二人のユダ

その日⸺⸻
神よ、神よ、なぜ私を見捨てられたのか!?と、その人の声がとどろいて、灰色の空に無数の罅(ひび)を入れた。

第12章 イエスキリスト、神殿に吠える。その8

2018年08月09日 | 日記
小高い丘を這い登ってくる嘲笑や悪罵に背中をかき乱されて、Qはどうしていいか解らなかった。
どんな顔をすればいいのか解らなかった。
振り返って、イエスを嘲弄する者たちを睨みつければいいのだろうか?
それとも落ち着いて“神の神殿”が見える振りをすればいいのだろうか?
不安にかられてQは仲間たちをキョロキョロと見回した。
が、周りには新参者が多いせいか、Qの視線は同じように不安そうな視線とぶつかるばかりだった。
その中にも、イスカリオテのユダはQと目が合うと、なぜかニヤリと笑い返してきた。
もう一人のユダ、熱心党員のユダは目をキョロつかせることなく静かに前を向いていたが、それは厚い信仰心からではなく“我関せず”という風にQには受け取れた。
その一方で、前に居並んでいる古参の弟子たち、ペテロやヨハネやメトセラの爺さんたちは、さすがというべきか、落ち着いたものだった。
表情こそ窺い知れないが、その背中には一抹の不安も感じとれない。
もしや彼らには本当に“神の神殿”が見えているのだろうか・・・・・・。
イエスは「見よ!」と両手を挙げて宣告したまま、黙している。
あたかも芸術家が自分の作品を披露する時に、しばらくは聴衆の目にまかせて、解説らしいことは何も言わないように。
お調子者の商人が一人、前にしゃしゃり出てきて幻想の階段に足をかける真似をしてみせ、転んでみせる。
どっと笑い声がおこり、Qを歯ぎしりさせた。

しかしそんな不安も嘲笑も、イエスが次に口を開くまでの僅かな間でのことに過ぎなかったのである。



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