました。
彼女は自分が死んでいくことを、
まるで気にかけていませんでした。
わたしにとって何ともつらかったのは、
息子が母親を拒否していたことでした。
でも、これが、
あなたも、わたしも知っている現実のひとつなのです。
(マザー・テレサ)
ひとりの女性を拾いあげました。
彼女は非常に高い熱を出していました。
彼女の最後の日々、言いつづけた嘆きはたったひとつ、
「息子がわたしをこんな目に遭わせた」と。
わたしは、彼女に頼みました。
「息子さんをゆるしましょう。
怒り狂ったような瞬間に、
彼は彼自身ではなくなってしまったのですよ。
だから、後悔するようなことを、しでかしてしまったのです。
息子さんの母親でありつづけてください。
彼をゆるしてあげてください。」
とても時間がかかりましたが、
彼女はとうとうこう言いました・・・。
「息子をゆるします」
わたしの腕の中で死ぬ直前に、
ゆるしの心を持って、こう言うことができました。
彼女は自分が死んでいくことを、
まるで気にかけていませんでした。
わたしにとって何ともつらかったのは、
息子が母親を拒否していたことでした。
でも、これが、
あなたも、わたしも知っている現実のひとつなのです。
(マザー・テレサ)

主はみずからあなたに先立って行き、
またあなたと共におり、
あなたを見放さず、
見捨てられないであろう。
恐れてはならない、 おののいてはならない。
(申命記31:8)
週の初めの日、
今日は鎌倉にあるカトリック由比ガ浜教会に行きました。
一度行ってみたい。
カトリック大好きな娘がそう言いました。
結婚して成田に行った娘を育ててもらえたのはカトリック教会でした。
神父様は、マザーテレサのところで仕えておられたこともあって、
イエスさまが仕えられたように生きておられました。
私も成田に行った時に、2回ミサに一緒に行ってお話をしました。
謙遜なかたでイエスさまがここにおられるような静かなかたでした。
お引越しをしたら教会に通えなくなって新しい教会を探すか、
ネット配信で礼拝するか、
自分たちで礼拝するかになります。
まだ落ち着かない状況ですが、
いすれにしても、礼拝する対象はイエスさまだけですから、
きっと、落ち着ける教会を与えていただけるでしょう。
時は満ちている、沖へ漕ぎ出そう。
その声も聴いています。
今日のミサのなかで、
主にあっては、カトリックもプロテスタントもないと思いました。
カトリックは毎週、罪の赦し、聖餐式をされるので、
新たにされて、この世に出ていく誓いも持てます。
天満教会でもYIBCでも、礼拝の最後に信徒を送り出す祈りをされています。
人は弱いから、イエスさまの助け、聖霊さまの助けで強くされて
世の人々と生きれるように用いてくださいます。
自分が生きるのではなく、イエスキリストを通して神に愛されている一人一人を宣教命令を伝えながら、見守って導いておられる神さまに感謝します。
由比ガ浜教会は鎌倉で最初にできたカトリック教会だとか。
祈りがあり、神さまの愛が注がれ続けている教会でした。
聖霊さまが静かに触れてくださる時、
優しい風が吹きます。
なぜか、とても落ち着ける教会で、ずっと祈っていたいと思えました。
ミサの後、神父様に挨拶をしてから会堂を見学させていただきました。
ステンドグラスにはイエスさまの十字架の道行きが描かれていて、
サレジオ教会のステンドグラスとはまた違う、
古くからの歴史を思わせるものでした。
先人たちの祈りのなかで、
イエスさまも一緒に祈ってこられたことを感じました。
どんな時でも共にいてくださる神さまを知れてよかった。
神さまだから、誰とでもいっしょにいてくださる。
あたりまえのことですが、それがうれしい感謝となりました。
外に出ると、明るい太陽の下で語らい合う人たちの笑顔がありました。
今週も新しい日が始まりました。
すべての人が感謝と喜びの中で過ごせますように心から祈ります。
NameJesus,Amen.