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釜石市鈴子町周辺の変貌

2015-03-26 16:47:33 | 日記

50年前、釜石市鈴子町は、釜鉄正門、製鉄病院、山神社、職員住宅、釜鉄温水プール、
釜石駅、国鉄購買部、国鉄機関区、丸通、釜鉄労働会館(労組本部)、釜鉄研究所
などがあり、釜石市の心臓、頭脳だった。
今はどうなった。
釜鉄は、細々と「線材」のみの生産で、高炉も転炉も無い。
労働者は100人居るのか?
かっての本工9000人、下請け9000人の勢いは今何処。
病院は小佐野町に移転。
プールは閉鎖。東北でゆういつ屋内温水プールだった。
職員住宅は解体。山神さんは小川町の弓道場そばに移転。
購買部、機関区、丸通は無い。
労働会館、研究所も無い。
変わって、スーパーマイヤー、岩手銀行、薬王堂、ケーズデンキ、仮設のんべえ横丁、
釜石大槌󠄀消防署、「観光物産施設」、「橋上市場」の片割れ、自動車修理工場が現れた。
鈴子郵便局が当時は釜鉄正門の向、軽鉄病院の横にあった。
今はほんとに奥まった袋小路のような所に姿を留めているのが、昔も今も「変わらず」
になってしまった。


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