私たちは真のクリスチャンとは呼びません。
そう呼ばれるにふさわしいのは、
キリストへの信仰のゆえに神様から罪を赦していただいた人です。
(マルチン・ルター)
朝起きると、
待ち望め主を雄々しくあれ
心を高くせよ
待ち望め主を
賛美が響いていました。
その後、
待ち望め主を
待ち望め主を
短いフレーズで新しいメロディで賛美が響いてきました。
リビングバイブルで詩篇27を読むと、
苛立ってはいけませんと書かれていました。
神様、祈っているのにどうして聞かれないのですか?
こんな人間の叫びに対しての答えのように思えました。
イエス様がお生まれになった時、
何千年も待ち続けていた救い主の後端を最初に喜んだのは
エリサベツのおなかの赤ちゃん、洗礼のヨハネでした。
そして羊飼いたち。

神の時と人の時は違うことを知らされます。
自分の思いばかり見ていると、やがて神様を見失います。
聞いてくれる聞いてくれないに自分の価値観を置いてしまうからです。
ただひたすら信じて待ち望む。
神様はすべてをご存知です。
自分よりもっと自分のことをご存知の神が
イエス様の名前で求める者の祈りを聞かれないはずはありません。
最善の時に祈りを叶えてくださいます。
主に期待して祈り続けましょう。
”いらだってはいけません。
主を待ち望みなさい。
主は必ず来てくださり、
あなたを救ってくださいます。
勇気を出しなさい。主を待ち望みなさい。
主はきっとあなたを救ってくださいます。
(詩篇27:14)”

12月20日の花言葉
アイビー
友情・死んでも離れない・永遠の愛
