ミケマル的 本の虫な日々

大ちゃんのフアンになったのはいつからかしら?


フィギュアファンの間で、ある選手のファンになったきっかけがオリンピックという人が多いので、よく「平昌落ち」「ソチ落ち」などと最近言う事が多くなってます。

そういう言い方からすると、私は大ちゃんに「バンクーバー落ち」したのかな。

でも、実はライトファンになったのはもっと前のトリノオリンピック以前からです。


私はもともとフィギュアスケートが好きでTVでは見てました。
(古くは札幌オリンピックのジャネット・リンとか←歳がわかるわ〜〜)

アイスダンスという種目ができた時には感動したのを覚えてるです。

まあ結構昔から見てたのですが、ずっと男子シングルって私にはあまり面白くなかったのです。

クラシックの曲に合わせて滑ってジャンプする、また滑ってスピンするって感じのプログラムが多くて、みんな同じ感じだったのですね。

長野オリンピックくらいから、少し個性が感じられるようになったけど、その頃はアイスダンス見るのが好きだったかな。

 その後、日本では本田君(いまは本田先生ですが)が頑張っていて、4回転跳んで世界選手権やオリンピックでも良いところまで行くけれど、その頃は東洋人の男子は表彰台に立てなかった時代でした。

 何しろ、各審判が技術点、芸術点をそれぞれ6.0満点で採点していたので、今から見るとすごくアバウトで、基準もはっきりしていなくて、特に芸術点は東洋系の選手には点が出にくいという歴史もありました。

 本田君はピークの時には4回転が素晴らしいジャンプが得意な選手だったけれど、ロシアのヤグディン、プルシェンコ2人の戦いの時代で、苦戦を強いられていました。

 そんなで、あまり男子シングルに興味がなかったのだけれど、お!この選手は違うかも!と思ったのが高橋大輔選手でした。

 高橋選手(以下大ちゃん)が本田君の次の選手と言われていて、トリノオリンピックの前の世界選手権に本田君と大ちゃんが出ました。本田君が怪我してしまって、大ちゃん1人で頑張らなくちゃならなくなった時に15位になってしまって、トリノの男子枠が1になった・・・・という事も。

 その頃は、大ちゃんはすごく波が会って、素敵なスケーティングなんだけど、ジャンプが大切なところで決まらない事があったのですよね。

 でも、その頃から、この選手はなんか違う、ステップが違う、それまでの男子と違って滑って飛ぶ、滑って回るではなくて、音に合わせて踊ってる!と思って、応援し始めてました。

 大ちゃんが出て来た頃に、同じ関西大学の織田君が強くなって来て、トリノオリンピックの1枠はこの2人の争いになりました。

 この代表を決める全日本選手権で、あの有名な?ジャッジの点数の間違いで1位が織田君だったのが、実は大ちゃんの方が点数が高かったので、1位と2位が変わってしまうという事が起こったのです。

 私は大ちゃんを応援してたので、あ〜オリンピックは織田君?ってちょっと残念だったのだけど、実は大ちゃんが2位でも、そのほかの条件(グランプリファイナルで3位表彰台など)でオリンピックは大ちゃんだったという事だったようです(すみません、その当時の詳しい事は定かでないのですが)

 結局、全日本も1位となり、トリノオリンピックは大ちゃんが男子の1枠で出場しました。

 ご本人曰く、トリノはなんだか分からないうちに終わったという事でしたが、ショートプログラムは比較的よかったので、フリーの最終グループに入って、これはもしかして?なんて思ったけど、最初の4回転ジャンプの失敗を引きずってしまい、8位で終えました。

 でも、大ちゃんのプログラムはショートのムーランルージュもフリーのラフマニノフも今までの男子スケーターとは違うものを感じさせる滑りで、あ〜〜高橋君はやっぱり良いな〜、でも残念って思ったのを覚えてます。

 この悔しいオリンピックの後、バンクーバーへの道が始まり、私もだんだんライトから普通のファンになって行くのですが、
 続きはまた次回に書きます😄 

   

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