巨大地震が起きる前触れの一つに、前震がある。
東日本大震災でも分かるように、巨大地震が発生してから、前震だったと発表がある。
事前には判別付かないものだった。
しかし、事前に警告を発すことができたのではないかとする研究者も出てきた。
以前にも記したが、要は、受け取るわたしたちの問題だろうと思う。
前震の恐れ、と警告され、それが本震につながらなかった場合に、非難せずに受け入れられるか。
あるいは、前震の恐れと言われて、混乱をきたさないか。
国民の混乱を避けるために、事実は隠蔽されたり後出しにされたりごまかされたりしてきた。
こうなると、もう一つも信じられなくなる心境に陥る。
都合のいい数字を取り出して、都合のいい結論のために使うだけだろうとうがった見方をするようになる。
だが、すべてをごまかし無く出されても、それ相応の対応ができる構えがこちらにも無ければならない。
緊急地震速報が、誤報が多くても気構えに役立ち、また改良されるように、
前震についても、恐れずにやって欲しいというわたしたちの声が必要なのかもしれない。
東日本大震災規模とされる平安時代の貞観(じょうがん)地震(869年)や関東直下型地震、
東海・東南海・南海地震の3連動とみられる仁和(にんな)地震など9世紀に起きた地震が、
阪神大震災(平成7年)以降の地震の状況と酷似していることが、
産業技術総合研究所の寒川(さんがわ)旭(あきら)・招聘(しょうへい)研究員(地震考古学)の分析でわかった。
近い将来に首都圏直下型や3連動型地震が起きる可能性が高いとの見解を示し、
「千年に一度の巨大地震の世紀になるかもしれない」と警鐘を鳴らす
9世紀前半に関東北部や東北などでマグニチュード(M)7前後の地震が相次いだ後、
貞観地震が発生していることを確認した。
寒川氏の分析によると、最近数十年間に秋田などで死者100人以上を出した日本海中部地震(昭和58年、M7・7)や
阪神大震災(M7・3)、新潟県中越沖地震(平成19年、M6・8)など各地でM7前後の地震があり、
その後東日本大震災が発生した点が、平安時代の状況と共通していると指摘した。
首都圏直下型地震や東海・東南海・南海地震について寒川氏は、
いずれもフィリピン海プレートの影響下にあり関連が深く、
過去の首都圏直下型や仁和地震に匹敵する3連動型地震が発生する可能性が高いとした。
また、6月30日に長野県中部で起きた震度5強の地震は、
千年あまり活動がなかった牛伏寺(ごふくじ)断層付近で発生。
7月5日にも和歌山県北部で震度5強の地震があったことからも
日本列島が活動期にあることが改めて浮き彫りになった。
「千年に一度の巨大地震の世紀」 東海・東南海・南海3連動と首都圏直下型地震も 平安時代に匹敵と地震考古学の研究者 8.3
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110803/dst11080301010000-n1.htm
左/東日本大震災の地震と余震 中/過去の大地震 右/世界の大地震
@東京大学地震研究センター アウトリーチ広報
東日本大震災の震源付近で約50時間前に起きたマグニチュード(M)7・3の地震は、
直後の活発な余震活動を精査し、前兆的な「前震」と見極めていれば
「巨大地震発生があり得る」と警告できたのではないか-。
東北大ニュートリノ科学研究センターの林野友紀准教授が、こんな解析結果をまとめた。
M7・3の地震は3月9日午前11時45分に発生。
宮城県で最大震度5弱、岩手県で最大60センチの津波を観測した。
気象庁は大震災後になって「前震」との見方を示した
前震とされるM7・3の地震の余震は、
差がM1・5未満のものが7回、1・7未満が8回など過去の地震より際立って多かった。
つまりは、3月9日M7.3の地震の後に起こった地震を精査すれば、
まだこの後に大地震が来ることが、予測できた可能性があるということか。
通常の余震よりもどの程度の規模の地震がたくさん発生しているかで、判断が付くということか。
行政機関で発表ができないなら、わたしたちで、地震を注視していればある程度予測が付くのか。
その頃の地震の記録はこちら。
9日11時45分頃 三陸沖 M7.3 震度5弱 10日01時58分頃 岐阜県美濃中西部 M3.3 震度1 11日03時14分頃 宮城県北部 M3.5 震度3
9日11時57分頃 三陸沖 M6.3 震度3
9日12時02分頃 三陸沖 M5.2 震度1
9日12時08分頃 三陸沖 M5.9 震度2
9日12時19分頃 三陸沖 M5.3 震度1
9日12時59分頃 熊本県熊本地方 M2.8 震度2
9日13時01分頃 熊本県熊本地方 M3.1 震度2
9日13時06分頃 三陸沖 M5.5 震度2
9日13時03分頃 熊本県熊本地方 M2.6 震度2
9日13時32分頃 三陸沖 M5.1 震度2
9日13時37分頃 三陸沖 M6.1 震度3
9日13時46分頃 三陸沖 M5.1 震度2
9日15時12分頃 三陸沖 M4.6 震度1
9日15時14分頃 三陸沖 M4.7 震度1
9日15時25分頃 三陸沖 M5.1 震度1
9日16時14分頃 三陸沖 M4.8 震度1
9日16時56分頃 三陸沖 M5.0 震度1
9日16時56分頃 三陸沖 M5.0 震度1
9日17時02分頃 三陸沖 M5.2 震度2
9日17時55分頃 三陸沖 M4.6 震度1
9日19時13分頃 三陸沖 M4.7 震度1
9日20時28分頃 三陸沖 M5.2 震度2
9日21時03分頃 三陸沖 M4.6 震度1
9日23時24分頃 三陸沖 M4.6 震度1
10日01時59分頃 三陸沖 M4.7 震度1
10日03時16分頃 三陸沖 M6.2 震度3
10日03時45分頃 三陸沖 M6.1 震度3
10日06時01分頃 三陸沖 M4.8 震度1
10日06時24分頃 三陸沖 M6.6 震度4
10日08時37分頃 三陸沖 M5.1 震度2
10日08時58分頃 三陸沖 M4.8 震度1
10日10時20分頃 三陸沖 M4.7 震度1
10日17時08分頃 三陸沖 M5.7 震度2
10日17時59分頃 三陸沖 M4.7 震度1
10日18時02分頃 三陸沖 M5.2 震度1
10日20時21分頃 三陸沖 M5.1 震度2
10日20時30分頃 三陸沖 M4.5 震度1
11日06時41分頃 茨城県南部 M3.4 震度1
11日06時50分頃 三陸沖 M4.5 震度1
11日07時44分頃 三陸沖 M4.8 震度1
林野准教授は「余震活動からみて、3月9日の地震は通常の本震と性格が違うことは明らか。(略
阪神大震災(M7・3)前日の平成7年1月16日にもM3クラスの前震が4回あったとされる。
@「大震災 警告できた」 2日前M7.3「前震」見極めていたら…
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110605/dst11060508020003-n1.htm
東日本大震災がどんな地震であったかの解析は、進んでいる。一部紹介。
リンク先で、グラフや図、アニメーションなどで分かりやすく説明されている。
防災科学研究所K-NET、KiK-net強震計(加速度)記録を太平洋岸に沿って南北に並べることにより、本地震の約500 kmにわたる断層破壊過程を直接かつ詳細に知ることができる。
最初の大きな断層破壊は宮城県沖で起き、強い地震波が東北日本全体に放射された。
その数十秒後に宮城県沖で大きな断層破壊が再び起きて強い地震波が放出された。
地震波の到着時刻は、破壊開始点からの距離とともに遅くなるが、
距離による時間差は二つ目の断層破壊では小さい。
このことは、二つ目の断層破壊が、陸から遠く離れた沖合で起きたことを示している。
それから間髪をいれずに、三つ目の断層破壊が茨城県北部の、陸に近い沖合で起き、
茨城県~栃木県に強い揺れが放射された。
震源に近いK-NET築館観測点(宮城県)では、2933 cm/s/sの強い加速度が観測され、
茨城県から岩手県南部にかけての広い範囲で200 cm/s/sを超える強い加速度が広がった。
強い加速度分布は、岩手~宮城県、福島県、栃木~茨城県の3カ所に延びており、
これらの地域の東隣で大きな断層滑りとが起きた可能性がある。
強い揺れは、糸魚川-静岡構造線付近を超えると急激に弱まっており、
付近の地下で大きく減衰した可能性もある。
文京区(東大地震研)での記録をもとに速度応答スペクトルを計算した。
2004年新潟県中越地震と比較すると,
中越沖地震では周期7秒前後の長周期地震動が強く発生して超高層ビルを中心に軽微な被害が出たが、
今回の地震ではそれと同程度の強い速度応答が、0.5~20秒の広い周期帯で発生。
超高層ビルだけでなく、木造家屋(0.5秒以下)~低層建築(1秒前後)~超高層(数秒)ビルなど全て大きく揺れたと考えられる。
@東大地震研広報アウトリーチ
http://outreach.eri.u-tokyo.ac.jp/eqvolc/201103_tohoku/#inducedeq
ついでに、過去にどんな地震があって、その前後にどんな前震や余震、誘発があったか、見ておこう。
1.貞観三陸地震(869年)の誘発地震
貞観11年三陸沖地震(M≒8.3)の10年後に起きた「元慶2年(878)関東諸国の地震(M7.4)」は,
伊勢原断層のすべりによるか(宇佐美,1996)とされている.
理科年表によると「相模・武蔵が特にひどく,5~6日震動が止まらなかった.
公私の屋舎一つも全きものなく,地陥り往還不通となる.圧死多数.」とある.
首都圏直下の地震ということになるが,
この地震は貞観三陸地震の「誘発地震」と理解できないこともないが,
10年という間隔は誘発地震としては間隔が開きすぎると言えるだろう.
2.宝永地震(1707)の顕著余震と誘発地震
宝永地震(M8.6,宝永4年10月4日未刻,1707年10月28日14時)は,
東海沖,および南海沖の震源が同時に滑りを起こした連動型の巨大地震と考えられている.
(2-A) 宝永地震の顕著余震
A1. 宝永地震の本震発生の約16時間後の翌日(宝永4年10月5日卯刻,午前6時)に
富士川の中流域を震源とする地震が起き,
本震では被害のでなかった,甲府盆地,富士宮,静岡,等で寺院の倒壊,および死者の発生があった.
A2. 本震発生の約3ヶ月半後の宝永5年1月22日(1708年2月13日),
京都では本震以後最大の揺れとされ,
伊勢山田(三重県伊勢市),和歌山県海南市で津波が記録されている.
宝永地震の最大余震であろう.
(2-I) 宝永地震の誘発地震
I1. 宝永地震の本震の23日後,長門国佐波郡上徳地村(現在山口市徳知)で
倒家289軒,死3の被害を伴う局地的な地震があった.「誘発地震」であろう.
I2. 宝永地震の本震の7年後の正徳4年(1714)に信濃小谷村(大町の北,白馬町)付近で誘発地震(M6前半)があった.
3.安政東海地震(1854)の顕著余震と誘発地震
安政東海地震(M8.4,1854年12月23日,安政元年11月4日)とは,
今で言う東海地震と東南海地震の連動地震.
被害は関東から近畿に及び,津波は房総から土佐までの沿岸を襲った.
(3-A) 安政東海地震の顕著余震
A1. 安政東海地震の約70日後の安政2年1月27日(1855年3月15日)
大井川下流域で堤防揺りこみ,焼津で液状化を伴う地震があった.
A2. 本震から約10ヶ月半を経過した,安政2年9月28日(1855年11月7日)
遠州灘を震源とするM7.0~M7.5の地震があり,家屋被害,津波をともなっていた.
安政東海地震の最大余震と見られる.
A3. 本震から約3年半経過した安政4年閏5月23日(1857年8月14日)の駿河湾内の地震(M6前半か)は
駿河田中城(藤枝市)の石垣土蔵などが崩壊した他,静岡,相良でも被害を生じた.
(3-I) 安政東海地震の誘発地震
I1. 安政東海地震の約75日後の安政2年2月1日(1855年3月18日)に,
富山県城端・保木脇でM6後半の地震があった.
I2. 安政東海地震の約11ヶ月後の「安政江戸地震」(M7.0~7.1)は
安政東海地震の誘発地震と見ることも出来る.
I3. 安政東海地震の4年半後の安政5年2月26日に「飛越地震」(M7.0~7.1)が起きた.
飛騨で死者203名が出たほか,常願寺川上流がせき止められ,
後に決壊して140名の死者をあらたに出した.跡津川断層の運動によると考えられている.
I4. 安政東海地震の4年半後の安政5年3月10日には信濃大町地震(M5.7)が起きている.
上述の宝永地震の誘発地震(I2)の震源位置ときわめて接近している.
4.明治三陸地震(1896)の誘発地震
岩手県沖で1896年6月15日に起きたM8前半の地震.地震の揺れによる被害はなく,
北海道から男鹿半島にいたる海岸に津波が襲来し,
北海道・青森・岩手・宮城で合計2万名を超える死者を出した.
津波波高は綾里で38.2m,田老で14.6mを記録した.
I1. 明治三陸地震(1896年6月15日)の2ヶ月半後(同年8月31日)に,
岩手県,秋田県の県境付近で「陸羽地震」(M7.2)が起きている.
死者は秋田県で205人,岩手県で4人を数えた.
I2. 明治三陸地震の1年10ヶ月後の1898年4月23日に宮城県沖地震(M7.2)が起きている.
釜石,仙台平野,石巻などで小被害,また小津波を伴っている.
この地震の震源域は明治三陸地震のそれより陸に近く,両者重ならないと考えられ,
余震ではなく誘発地震と推定される.
5.関東地震(1923)の余震
関東大震災には6つの大きな余震があった.
1923年9月1日11時58分にM7.9の本震が起きた後,
12時01分にM7.2,12:03にM7.3,12:48にM7.1の余震が起きた.
さらに翌日9月2日11時46分にM7.6,同日18時27分にM7.1の余震があり,
4ヶ月後の1924年1月15日にM7.3の余震が起きている.
余震のひとつひとつが兵庫県南部地震に匹敵あるいは上回るほどのものである.
6.昭和三陸地震(1933)の誘発地震
1933年3月3日に日本海溝付近でM8.1の巨大な正断層型の地震が発生し,津波が太平洋岸を襲った.
いわゆるアウターライズ地震.死者・不明者は3000名を超え,波高は綾里湾で28.7mに達した.
この地震にはとくに誘発地震と見られるものは見いだせない.
7.東南海地震(1944)の誘発地震
東南海地震(M7.9,1944)は三重県から遠州沖の海域に起きた東海地震の 一つと見ることが出来る.死者・不明者1223名のほか,遠く長野県諏訪盆地での住家全壊が12戸あった.
津波が各地に襲来し,熊野灘沿岸で6-8m,遠 州灘沿岸で1-2mだったと見積もられている.
紀伊半島東岸で30-40cm地盤が沈下した.
I1. 東南海地震(1944年)の47日後の1945年1月13日に,
愛知県蒲郡市の西方を震源とする「三河地震」(M6.8)が起きている.
死者は2306名とされ,東南海地震の死者(1223名)よりも多かった.
I2. 本震の4年半後の1948年6月28日に
福井県嶺北地方でM7.1の地震が起き(『福井地震』),死者が3000名を超えた.
8. 日本海中部地震(1983)の最大余震
1983年5月26日,秋田県沖でM7.7の地震が発生し,津波により100名を超える死者がでた.
この本震の北側に接する領域(津軽海峡西方)で,本震の25日後の6月21日に最大余震が起き,小津波を伴った.
9. 北海道南西沖地震(1993)の最大余震
1993年7月12日の夜10時過ぎにM8.2の地震が起き,揺れと津波とで多くの被害が出た.
特に奥尻島での被害が甚大で,青苗の市街地で10mを超える津波があった.
この最大余震は本震の27日後の8月8日に起きた.
http://outreach.eri.u-tokyo.ac.jp/eqvolc/201103_tohoku/inducedeq/#kakonojisinjpg
@東大地震研
http://outreach.eri.u-tokyo.ac.jp/eqvolc/201103_tohoku/inducedeq/
地球のクセを見抜けるようになりたい。
先日の記事
「メカニズム「東海」同様か 12日の遠州灘M5.2」
との関連が非常に気になるところです。
想定しているシナリオがあって、それに沿って起きる地震については予知できる。
でもそれ以外はまったく分からないから言及しない。
それが「(想定される)東海地震に直接結びつかない」ということだろうと。
今日は、東海地震はしばらく起こらないよとはっきり言い続けている
琉球大の木村教授をご紹介します。
政治研究会(名前検討中 地球は どうなっていくんだろう
わたしたちはどうなって行くのでしょう。