「この間、せっかく『神の在否』を教えて貰ったんですけど、自分は頭が悪いから良く解らなくて・・・・・・。それで頭が悪いなりに考えたんですけど、自分は先生を“神の子”と信じ、それを通じて神の存在も信じようと思うんですが・・・・・・」
「頭が悪いからじゃなくて、考えるのが面倒だからなんでしょ? きちんと考えれば誰でも理解できることよ」
「いえ、本当に自分は・・・・・・」
「どちらにしても、それじゃ駄目よ」
「だ、駄目なんですか?」
「そうよ。それは“信じる”じゃなくて“依存してる”だけだから」
「依存?」
「“依存”は何も生み出さないわ」
「“依存”と“信じる”とはどう違うんですか?」
「そうねえ~“信じる”というのは先生と一緒に歩くことで、“依存”というのは先生の背中におぶさることかな?」
「・・・・・・良く解らないんですけど・・・・・・」
「そうね。自分で言ってても解らないわ」
マリヤはぺろりと舌を出した。
それがすごく可愛くて。
「具体的にいえばオウム真理教かな?」
「オウム?」
「そう。オウム真理教の信者たちは、教祖を絶対的に信じるとして善悪の判断も教祖に委ねちゃったでしょ? そして大勢の人を殺した。あれこそ“依存”で、私たちはそうであってはいけないのよ」
「で、でも、あんな豚みたいな教祖と自分たちの先生は全然違うじゃないですか!?」
「先生がどうこうじゃなくて、大切なのは私たち受け手の側なの」
「受け手?」
「噛めと命令されて噛む犬になってはいけないということ。泥棒に噛みつくのも子供に噛みつくのも、理由は同じ『噛め!』と命令されたから。それじゃ警察犬も狂犬も何も変わらないでしょ?」
「・・・・・・」
「自分で考えることを放棄して、先生に依存し、先生の後をついて行くだけなら、私たちもオウム真理教の信者と何も変わらなくなってしまうということよ」
「・・・・・・」
「解って貰えたかな?」
「・・・・・・あとでゆっくり考えてみます」
「そうね、それがいいわ」
マリヤはほがらかに笑った。
マリヤの後ろ姿を見えなくなるまで見送って、Qは長い溜め息をついた。
すっかり当てが外れてしまったのである。
何も問答がしたかったのではない。
さらに言えば『神の在否』をもっと詳しく知りたかったのでもない。
Qはマリヤに褒めて貰いたかったのだ。
「イエスを信じられるから神の存在も信じられる」
Qのそんな信仰告白に「それはとても素晴らしいことだわ」とマリヤに褒めて貰えると、てっきり思い込んでいた。
だからわざわざマリヤに質問したのに、まさか「それはただの“依存”よ」なんて叱られるとは思ってもみなかったのだった。
それにしても・・・・・・。
頭のいい人はものを難しく考えたがるものだな~とQはまた溜め息をついた。
理屈を突き詰めればマリヤの言う通りなのかもしれないけれど、あんなオウムの豚教祖と自分たちのイエスキリストが全く違うのは自明過ぎるほど自明のことなのに、何を小難しく・・・・・・。
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「頭が悪いからじゃなくて、考えるのが面倒だからなんでしょ? きちんと考えれば誰でも理解できることよ」
「いえ、本当に自分は・・・・・・」
「どちらにしても、それじゃ駄目よ」
「だ、駄目なんですか?」
「そうよ。それは“信じる”じゃなくて“依存してる”だけだから」
「依存?」
「“依存”は何も生み出さないわ」
「“依存”と“信じる”とはどう違うんですか?」
「そうねえ~“信じる”というのは先生と一緒に歩くことで、“依存”というのは先生の背中におぶさることかな?」
「・・・・・・良く解らないんですけど・・・・・・」
「そうね。自分で言ってても解らないわ」
マリヤはぺろりと舌を出した。
それがすごく可愛くて。
「具体的にいえばオウム真理教かな?」
「オウム?」
「そう。オウム真理教の信者たちは、教祖を絶対的に信じるとして善悪の判断も教祖に委ねちゃったでしょ? そして大勢の人を殺した。あれこそ“依存”で、私たちはそうであってはいけないのよ」
「で、でも、あんな豚みたいな教祖と自分たちの先生は全然違うじゃないですか!?」
「先生がどうこうじゃなくて、大切なのは私たち受け手の側なの」
「受け手?」
「噛めと命令されて噛む犬になってはいけないということ。泥棒に噛みつくのも子供に噛みつくのも、理由は同じ『噛め!』と命令されたから。それじゃ警察犬も狂犬も何も変わらないでしょ?」
「・・・・・・」
「自分で考えることを放棄して、先生に依存し、先生の後をついて行くだけなら、私たちもオウム真理教の信者と何も変わらなくなってしまうということよ」
「・・・・・・」
「解って貰えたかな?」
「・・・・・・あとでゆっくり考えてみます」
「そうね、それがいいわ」
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すっかり当てが外れてしまったのである。
何も問答がしたかったのではない。
さらに言えば『神の在否』をもっと詳しく知りたかったのでもない。
Qはマリヤに褒めて貰いたかったのだ。
「イエスを信じられるから神の存在も信じられる」
Qのそんな信仰告白に「それはとても素晴らしいことだわ」とマリヤに褒めて貰えると、てっきり思い込んでいた。
だからわざわざマリヤに質問したのに、まさか「それはただの“依存”よ」なんて叱られるとは思ってもみなかったのだった。
それにしても・・・・・・。
頭のいい人はものを難しく考えたがるものだな~とQはまた溜め息をついた。
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