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おひっこししました

うーむ

2019-03-20 08:39:52 | かんがえごと
自分が無人島に漂着してお腹が空いて死にそうな時、
魚の釣り方を教えてくれる人と、魚を釣って食べさせてくれる人がいたら、自分は後者に速攻で飛びついて、救世主として崇めるんだろうなあ。
自分にとって本当に今後生きて行く上で大事なすべを教えてくれてるのは前者なのに、その時その時はただ目の前の困難を乗り越えることだけに手いっぱいで、長い目で見た時なにが自分の糧になるのかって多分考える余裕も想像力もない。
魚を釣って食べさせてくれる人だってもちろんその場の自分にとっての救世主に他ならず感謝すべきことなんだけど、魚の釣り方を教えてくれる人の偉大さに気づくのはずっと時間が経ってからなんだよなー。
大人になってからとか、かなり時間が経って、誰かの愛の鞭(って言うと大げさだけど)に気づくことが多々あって、その度にあのときそれに気づけなくてごめんなさいって超思う。
上みたいな例(その場しのぎの助けじゃなく、将来独力でなんとかできるようになるためのすべを教えてくれる)だけじゃなくて、わたしのためを思って耳に痛いことを言ってくれる、とかも含めると、本当に自分は色んな人から大切なことを教わって、大切にしてもらって、でもその場でそのありがたみに気づけなかったことが山ほどあるんだなーって、なんか切なくなるな。
嫌われても良いからその子のためになることを教えてあげたいって、無償の愛だよなあ…すごいよなあ……
なにがあったとかじゃないけど、色々考えてしみじみしちゃった笑