肩胛骨は翼の名残

最近はサッカーネタばかりです。気まぐれに書いてます。

誰も見たことのない景色を

2018-07-02 23:27:54 | 0.temp

ポーランド戦の何が「悪かった」のかさっぱりわからない。
現地でブーブー言ってたひとたちってさ、
①周りのロシア人とかに恥ずかしい
②自分が行った試合で「大迫半端ないって」と言って自慢したかった
としか思えないし。
ネットでギャーギャー言ってるひとたちに至ってはワールドカップが
どんなものか、一切知らないんだろうなあと憐れむしかないか。

土曜日のドラマを見ていて、いま日本に一番ふさわしい言葉を
思い出したよ…「これでいいのだ」

すべては「誰も見たことのない景色」を見るために。

わたしはずっと「見たことのない景色」を見続けて来た。

1993年5月15日 Jリーグ開幕
1993年10月28日 ドーハの悲劇
1997年11月16日 ジョホールバルの歓喜・ワールドカップ初出場
1998年6月26日 ワールドカップ初得点(ジャマイカ戦・中山雅史)
2002年6月9日 ワールドカップ初勝利(ロシア戦@横浜国際)
2002年6月18日 ワールドカップ初ベスト16
2010年6月29日 ワールドカップベスト16初PK戦

一段ずつ、時として足踏みしたり戻ったりしながらも、上を向いて
階段を上ってきた。

初めてワールドカップなるものを見たときには、別の星でやっている
お祭りだと思っていたものが、自分が生きているうちにここまで
やって来た。
多くの選手が、関係者が、ファンが繋いでここまで来た。

亡くなった方もたくさんいるだろう。今夜の試合を見たくても見れ
ない人も大勢いることだろう。
わたしはまだ、観ることが出来ている。自分でその環境を作ることが
出来ている。次のカタールに行くことを、企むことすら出来る。

次の新しい景色への扉を、いまこのメンバーで開いて欲しい。
私がずっと見てきた彼らで。私をずっと後押ししてくれた彼らに。

「よくがんばった」「感動をありがとう」なんて要らない。
欲しいものはただ一つ「至上の人生、至上の絶景」。

Nobody was able to watch the scenery so far as


We Walk Alone

2018-06-25 22:38:07 | 1.Sports

なんだろうこの落ち着いた気持ちは。
はしゃぎもせず、泣きもせず、通過点のような。
試合を見ているときからなぜか穏やかな気持ち。

おそらく彼らが落ち着いていたから。
相手のペースに飲み込まれることなく、無理に身体を寄せたりしない。
コースを消したらすっと下がる。もちろんカバーがやってくる。
ときに時間をかけて後ろでパスを繋ぎ、相手を引き出す。
チャンスがなかなか来ない時間帯でも、焦らない。みんなで、丁寧に。

見ていて、勝てるな、とか、これじゃ負けちゃうじゃん!とか
一喜一憂しなかったことは珍しい。ただゆったり、眺めていた。

もし私がほかの国のサッカーファンであったならば、小柄だけど
規律正しく、勤勉に最後まで全員でプレイする極東の青いチームを
好きになっただろう。
かつての小さな私のように、世界のどこかで日本のサッカーに胸を
熱くし、サッカーという競技に魅せられている少女がいることを願う。

怯むことなく、迷うことなく、恐れることなく戦う選手たち。
この10年、この8年、6年、4年、このシーズン、誰よりも自分に厳しく
向かい合って鍛え上げてきた彼ら。ずっと見てきた、彼ら。

でもね。
4年前だってこれくらいやれるってイメージ出来てた。見ている方は
想像できたんだよ。彼ら自身が迷って見失ってしまったけれども。

だから今でも心から信じてる。優勝できるって。
夢は果てしなく見るものだと教えてくれたのは彼らと、この場には
立てなかった選手たち。ずっと見てきた、彼ら。


国や家族や故郷を背負わない私たちの方が強い。大会が始まる前から
感じていた。人は誰かのためにこそ力を発揮できる、という考え方が
大嫌い。
ずっと誰かのために生きてきたから痛感する、そんなの嘘っぱちだ。

自分と約束して、自分のために歩く方がはるかに難しい。
だってほら、こんな風に自分を甘やかすことも簡単なんだもの。
もういいよ、がんばったよ、よくやったよ、自分!って頭を撫でる
ことはとても簡単だもの。

笑われようが、謗られようが、誰からも頼まれてなかろうが、
自分に約束した高みを目指して独りで歩くことの方が、難しい。
ちょうどその難しさに立ちすくみ、座り込んでしまった私の目の前に
黙々と歩む背中を見せてくれている。

見守ってきたつもりがまた背中を押されてる。
それは決して追い立てる形ではなく、そっと手を添えて押し出して
くれる感じ。だから私は穏やかな気持ちで、一歩踏み出せる。

この一週間に心に浮かぶあれこれを、忘れたくない。
深く息を吸って吐いて、しっかり刻み付けたい。まだまだ旅は続く。


20180619, victory

2018-06-21 22:33:20 | 1.Sports

わたしはドーハ世代だから、笛が鳴り終わるまで何が起こるか
わからないと思ってる。だから、ちらっと移った誰かの笑顔が
怖かった。まだ終わりじゃない、その一瞬の気の緩みで失点
してしまうじゃないか!
…フルタイム。勝った。その瞬間、2015年ヤクルト優勝の時と
同じく、言葉よりも感情がうねり、涙が湧きあがった。
彼らが「自分たちのサッカー」を貫いて、勝った。
弱者のサッカーではなく、一人一人の長所を遺憾なく
発揮し、全員が骨惜しみすることなく攻守に身体を張って、
最後まであきらめることなくボールに向かって行って、勝った。

翌日の電車で、オフィスで、喫煙所で、サッカーについて
会話しているのが聞こえる。それは日本が勝ったのと同じ
くらいうれしい。

試合前のライブが有難かった。一人だったら結局テレビを見て
ネットを見て言葉を連ねて心で会話して、追い込まれて行った
と思う。彼ら以上に悲壮な顔をしていたと思う。

でも彼の地は底抜けに明るいお祭りだった。国と国との戦い
なのに、黄色く彩られたサランスクは眩しかった。
スタジアムもその周りもまるでJリーグのスタジアムみたい。
いや、mazdaさんの言う通り、毎週このレベルの試合を
行うJリーグが凄いんだ!

セキュリティは厳しいけれど、すっとゴール裏に入って行く。
やっと青が群れているエリアへ。
カエルがいる。ちょんまげもいる。コロンビアほどではなく
とも、日本のゴール裏も戦う雰囲気に溢れている。

ワールドカップのゴール裏って、こういう雰囲気なんだ!
応援もするけれど、自分たちが楽しむ場所なんだ。
コロンビア、ロシア、メキシコ、日本、色々な立場の人が
集まっていても「楽しむ」ということで一致している素敵な
場所なんだ。

だから、わたしも楽しもう。彼らとともに歩んだ日々を胸に
抱きつつ、輝くスタジアムの「中で」思いっきり楽しもう。
そう決めた時にはもう国歌斉唱も終わってキックオフだった。

PKを取ったプレイ、全員が前がかりになって襲い掛かった
当然の結果。これこそ気持ちで負けないということ。
そしてシンジくんの強い瞳に確信する。決められると。

決まった瞬間、どんな表情を見せてくれるのかと目を凝らして
いた。無邪気な笑顔を予想していたけれど、シンジくんは
さらに引き締まった顔でエンブレムを強く叩く。
J2得点王のときにはか細い少年だったのに、今では代表の中
でも「お兄ちゃん」している。大好きな「お兄ちゃん」の
観ている前で、若手を、観客を鼓舞している。
12歳で家を出て、ひたすら高みを目指して独りで旅をして
きた少年が、たくましい大人になって吠えている。

元気も、大迫も、乾くんも、岳も、宏樹も、みんなみんな
強く、たくましくなっていた。相手の挑発にも審判の不思議な
判定にも動じることなく、慣れた感じで流していく。
自分たちのペースを崩すこともなく試合に集中している。

監督の采配も冷静で、選手たちを落ち着かせるメッセージが
伝わってくる。このまま、最後まで走り抜け。

ネガティブなことを言えば偉く見えると思う解説者のコメントも
上ずった実況の声も聞きたくなくて、音声を消してヘッドフォン
で音楽を聴きながら、少し離れたところから見つめる。
みんなの動きを俯瞰で見ていると、却って落ち着いていることが
よくわかる。大丈夫、このまま、最後まで守り抜け。

大迫はウチが育てた。何度悔しい思いをさせられたことか。
国立で鹿島戦と聞いただけでこいつに何点取られるのだろうと
憂鬱になったものよ。その分、ドイツに行ってからは存分に
応援することが出来た。だから決められるってわかってた。

2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオ。
各年代が混じり合い、補い合い、高め合い。
ずっと見てきたメンバーだから、そのケミストリーが楽しみで
しょうがなかった。前任の方は個人しか見ておらず、日本人が
集団で発揮する力を理解できなかったようだ。

一人一人は頼りなさそうでも、集まれば持っている力を超えて
強くなる。それがこの選手たち。ピッチの外でも笑い合い、
話し合い、励まし合ってここまでずっと旅をしてきた。
旅の果ての白夜の街で、すべてが一つにまとまった時、
ランキングなんて吹き飛ばして栄光を掴んだのは、しなやかな
強さを持った、日本の代表たち。

涙が止まらない。身体が震える。言葉を選ぶ暇もなく感情が溢れて
いく。幸せな気持ちに包まれる。他人ごとにここまで揺さぶられる
姿を滑稽だと笑わば笑え。彼らを見つめることで自分を生きて来た
わたしにとって、これは自分の人生に降り注ぐ幸福なのだ。

旅は続く。結果はなんでもいい。それぞれが「なにか」を感じる
こと、心に刻むこと。この後もずっとわたしを、彼らを導く道しるべに
なるものを掴み取ろう。「共に生きよう」


2018 FIFA World Cup RUSSIA

2018-05-29 07:09:24 | 1.Sports

これが最後のワールドカップ。

私がともに走ってきた彼らの。

私にサッカーへの情熱を取り戻させてくれた彼らの。

 

だから、心から応援。優勝を信じて、最後まで応援。

 


2014J1リーグ【18節】FC東京-清水エスパルス②

2014-08-02 23:32:34 | 1.Sports
これが目指していたものだったのか!
こちらの理解度が低くて、今までわかってなくてホント、ごめんなさい。
つまらないサッカーとか、こんなのトーキョーのサッカーじゃない!とか
ほざいてて本当にごめんなさい、ミステル。

まず守る。しっかり守る。これが一番難しい。
モダンフットボールにおいて戦術は多様化し、個の技術も上がって
昔のように単純にゾーンだ、マンツーマンだ、で守り切れるものではない。

互いが呼吸するようにポジショニングし、目視しなくても互いを信じて
守りきる。そんな形を作るためには時間が必要だったんだ。
開幕前のキャンプだけでは時間も経験も足りなくて、今季の前半を
ある意味捨てるくらいでなければ完成に近づけないものだった。

すみません、そんなこと全然わかりませんでした。

そして守りが完成して初めて、攻撃ができるのがマッシモのカルチョ
なんだね。

後ろがおろそかな状態でいくら攻め上がっても、不確かなゴールを
打って相手にボールを渡してしまい、カウンターを食らっては意味がない。
昨季まではそれの繰り返しだった。

それでも私たちは、攻め続けること、シュートを打つことを求めていた。
3点取られても4点とればいいじゃない!という意識から抜け出せないまま
だった。

ところが中断明けの3試合、ミステルのカルチョがにわかに形を表わしてから
というもの、結果もさることながら、試合そのものが面白くて面白くて、
私たちは真夏の祭りに浮かれている。

イタリアサッカー=カテナチオで簡単にイメージできる、ゴール前でバンバン
跳ね返す守備。
(もちろんそれは前述の通り、時間をかけて作り上げたもの)

攻撃では足元の巧いFWたちが少しだけでも時間を稼いで、SBやMFを待ち、
預けて、戻して、一閃のシュートで仕留める。

堅い守備は攻撃にリズムをもたらし、効率的な攻撃は守備に余裕を与える。
これこそ、最新のカテナチオなんだな。
「ザックが持ち込んだのは一時代前のカルチョだ」とほんの少し憤然としていた
マッシモを思い出す。

結局どのリーグでも、W杯でも、スタイルを貫いたチームが最後には勝つ。
一人歩きしてしまった「自分たちのサッカー」という言葉は、けれど今でも
大切なもの。揃えた選手の能力、組み合わせ、戦術から導き出されるものは
たった一つの「自分たちのサッカー」だけなのだ。

優勝まで勝ち抜くには、自分たちを信じて貫き通さなくてはならない。
ここが今まで、トーキョーに欠けていた部分だった。
選手もサポも、いい時の「イメージ」だけを語って論理的な説明ができないまま、
中途半端な順位でシーズンが終わっていた。

今季は違う、と感じ始めている。優勝という最大の果実はまだ早いかもしれない
けれど、胎動を感じている。トーキョー史上、最高のカルチョを見せてくれる日が
遠くないことを、静かに待っている。