今年のミスは粒ぞろい。
岩を背景に踊り始めを撮ると、輪踊りでは後ろ向きばっかりになってしまう。
奉納だから社殿を向いて踊るのは当然だけど、今年の踊りは特にそうだよな。
奉納演舞
. . . 本文を読む
享保年間(1716~1736)から大慈寺の専修行事であった新山河岸で行っていた川施餓鬼の燈籠流しが起源といわれています。
ただ、1815年に仙北町新山河岸間の渡し舟で津志田の芸妓、大時・小時らが水難事故に遭ったため、事故の翌年から今のように舟に位牌を飾り、供物をあげて供養するようになったそうです。
藩政時代、北上川から城下に架かる橋は夕顔瀬橋一つだけで、ここ明治橋あたりは小舟を並べて鎖で繋ぎ板を . . . 本文を読む
去年も思ったことですが、ミスさんさよりも選考が簡単なミス太鼓やミス横笛の方が綺麗だと感じてしまいます。
ミスさんさの公開審査(2次審査)を会場での一般投票にしたらどうだろうか?
ミスさんさ
奉納演舞
. . . 本文を読む
長く住んでいてもチャグチャグ馬コをきっちり観たことがないので、あねっこを見に出かけました。
チャグチャグ馬コは、旧暦の5月5日に鬼越の駒形神社(蒼前神社)へ馬を曳いてお参りした蒼前参りが起源で、寛政年間(1789~1800年)には現在のような小荷駄装束で馬を飾っていたようです。
本来、農家が蒼前神社へ行って帰るだけの行事だったものが盛岡へパレードするようになったのは、昭和5年に来盛した馬好きの秩 . . . 本文を読む
啄木が新婚当時に間借りしていた民家で、同心屋敷程度の民家だそうです。
私が学生だった頃は住人がいて、非公開だったのですが、今は市の所有になって管理人がいます。
庭には適度に雑草があって良い雰囲気です。
啄木新婚の家
鈴蘭
胡瓜草
酸実?
. . . 本文を読む
久々の小岩井。
前回は20年近く前の雪祭りでした。
そのときの帰りの盛岡行きの路線バスが、小岩井道が混んでいるからと小岩井駅経由から滝沢経由へルート変更!
かなり大胆なことをしてくれましたっけ。
路線バスで小岩井へ向かうと、小岩井駅前の次が観光部のまきば園で、5キロほど停留所がありません。
だもんで、農牧の本部事務所はパス。
一本桜は8日に開花し、9日には満開と、いつもながら駆け足です、
一本 . . . 本文を読む
啄木が幼年時代と代用教員時代を過ごしたところです。
記念館には、代用教員を務めた小学校と間借りしていた町屋が移築されています。
私が子供の頃には、貧乏な啄木に迷惑を被った人のお孫さんなどが存命で、賢治に比べるとダーティーなイメージの偉人です。
渋民公園
石川啄木記念館
旧・渋民尋常小学校
斉藤家町屋
. . . 本文を読む
青山・みたけ・月が丘あたりは旧・陸軍関係施設が集まっていた所で、「みたけ」の名は大正天皇が皇太子時代に命名した「観武」に由来すると言われています。
現存する施設は僅かで、特に覆馬場は3棟あったうちの2棟が2008年に解体されてしまいました。
この日は、「もりおか雪あかり」のサブ会場に覆馬場がなっているため内部も公開されました。
ちなみにアイスキャンドルの点灯は17時頃だそうです。
旧・騎兵連隊 . . . 本文を読む
楓の本数は多いのですが、かなり散っているのに色が淡い。
樹は大きくても華奢な印象があります。
庭の大きな窪みは池跡だと思うんですが、この先どうするつもりなんだろうか?
建物
庭園
. . . 本文を読む
盛岡市長田町の武田邸です。
最近、市の所有になりましたが、まだ前所有者が住んでいるのかな?
横浜家の屋敷跡で、庭は江戸末期作庭、建物は戦後に建てられたものです。
表門
中門
庭園
. . . 本文を読む
奥州道中です。
上田惣門の外は上田茶屋というで、ココから城下町の外になります。
街道は北へ庚申坂、左京坂を上り、黒石野坂を下って行きます。
鍛冶丁一里塚跡
四ツ家門跡
上田組町跡
上田惣門跡
上田一里塚
黄金水
大坂、座当転ばし
長坂
小野松一里塚
. . . 本文を読む