第93回アカデミー賞受賞作品だそうです。
イギリスとフランス合作の話題作なので観に行きたいと思っていました。
ちょうど仕事の自由がきく月曜日、大阪駅ビル10Fにあるステーションシネマに行ってきました。
S.シネマは初めてでしたが、とてもキレイで中もわかりやすい映画館でした。
チケットは機械と人とに分かれたブースで購入できるようになっていて、並んでいない機械のほうで席も一緒に確保できました。
暗い中で席を探しながら手探りで行っていた頃のことを思うとホッとする思いでした。パウロを観に行って以来?久しぶりの映画です。
コロナの影響で、前も後ろも隣も席が空いているのは嬉しく、ほっとしました。化粧品のニオイなども気になりませんでした。一人で映画館に行くと、よく手が伸びてきていたものです。どこにでもいる痴漢もコロナ対策で撃退。感謝でした。
映画は静かに始まり、ロンドンの豪華なフラット(家)に過ごす老人の生活が描かれていました。
登場人物が意外と少なくて6名が色々と・・・。
主演のアンソニー・ホプキンスの名演技に始終目を離せない展開でした。
老いによる記憶の喪失と親子の揺れ動く絆と愛、記憶と時間が混迷していく父親の姿を時計にこだわりながらストーリーが進められている中で描き出されていました。
いつか、自分にもと思いながら観る方が多い映画だそうです。
腕時計を大切にしながら、生きている時を確認している父親の「時の大切さ」がなんとも愛おしく、
また、悲しくも感じられました。
ネタバレになってはいけないので、まだ観ていないかたは、予告編以外は観ないで行かれることをオススメします。
世界中で上演された舞台を映画化しているということもあって、シーンがいきなり変わります。
映画の老人も同じ名前のアンソニー。
アンソニーの頭の中の混乱が起きる度にシーンが変わっていくので、着いていかないと、見ている方も混乱しそうになります。
高齢になると誰もがこうなるというパターンであるかのように、描かれているものが気になったのがお薬、それも大量に何時に飲むよう指示されることでした。
薬害で認知症になる要素は、薬の成分を見ればわかります。遺伝子損傷、皮膚障害などと報告されているものが、かなりあるからです。
「認知症は薬では治せない」と断言する医者が多くいます。それでも薬を使うことには理由があります。
外科や歯科などは別として、病気を治すのは、安全な食べ物や生活習慣と愛、祈り、神のいやしです。
この要素が重なった時にいやしが起こります。
わたしも娘も家族もまた、多くの人たちが奇跡を体験しています。聖霊の神さまのお働きによるものです。
家族が認知症になった時、そこに他人、例えば娘婿(息子の嫁)など、血がつながっていない人がいたら?
映画の最後は涙・・・のシーンになって、答えが見つからない老いの姿を思わされました。
人が求めているものは?
映画が終わって10Fのルクアの庭に出ると、かなり高齢の方々がそれぞれに静かに過ごされている光景がありました。
空を見上げると青空。
都会の空にぽっかりと猫雲が浮かんでいました。
梅田の上空ってこんなにきれいだった?と思いながら、しばらくお散歩時間を持ちました。
帰りの大阪メトロ(地下鉄)は満員でした。御堂筋線は5Gになっていますので、他の路線で帰りました。
どの人もスマホ画面に釘付け。
いる所、行く所すべてに祈り続けています。
駅を出て、歩きながら空を見あげるといくつもの飛行機雲。
多分ケムトレイルなのでしょう。
あまりにも多すぎる。
雨の前によく散布されていると聞いたことがあります。
帰宅してすぐ写真を撮ってみましたが、1時間経っても消えない飛行機雲、
次々にいくつも現れる飛行機雲も消えない。
夕日の時間だったので、自然界を邪魔しないで綺麗な夕日を見せてほしいなと思ったり・・・。
祈りました。
アメリカで認知症の薬ができたと報道していました。
脳に作用するお薬はとても危険です。
副作用もきついと言われています。
安全な材料だけで造らない(つくれない)ことも、
こんなに文明が発達しているのに・・・疑問です。
認知症になってから薬漬けにするのではなく、ならないように化学物質を避けることを言わない、教えない現代社会の矛盾と空が一致しているように思えた一日でした。
老いていくのはどんな人も同じ。
神さまが定められた命を伸ばせる人は一人もいません。
いのちは神の領域です。
いのちを縮めてしまう化学物質への知識がもっと一般にも波及すれば、変えられるものもあるでしょう。大気汚染がどんな病気よりも寿命を縮めるとナショジオが書いていました。CMに洗脳されている世界では、真実が見えなくなっています。現代人は「みんな」と言われる言葉に弱い。取り残されることが不安になるのです。サブリミナル効果を狙ったものも増えています。
短い人生、
せめて、愛する家族と最期まで一緒に過ごせたらと思います。それでも、認知症の症状が悪化して排泄ができなくなって壁や家具に塗りつけたり、徘徊したりして生活に影響を与えたり、どこかで歯車が狂って来たら施設しかなくなります。
家族の負担は大きくなります。「**を殺して自分も死にたいと思うことが多々ある」と、関係者たちは言います。
どうすれば防げるのでしょうか?
化学物質がなかった時代でも、認知症や精神障害はゼロではありませんでした。ただ、今ほど多くはなかった。
心の病は人間が対人関係で必ず持つものです。ストレスは一夜で白髪をつくるほど、細胞を変えてしまいます。
体内に蓄積する化学物質は、100人いたら100人、時も症状もそれぞれに違う形で現れます。
避けられるものは避けて、自然に忠実に生きれるようにと祈り続けます。
映画を観ている時に、
マザー・テレサの言葉がいくつも響きました。
*******
イギリスのホームを訪問した時、
素晴らしいホームで何もかもが整えられていた中、
そこの住人たちは一人残らず、ドアの方を気にしていました。その顔には笑顔というものがありませんでした。・・・そこで働いているシスターに質問すると、
「訪ねてくる人を待っているのです。息子か娘、家族の誰か、友人がドアを開けて訪ねてこないかと夢見ているのですよ」
顔に現れた淋しさは、この老人たちの貧しさ、親族からも友人からも見捨てられた貧しさの現れだった。誰も訪ねてきてくれないことは、老いた人々にとって一番耐えがたい貧しさなのです。
年老いた人々は、自分たちの話に耳を傾けてくれる人々を求めています。年寄り自身にとっては大切な昔の物語を聞いてもらうことが、大きな喜びなのです。
愛はどこから始まるのでしょうか?
私たちの家庭からです。
いつ始まるのでしょうか?
ともに祈る時に始まります。
ともに祈っている家族は崩壊することがありません。
自分たちのことしか考えていない親たちの姿を見る時、私はこう自分に言います。
発展途上国で飢えている人々のことを気遣う人々は人間が感じている飢えに終止符を打つ夢を見ることもできるでしょう。しかしながら彼等は自分の家庭の中に、同じような
貧しさと飢えが実は存在していること、自分の子どもたちのそれに気づかずにいるのだ。さらに言えば、利己的な自分たちがそのような飢えと貧しさの原因なのだということにも気づいていない。
年老いた人々は今日、どこにいるのでしょう?介護施設の中です。なぜ?それは彼らが邪魔だから、厄介者だから、そして・・・・
貧しい人々が疎外されて淋しい思いをしている時、キリストも同じ淋しさを味わっておられるのです。
平和は家庭から始まります。
*******
”わたしは裸で母の胎を出た。
裸でそこに帰ろう。
主は与え、主は奪う。
主の御名はほめたたえられよ。
(ヨブ1:21)”
すべてのつくられたものが神さまの愛の中で平安に一生を過ごせる社会でありますように。
すべての人のために死んでよみがえって下さった神が、
永遠まで共にいる約束を与えてくださいました。
それは、死は終わりではないことの希望。
キリエ・エレイソン
”昼には、主はそのいつくしみをほどこし、
夜には、その歌すなわちわがいのちの神にささげる祈がわたしと共にある。
(詩篇42:8)”
6月16日の花言葉
シャクヤク
はにかみ・慎ましやか・恥じらい・内気
最新の画像もっと見る
最近の「日記」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事