my life is.....

自分にとってのバスケとは?
日々感じた事、想った事書いていきます。

屈辱的敗北…

2006-04-30 | Weblog
どうもっす!
昨日は試合でした!結果は「負け」!最終的には27点差つけられて負けました。気分は最悪、昨日は更新する気がおきませんでした。いろいろな要因があるけど、俺自身も全然気分が乗れなかった。違うところでメンタルに悪影響してしまった。イライラしてる状況で試合に臨んでしまったのが、実力を出せなかった最大の要因だったと思う。FG4/9,AST4,R5,くらい…。俺自身後味が悪いゲームだったと思う。試合中自己中な事しか言わない奴にイライラした、インサイドは崩壊。勝つ気がないんじゃないのって感じ。俺はメチャクチャ我慢してる。本当に。屈辱的な敗北。いつもだ、brotherでやるとそう。何故か、責任転嫁してる人間がいると思うから。人のせいにして、自分を省みず別にそれまで以上の努力をしない。決して全員がチームとして、チームの敗北を悔やんでる気がしない。上を目指してるって言えるチームなのだろうか?絶対それはないね、今のチームの意識は。数人でしょう。「練習してないからしょうがない」「最近忙しいから」言い訳があると思う。俺は「切り替えればいいじゃん?」って良く言われるけど、別に明日ゲームがあるプロじゃないんだからもっと反省していいと思うし、俺の性格上本音を言えば切り替えられるかって話だ。悔しくて寝れない。それでも俺のことを考えてそう言ってると思うからその気持ちを汲めるようになっただけ俺も成長したのだろうか。良くわからん、昨日たまたま前に所属してたチームの選手と会ったんだけど、前のチームはやっぱ全員が謙虚だと思うし、負けると本当に悔しそうだった。すぐ謝ってた。自己中なプレーも少なかったと思うし。「また来なよ」って言われて「無理っすよ~」って答えたけど実際その後この試合じゃ戻れるものなら戻りたいって思うよ。まぁそれはないけどね。とにかく昨日の試合はトライアウト前のこの時期にやっちゃったって感じだね。トライアウト当日じゃなくて良かったけど。今日は昨日の試合の怪我で急遽オフ!テレビでbjのプレーオフがあるんでそれ見て勉強します。

疲れの抜き方

2006-04-29 | Weblog
どうもっす!
今日も軽めに練習してきたんですけど、若干身体が重かったですね。じっくりほぐした後は平気なんですけど、前日ストレッチを怠ったのがまずかったのかな。俺のスケジュール的には大体ウェートを2日間隔でやってその間練習、オフは大体1週間に1日って感じ。オフ明けは身体が重い事がよくあるんですけど、最近オフ明けの方が全然身体が楽!オフ明けの練習の次の日が一番辛いかな。やっぱり疲れがたまってるのを感じるなぁ。後はメニューによっても次の日にくる疲れは変わるよね!最近はシャトルとスリーメンだけはやるけど、そこまで追い込んでないから疲れが少しずつ抜けていくはずなんだけど。なんか良い方法はないもんか…。マッサージ行けばいいんだけど、高いからね~。しかも内臓が悪いって言われちゃうからどうしようもないんだもん。確か中国の考えなんだけどね、内臓と間接の関係に注目した療法は。あぁ、ベストな状態で動きたいなぁ!最近はそこそこは出来てるけど、もっと動くような気がするんだよね~。今日も学校の練習の後にゲームしてリバウンドダンクしようと思って飛んで、リングにぶら下がったら笑われたし(笑)やっぱ試合中のダンクは憧れるよなぁ!両足だとあんま飛べないし、片足だと足首痛いから怖いし、まだまだじゃ…。元からそんなにジャンプ力がある方じゃないからね、やっぱあれは才能が…いや、そんな事はない!!努力でつくはずや!とりあえず明日は試合です!頑張ります~、また更新します~

久しぶりにPICK UP GAME!!

2006-04-28 | Weblog
どうもっす!
今日は朝からどうも疲れが抜けなくてだるい一日だったんですけど、先輩が麻布の方にある外国人クラブみたいなのがあるっつーんでお邪魔してきました。オフの時期になるとスーパーリーグの選手とかも来てるらしいんですが、今日は来ず…みんなが知ってるかもしれないのがワイス団くらいかなぁ。東京海上でプレーしてた人もいました。レベルはそこそこだけど、とにかくアメリカンとプレーするのが久しぶりだったんでかなり楽しめました。やっぱあっちの人はしっかりしてるよ。パワーもそうだけど攻め所が分かってる。フリーになればパスもくるしね、今日はポイントガードがいなかったからそこまでじゃなかったけど。やっぱやりやすいね!正直な感想。でも少しやりたりない部分もあるかな。まぁ俺のチームにワイスがいたからインサイドで有利だったのもあるかな。でも良い気分転換でした。そこのクラブは会員制であんま部外者が来れないようになってるらしく、今日ももしかしたらやれなかったんだけど、ラッキーだったね。勝ってたからずっとやれてたしね!最後には疲れて「もういい」って感じだったよ。先輩からも少しアドバイスもらえたしね。やっぱドライブしてフィニッシュまで持っていった方が評価高いみたいだね。今日は怪我したくなかったし、点取れてたから無理してやるってのがない分、レイアップに持ってかずにkick outしちゃったからね。少し人の目を気にしてプレー出来たのは良かったです。Pick Up Gameは最初の印象が大事だからまず自分が点がとれることをアピールしなきゃいけない。そうしなきゃパスなんか来ないからね。そうゆう環境でプレーするのはトライアウトに少し似てる部分もあるから経験にしていきたいね。実際自分のチームでプレーする程簡単な事はないからね。アジャストする力、これも大事な要素です。もう少し日本もバスケするのに良い環境がたくさんあればいいんだけどね。悩みの種です。まぁ、ないもねだりしても仕方ない!とりあえず課題もあるし、やるしかない!Peace,Thank you for Everything!

身体中がいてーーー!

2006-04-26 | Weblog
どうもっす!
今日も練習してきました。昨日の疲れもあってか、今日はあまり身体が動かず、午後までやたら寝てたのですが、夕方からの練習に参加させてもらいました。ストレッチしてスリーメン12分くらいやって、走り足りなかったんでシャトルを少しやってシューティング。最後ウェートやって今日は時間がなくて終わりました。シューティングはスクリーンをもらった後、ディフェンスをかわしてからのシュートを意識してやれました。とにかく体勢がくずれても、上半身で安定させる事が課題としてあるのでその辺はまぁまぁ上達してきたかな。後はミートですよね。足の調子が悪くてあまり実戦スピードでの練習は出来なかったんですが、まぁ今日の所はよしとしましょう(笑)ウェートはガッツリやりました~!ベンチプレスは重さ上げてやれたし、スプリットも45キロでやりました。次は50キロですね!だんだん飛ぶのがきつくなってきましたが…まぁなかなかですね!昨日サイドキックとかで横のトレーニングしたんですが、今だに筋肉痛が消えない、えらい事になってます。前は筋肉痛にならなかったのに…。やはり継続してやらなきゃなのかな。久しぶりにやったんで。つー感じで今日は筋肉痛が半端ないす!明日も練習、明後日もやれますね。土曜日は試合です!相手はイルスキルツというチーム。バシッと勝ちたいもんですね!brotherの方は今SILというリーグ出てて、5月13日にプレーオフがあるんでそれが今の所目標です。優勝したいですね!たぶん決勝はHotbrizzarsになるんだろうと予想してますが。なかなか粋な計らいで優勝するとJBLの大塚アルファーズと試合出来るんですよね!是非やりたい!すごく良い練習になりそう!まぁ、その頃には契約が取れてるのが理想ですが(笑)まぁ、そんな感じで毎日頑張ります!今日はプレーオフ見て寝ます!お疲れ様でした~

日記再開~!

2006-04-26 | Weblog
どうもっす!
随分長い間自分を振り返ってました。少し気が楽になれた部分もあったし、バスケが好きなんだって事が再確認出来たのはでかいと思ってる。最近の事はあまり書いてないけど、強度を落としながらも練習してました。今日もクラブチームで練習でした。レベルが落ちるとそれなりにストレスを感じることは多いんだけど、自分で点を取りにいくことでそれは解消されてるかな。それでも納得いかないこともあるんだけど、今はあせってません。怪我も完治してる訳じゃないし、調子が完全に戻った訳ではない。でも少しずつ改善されてるのを、客観的に見れてる。自信を取り戻すために点を取りにいってるしね。このまえは30分流しで45点はとったらしい(笑)俺は40点いくかいかないかくらいだと思ってたけど。駄目なところは多いけど数字に満足して最近は自分を甘やかしてみてる。そうすることでバランスを取れてる。自分の良い所を見つけてる、その積み重ねで本当の「自信」が出来ればと思うが、そんなに簡単じゃないだろうけど。少しずつ少しずつ、本番モードに持ってく日々が始まってるよ!明日も頑張ります!

アメリカ挑戦~現在

2006-04-25 | 昔話
これまでもこれからもずっとついて回る「自分への疑問」。「どこまでいけるのか」「もう無理なのでは」という意識との戦い。これにまず勝たないと相手との戦いは成り立たない。この時はこの疑問との大きな戦いだったと思う。ABAのサンノゼスカイロケッツはその当時、UCLAでチェンバレンも教えたjohn woddenコーチの元でプレー経験もあるコーチで、俺はjohn Woddenのバスケ論に感銘は受けてたのでその人に評価してもらえるってのはかなり嬉しいことだった。とにかく結果が欲しかった。トライアウト当日。受験者の人数が少ない。40人くらい。認知度が低かったんだと思う。その人数でさえ喜べたもんね、その時の俺には「人数なんか関係ない」なんて強気で格好いいことは言えなかったよ。決してレベルが高いとは言えないレベル。まぁ、その時は受かるとかよりもしっかりプレーして自信をつけたかったし、評価書が気になってたって感じ。実際、それまでのトライアウトよりは全然身体が動いたしね。それでも今から見れば最悪だけど。結果、合格。人生で初めて人に認められた。評価書ではアジリティとバスケIQの評価がかなり良かった。これが俺には特に嬉しかったね。俺のバスケ理論はある程度のレベルを持ってるって事だからね。自信を得たというより、「きっかけ」になった。転機だった。親の反対押しのけて、3日後には会社辞めてた。会社勤めしながら半年で60万くらいのお金を貯められてたからアメリカに行くお金はあった。ただ、今まで自分に可能性を見れないような状況が、自分に可能性を見て良いってアメリカという本場のプロのコーチに評価されたということが、俺にとってはバスケをしていいっていう「許可」をもらえたような感覚。中学、高校、良い評価なんか大してもらえたわけではない、スカウトが来たわけではない。確かにアメリカ人の言う事かもしれない、ビジネスがついて回ってるだろう、それでもプロの世界の人間に認めてもらえたのは当時の俺にはでかかった。10月に渡米、結果は不合格。前日に腰を痛めて悔しい思いしたよ。自分のプレーが出来なかったけど。7点くらいとれた。一つはカウント。こんな小さな事が自信になるからアメリカはすごいって思う。地区リーグのトライアウトも受験。大したレベルではないけど、合格。もう少し滞在出来れば試合に出れたんだけどその前に帰国。悔しさと成長出来る自信を得た。何が足りないかよく分かった。それからは練習とバイトの日々。トライアウト前はバイトを休ませてもらってるけど。この挑戦始めて、やっぱり辛い時は辛い。上手くいかない、成長を感じられない、不安、孤独、恐怖、マイナスの気持ちが心を満たす時はある。それでもやってるのは俺にとってバスケだけでは負けたくないという気持ち。何日かで書いてて思った。俺の今までのバスケ人生が俺にバスケを好きにさせてしまったんだと思う。憎いものでもあるんだけどね。でも純粋に「俺はバスケだけでは負けたくない」って気持ちがあるのを再確認出来たのは大きいよ。そしてバスケ界からはじかれたという現実を払拭したい、もう一度スポットライトの下でバスケするという気持ちの存在。俺の挑戦ははじかれた人間(俺)の意地なんだ。現に体育会の出身の人間でも落ちてるトライアウトに俺が合格する。なれないプロに俺がなる。実績がないからって鼻にもかけてくれなかったバスケ界。プロになれないって言う一般論。「お前には無理だ」「夢みたいな話ばかりするな」「しっかりしろ」という一般論。俺はそれに今まで苦しめられてた。そしてきっとこれからも苦しみ、俺は一般論と戦う。俺には「意思」がある。その人の道を誰かが否定する権利はあるのか。答えは…NOだ。確かにたくさんの人がそれぞれの道で挫折し、それぞれの道を歩く事を止めることは多いことかもしれない。でもやりもしないで否定する世間は気にくわない。誰にも守られず何か追う経験てのは今後に生きると思ってる。素晴らしい経験だと思う。バスケのプロを目指し、断念した人も今は違う目標に向けて頑張ってるのを俺は知ってる。俺は「何かをやりたい」という「意思」を尊重出来るような大人になりたい。いろいろな人と出会いたい。いろいろな経験をしたい。人生的に男としてでかい器を持ちたい。この「意思」を強く持って、俺はまた成長したい。今は大好きなバスケを通してね…

大学4年~社会人

2006-04-23 | 昔話
強豪チームを辞めた俺は就職活動なんてのも適当にこなして内定とってバスケ三昧の生活だった。とにかくアウトサイドを必死に練習した。brotherだとダブルチームを組まれて潰されることもあったからアウトサイドはかなり効果的なオフェンスのオプションだった。まぁ理想はダブルチームされても抜くことだけど(笑)全然触れてなかったけど、大学に入ってからは本当にストリートでバスケしてた。中国の友達とかも出来たから、大久保の日本人学校なんかよく行ったし、大久保公園も行った。コズミックも良く行ってたよ。今では有名?なチームが練習してるっつーんでみんな知ってるかもだけど。俺もコズミックは「黒人とバスケが出来る所」って言うんで初め行った時は超楽しみにしてたね。初め行った時は誰もいなかったけど。まぁよく怪我させられたね。奴らはドライブして抜かれたと思うとすぐファールするからね。フリースローないからさ。勝ち残りだし。ある意味シビアな感じがあって良い経験だった。両足捻挫してやって勝った時は「マジざまぁみろ」って感じだったな~。まぁ小さい幸せです。話が少しずれたけど、4年になって初めての都大会。ユニフォームはないし、登録費は高いし、分からないこと多いし、超大変だったよ。プレー以前の問題が多すぎた。勝ちにこだわる人間を集めなきゃだったし。チームは最悪の状況。勝てる訳ないよね。しかも埼玉よりもレベルは高かった。現実の厳しさを知った。何回も何回も負けて、俺は自分に自信を持てなくなってきた。人のせいにするのは誰でも出来るからすべて自分に原因があるって考えると、少し見えていた希望がどんどん見えなくなってた。それでも自分個人での挑戦がしたいという気持ちは絶えずあってbjのトライアウトを受験。ところがジャンパーズニーなんてのになって受けられなくて、追加トライアウトを受けることに。まったくついてない。追加トライアウトはその次の年度の5月だった。仕事しながらの挑戦。社会人になってから練習は出来ないし、座りっぱなしの仕事で腰を痛めた。その前にも腰を痛めてたので最悪だったね。コンディションは悪くなる一方。受かるわけないって思ってた。それでも会社には嘘言って有給もらってトライアウトを受験。結果5on5も出来ないで不合格。「仕方ない」次の日の仕事を考えると落ち込む時間はなかった。仕事が始まって夜10時に帰宅、そこから走りに行ってた。「大学時代からやってればなぁ」なんて後悔も少ししながら毎日やってたよ。でも全然コンディションは上がらなかった。絶望的。。書き忘れたけど、4年の最後に俺は初めてアメリカに行った。もちろん俺の目的はバスケ。ベニスビーチだね!日によってレベルが違うみたいだけど、結構やれて勝った!自信にもなったね。アメリカ人はマジでいいプレーすると誉める。ゲームをやらせてくれる。楽しかったよ。でもその自信も完全に失ってきた。brotherの試合でも駄目な感じ。レベル低い相手でもね。ブロンコスのチームトライアウト受験。これまた最悪。落ちたのは言うまでもないが、内容が最悪。これが人生で一番へこんだ。バスケ辞めようかと思ったよ。すがるものもない、実力が出せない、もしかしたら実力がないだけなのでは?って思う所まできた。実力がなくたって練習すればいいってものではない。練習する時間がないんだから。スランプって奴だ。とにかくまず身体を看てもらおうってことでマッサージに行った。これが転機。前にも書いたけど、スランプの原因は疲労だった。まぁ、書いてる現在もかなり疲労はあるらしいが。。(休まなくては)バスケを一切やらなくなり治療に専念。そんな時ABAのトライアウトが日本で開催されることを知る。しかも評価書までくれるというのだ。今までそんな機会がなかった俺は食いついた。受かる受からないよりも自分がどのレベルか知りたかった。俺はプロを目指すのはありえないことなのか、それとも可能性はあるのか。俺が言ってるのはただのわがままなのか、それとも…。

大学時代 後編

2006-04-23 | 昔話
「手も足も出ない」初めての経験だった。それまで完全に我流でポジション変更し、1on1しか頭にないような俺にとってもしかしたら初めての挫折だったのかもしれない。「足は俺の方が速いのに」「いつもは入るのに」初めは何故通用しないのか、どこが足らないのかがよく分からなかった。5on5をやってても「1on1をやらせてくれ」「ポストに構えないでくれ、俺にスペースをくれ」って事しか考えられないバカだった。自分でスペースを作る、自分でスペースを見つけてそこに動く。見方を動かして自分のスペースを確保する。何よりアウトサイドのシュートをおろそかにしすぎだったと思う。ほいほい教えてくれる人もいなかったから盗むしかなかった。自分がうまくいかなくて先輩にキレちゃって、困ったことにもなったし、試合出れなくてきつかった。当時は何よりそのチームで試合に行くのが嫌だった。「あんな下手くそなのになんでアイツあのチームに入れてるの?」って言われそうで嫌だった。過敏になってたね。でも少しずつ、少しずつ分かってくる。そのきっかけがそのチームでも別格だと思ってた人に教えてもらったこと。衝撃的だった。シュートフォームも変えた、1on1の意識が変わった。そしてなにより自信をもらえた。ここまで考えてやるのかってぐらい理論と哲学があった。足りなかったのは哲学。自分自身の哲学だった。まぁ、よく金魚のフンの如く付いて行ったよ!ずっと見てたしね。遊びにも連れて行ってもらったし、良い先輩だった。でもその先輩との関係で俺はそのチームを辞めることになる。そのチームに入って1年くらい経った頃、俺は練習では少し自分を出せるレベルになってた。メキメキ伸びてるのが自分で感じた時期。その時の俺はとにかくbrotherで腕を磨いて、そのチームで活躍出来るようになりたかった。まだ自分はチームメイトとして認めてもらえてないって感覚だったから、なんとかプレーで自分の居場所を求めた。この辺は周りが考えるよりも俺はなんでも深刻に考える性格だから、輪をかけて辛い思いしたよ。プレータイムが10分より40分出て練習した方が自分は伸びると思った。土曜日とかで重なるとbrotherを選んだ。それから少し時間がたって少しずつ上手くなってきて試合にも出してもらえるようになった時、brotherの試合で怪我をする。指の複雑骨折。今でも曲がってる。また進路に悩む時期でもあった。アメリカへの気持ちもあり、働いて金を貯めてアメリカに行くって考えてた。とにかくまだバスケをしたいという漠然な気持ちがあった。またbrotherを大学卒業しても残そうっていう話も出て都大会に出ようという事になる。どっちか選ばなければいけない。でもそのチームでは試合に出れない、brotherで頑張って上に行きたいって気持ちも出てきた頃、先輩との関係が悪化する。詳しくは書きたくない。ただ練習にあまり行けなかった時期でもあるし、怒られても仕方ないとも思えたけど、俺にとってはかなりショックだったし、誤解されてるとしか思えなかった。でもそれをきっかけに俺はチームを辞めることになった。もう居たくなかったし、覚えることは覚えたと思った。自分で上手くなれる自信はあった。現に周りの評価はここからの一年でかなり変わったと思う。辞めてから上手くなったって言われる。でも辞めた時は絶対見返してやるって気持ちだったよ。その気持ちが俺を上達させたと思う。後味の悪い、思い出だけど、確かに俺はそのチームで自分が上でやれるって希望みたいのが見えたんだ。バスケ界からはじかれた自分がもしかしたら…程度の希望だけどね。

大学時代 前編

2006-04-22 | 昔話
なんだか大分短めに書いてるのに長くなってしまいますね。もう少し!でも書いてて少し自分が見えてきた。本当に自分を振り返るのは大事な事だと思う。。えっと、どこからだっけ、あぁ、とりあえず高校バスケを引退してから俺も大学受験だった。進路を決めるのも少し悩んだ。このころから「アメリカ」という国にひかれてた。自分は全国の強豪校出身の選手からくらべて練習量も経験も少ない、この差を埋めるのに手っ取り早いのはアメリカ留学だと思った。調べてみるとオクラホマ州立大学、ここがベストだった。州立大学だから授業料も安かったし、治安も良かいらしい、偏差値も足りてた。アメリカのバスケの事なんか全然知らなかったから考えられたけど、ここはNCAAディビジョン1の大学。実際行ったら話にならなかったかもしれない。後で知った話では俺がもし行ってれば俺が4年生の代では全米ベスト8にもなるチームだった。トライアウトに受かる確率は低かったろうな。それでも当時の俺は行きたかった。相談してみるとやはり親は反対。その時親父は「アメリカ行きたかったら日本で一番とってから行くのが筋だろ。県大会も制せない奴が行っても可能性が低すぎる」ごもっともだ。この時はそう思えた。今の俺だったら違うけどね。アメリカの方が合う選手もいると思う、それでも日本で成功した人間の方がやはりアメリカでも成功出来る可能性は高いだろう。まぁ、その辺は難しい話です。大学で全然出れてない人が向こうのマイナーで出れてるってケースも事実あるし、俺が成功するにしても一般論は敵である。向こうに夢見る気持ちはある。まぁ、でも当時の俺は奨学金を借りての大学進学だったし、いろいろあって日本の大学に進学せざるを得なかった。大学に進学しても、体育会に入れないかもしれない。金銭的な理由で。でもそれは考えずに「バスケをするためだけに」受験勉強に励み六大学に進学。やはり体育会には所属できなかった。あまりにも情報がなかった。バイトしなきゃやってけないために練習出来ない、休みがちになってうざがれるようなら体育会に入りたくないとも思い、入部を断念。その時から体育会の奴、一般的にエリートとされる選手には負けたくないと思い、常に気持ちでは比較してた。体育館でシューティングしてても体育会の選手が練習始める前に来るとやたら真面目にシューティングしたりしてね(笑)「俺はお前らに実力で負けてる訳じゃない」みたいな感じで。勝手な敵対心だね。まだまだガキやな。つか今でもあるか。チームはどこに所属したかというと一応サークルには顔出したんだけど、やっぱ軽いのが苦手なわけですよ。上手くないのにうるさい先輩とかに耐えられない訳です。意味の分からない金集めとかね。そんなんに嫌気さして作ったチームがあってそこに誘われて入ったかな。でも大学生活って人を堕落させるもんだよ。いろいろな感情をわすれさせてしまう。もちろん根本的な所は忘れてないけど、環境によっては自分を出せないんだ。勝ちにこだわっちゃいけない、楽しくやる。マジくそくらえだった。それでも悩ませる言葉がある…「大人になれよ」…黙るしかなかった。俺みたいな人間だけじゃない。バスケが好きだけでやってる人を否定する訳にいかない。それはそれでいいんだって初めて気付いたのがその頃だった。それでも俺は自分のバスケがしたくてチームを作る。「勝ちたい」って奴を集めて。いろいろあった。その中でも「温度差」というものは存在するもので、理解出来ないこともあったし、高校時代全国出場だ、中国で選抜だ、国体選抜だ、やたら個性が強く、自分達が今までやってきたバスケを捨てきれない選手が多かった。俺はただ上手くなりたかったし、勝ちたかった。高校時代を引き合いにだして話してる事に嫌気がさしてきた時だった。もちろん、チームの奴らとは超仲良い!でも少しバスケでは価値観が違ったのかもしれない。大学2年の夏。母校の合宿に参加してると埼玉県の強豪チームに入らないかって誘われた。一回断ったんだけど、つまらなくなって、試しに一回見に行った。埼玉県の決勝。みんなでかくて、シュートが上手いってイメージ。決勝なのに40点差で離れてた。インパクトはその時はなくて、何が強いのかが良く分からなかった。でもその疑問が興味をひいた。やってみようと思った。このチームでの事が俺の価値観を変えることになる。手も足も出ない。初めての経験だった。

高校時代 後編 勝利への飢え

2006-04-22 | 昔話
俺はどうも周りから勘違いされやすい人間らしい。人相が悪いからか。。高校時代もそれで損した事は結構あると思う。とにかく俺はずっと勝利に飢えてる。きっと中学時代の経験からかもしれないが、負けるのが大嫌いだ。負けることの辛さを知ってる。負けることで失うものの大きさを知ってる。親が言うには昔から負けず嫌いだったらしいが。。この「勝利への飢え」が勘違いを起こすんだよね。もう少し楽しい高校生活、思い出が欲しかったんだけど。。まぁ、いろいろあった高校時代後編です………県北部から20数年ぶりに関東大会Aブロック出場という目の上のたんこぶ的な目標を作られてしまった自分の代だけど、それがまた先輩からは「谷間の世代」って言われるくらいレベルが低かった。マジ半端ないくらいね。10人くらいしかいなかったんじゃないかな、2人は高校からバスケ始めた子だしね。背も185あったのが俺だけ…俺はこの細腕でインサイドを任せられることに。まぁ前からだけど。でもこの頃くらいからポジションを変更したいって気持ちが大きくあったんだよね。関東出たことで自分の背でGやってる人間を見たからね。俺は太れない体質だから、その当時どう考えてもインサイドで成功する気がしなかった。だったら少しでもプレーの幅を広げたいって思った。今でもこの考えからポジションを変えようとしてる。PGにね。まぁ、話を戻してそんなレベルの子達が目標だけはでかくなってしまったって感じ。初めはひどいもんだったよ。とにかくパスが来ない。運べない。これが俺のポジション変更を加速させた気もするけど。簡単に勝ててたところが全然勝てない。終いには俺の代でスタメンが俺だけってことになった時もあったよ。アレはマジきつい!!自分の友達を応援したいのに、後輩が出て、でも自分の代の奴は大して練習しない日にはキレそうになった。いや、キレてたね。結局自分の代で試合に出れてた奴は俺ともう一人だった。試合で負ければマックでそいつと話してたよ。後輩ともそんなにうまくいかなくてさ、バスケが嫌になってきた。先生は先輩の時とは明らかに違う態度。ふざけるな!って感じだった。その頃から試合中、審判にも暴言を吐くようになっていった。すべてが上手くいかない。自分の好きなプレーが出来ない。つーか、バスケが分からない。今考えればただの下手くそなわがままな高校生だったよ、それでも一番勝ちたがってた奴は俺だった。現に、自分の代になって新人戦でなんとか県大会の出場切符を手にいれた後俺は2週間程バスケをしてない。「努力もしない、勝ちたくないのか?だったら俺はもうやらない。遊びでバスケはしたくない。」もううんざりしてた、俺だけに責任が擦り付けられてるような感じで、結局俺は逃げてたんだと思う。負けるのが嫌だった、でもその頃の俺には俺がなんとかしようなんて考えられる程大人じゃなかったね。部活さぼって2週間、先輩から電話があって、「どうした?体調でも悪いのか?」「いえ、元気ですよ」「じゃぁ、先生に代わる」「???」これにはビックリしたよ。今でも覚えてる。その後いろいろ話してバスケ部に戻った。審判への暴言なんかもこの頃には治ったね。我慢出来るようになったかもしれない。それは親父の一言、「スポーツマンがルール守れないようじゃスポーツする資格ない、審判はルールなんだ」なるほど~、納得。これはかなり納得出来たね。まぁ、今でも俺は審判にいちいち言うけど(笑)でも真面目にやってない審判にだけだけどね。いろんなことがきっかけになって少しずつ我慢出来るようになったかな。あぁ、でもまだあったな、春の大会、準決勝かな。あんま良く覚えてないんだけど、俺はとにかく勝ちたかった。いつもと同じ。でも周りに気合を感じられなかったから、一喝!すると先生が「なんだ、その態度は!?」てな感じでキレて俺は胸ぐらをつかまれ、開始5分経たずにベンチ。その試合もうコートに立つことなく、試合終了。1点差でチームは勝利。決勝前にチームメイトが先生に頭下げてくれて、なんとか決勝は出場したという…明らかに誤解されてたと思うけど。もうこんな感じで誤解されてばっかだった気がするね。結局最後の最後まで県大会では初戦敗退。それでも県大会も出れないんじゃないかって話が出るほどのチームがなんとか県大会に出れたのは普通に嬉しかったけどね。先輩が残したでかい目標がなけりゃもう少し喜べたのに。。だって周りからはあの代は特別て言われてお終いじゃん。まぁ、そんなこともあって引退しても泣けなかったね。それに頑張ってない奴が泣いてるのがむなしかった。ウチの高校は何気に進学校で、3年になるとやたら勉強しだす奴が多い。「おいおい、大会前だろ?練習しようぜ」「いや勉強あるから」「はあ!?」って感じの会話もあり、俺もあきれた。俺は身体中怪我しててボロボロ。この大会のときだけ、俺は諦めていたかもしれない。もう限界になってた。引退した後、悔しいもなく、悲しいもなく、もう一度上に行きたいって気持ちだけが大きくなってた。