オーニソガラム
潔白・純粋・無垢・才能・動揺
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神にわたしたちの愛を表すときに、
自分がみずぼらしくちっぽけで、
無力であることを恐れるのはやめましょう。
病気の人にあげる一杯の水、
死にかけている人を抱きあげること、
赤ちゃんに食べさせ、
知的障害を持つ子どもに教えること、
ハンセン病を患っている人に薬をあげること、
自分の家族にほほえみかける喜び、
これらすべてのことが、
今日の世界における神の愛なのです。
(マザー・テレサ)
”神は、いかなる患難の中にいる時でも
わたしたちを慰めて下さり、
また、わたしたち自身も、
神に慰めていただくその慰めをもって、
あらゆる患難の中にある人々を
慰めることができるように
して下さるのである。
(第2コリント1:4)”
今朝、この御言葉が与えられて書いていました。
もう一つ続く御言葉があったとひっかかっていました。
それが今朝の礼拝メッセージのなかで語られたので嬉しく思いました。
”あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい
(ルカ22:32)”
神さまの霊は本当にひとつなのですね、感謝します。
礼拝のなかで神さまにお礼を言いました。
わたしの愛のうちにいなさい。
神さまのお声はいつもお優しいです。
立ち直れる力を与えてくださる神さまがおられるから、
どんな困難があっても、
やがて来るその日への希望が与えられます。
今日は午後から三浦綾子さんの塩狩峠の映画鑑賞会がありました。
主人公の永野信夫さんがこの教会で洗礼を受けられていることを初めて聞いて驚きました。
昨年の礼拝にも六条教会の方たちがいらして挨拶をされていました。
三浦綾子さんも教会を一度訪問されたことがあると聞きました。
つながりが嬉しい感謝に変えられます。
映画は何度観ても号泣してしまいます。
さらに御言葉が迫ってきます。
私の誕生日旅行で娘と二人で塩狩峠に行った日のことも思い出しました。
あの場所で祈った時に映画や小説のシーンが浮かんできました。
静かな地には白樺の木が高くそびえていて
あの日の記憶を語ってくれているように思えました。
人のために自分の命も捨てる愛を教えてくださったイエスさまが
クリスチャンたちに願われている神の願いだと思いました。
自分のために生きるのではなく、愛=神=のために生きる。
神の愛は人を変えてしまう偉大な力を持っています。
何一つ無意味なものはなく、
何一つ虚しいものもなく、
何一つ哀しみで終わるだけのものはなく、
すべてが神さまの愛と一つとなって光の輝きに変えられて行きます。
愛と慰め、恵みと憐れみがいつも共にある神さまの世界、天の御国を思いながら、
イエス様が教えてくださった神の国のためにお遣いください。
心新たに一週間のこの世の旅路に出ていくってこんなことを言うのかなと思いました。
いつしか、自分の命にも執着しないようになっていることが不思議でなりません。
嬉しい貴重な時間に感謝でいっぱいでした。
今週一週間も神さまの御手のなかで、すべてのいのちあるものが平安に歩めますように。
地球のいやしと共に祈ります。
キリエ・エレイソン
Amen.