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ベルサイユのばら嫡出の女と庶出の男、跡継ぎはどっち?

2011-03-12 17:20:51 | マンガと歴史
ベルサイユのばらー嫡出の女子と庶出の男子跡継ぎはどっち?
ベルサイユのばら外伝に出てきた男の子をご存知だろうか?名前はモーリス、母に死なれ「父をたよってジャルジェ家に来た子供です」母の名前はフローラ、モーリスは母と二人パリに住んでいた模様です。オスカルは「あの少年が本当に私の弟だったら私の人生はまったく違ったものになるだろう」「弟だったら私はもうこの軍服を着続ける必要は無いのだ」と想います。そんな時「ジャルジェ将軍のもとへ刺繍入りのチョッキが送られてきます。
-刺繍文字には「愛しいレニエへフローラより」とかかれていました。」(レニエというのはオスカルパパの名前です)本当にモーリスはジャルジェ将軍の息子なのでしょうか?
事態はその後、意外な方向に向かいます。それはジャルジェ家に入った馬泥棒、馬泥棒は言います。「6年前に貸した馬を帰してもらいに着ただけだ」そして爆弾発現「ガキえらい高い熱を出した時、医者に連れて行くのにオレの馬を借りただろ?」「パリに囲っていたフローラって女のちっこい息子だよ。6年前の・・・・」「ようやく調べ上げたんだからな、ジャルジェ将軍と」と言いますがジャルジェ将軍が顔をみせると「ウ・・・ソ・・・」人違いと気づき愕然とします。ようやく探し当てたのに・・・・・。
そして、その後まだ朝のうちにジャルジェ家に来訪者が現れます。名前はビュゾー大佐、ジャルジェ将軍の部下です。そしてモーリスを見つけると抱きしめるのです。そう、モーリスはこのビュゾー大佐の息子だったのです。大佐は話します。10年以上前、パリの町娘フローラに恋をしたこと、そして結婚の約束をしますが両親の反対にあいかけおちの約束をしたこと、なのに約束したその日に怖気づき行かなかった自分の卑劣さ「私は卑怯者です、自分を取り巻く社会を捨てきれなかった。と・・・・」それきりフローラは姿を消してしまい。長男だったビュゾー大佐は両親に決められた結婚をしたこと。子供も次々と生まれ若い日の恋の痛みも忘れかけたある日、フローラと再会したのだと・・・・。ビュゾー大佐はフローラのためにパリに一軒家を買い与え密かに愛を育みそしてモーリスが生まれたのだと言います。そんなある日まだ幼いモーリスが高熱を出し医者に連れて行くため、いきずりの人に馬を借りたことしかし、ここで正直に出ればフローラとモーリスのことが家族にバレてしまうかもしれない。それでモーリスを医者に連れていくと馬を返すこともせずそのまま家に帰ってしまったと・・・・。数日後パリの屋敷を訪れた時フローラとモーリスの姿はなくなっていた。「フローラは2度までの私の過ちを許してはくれなかったと・・・」こうしてビュゾー大佐とモーリスは抱き合いハッピーエンド。そしてオスカルが言います「分らないのは何故モーリスがウチに着たかということだ?」ビュゾー大佐は言います。「申し訳ありません、フローラの関心を引きたい余りジャルジェ将軍の名を騙ってしまいました」若気の至りだったのです・・・と。
ジャルジェ将軍は大声をはりあげて怒り一件落着です。
さてここで、モーリスの立場について考えて見ましょう。両親は、結婚していませんからモーリスは私生児です。この時代、私生児にも色いろな立場の人がいました。両親共、未婚の場合の私生児を単純私生児、父母のどちらかあるいは双方が別の人と結婚している場合を姦生子、そして近親相姦から生まれた子を近親子として区別していました。(もっとも、中世以来、教会は4親等までの血縁者間の結婚を禁じてきていたので私の集めた資料では、どの程度、血が近ければ近親相姦になるのかわかりません。)さて、話をモーリスにもどしましょう。両親は二人とも未婚の状態で出会っているとはいえ二人は破局し、数年後、再会した時は父親は結婚しています。父親は妻子ある身で女をパリに囲うことになったのです。そして生まれたのがモーリスですから、モーリスは姦生子です。革命前のフランスは私生児にとってはとても過酷なものでした。フランスはキリスト教の国です。そのため神の前での結婚をしていない男女から生まれた私生児は罪の子として差別され、たとえ認知されていても法的にも慣習的にも何の権利もなかったのです。仮に父親の家族に迎えられたとしても法的には私生児には何の権利もありません。まさに、家なき子の状態でした。
モーリスの場合は私生児それも姦生子です。従ってモーリスはビュゾー大佐に引き取られてもこれから先、多くの困難が待ち構えていることになるのです。(父親には嫡出の子供たちがいることも考えるとモーリスの立場は非常に微妙です)
ここで話を変えてオスカルのことを考えてみましょう。モーリスが本当にオスカルの弟だったらオスカルは本当に軍服を着続ける必要が無くなったのでしょうか?ジャルジェ将軍には家庭があります。女ばかりですが、嫡出子が6人います。モーリスが本当にジャルジャ将軍の息子だったとしても立場はやはり姦生子です。もちろん、法定相続権はありません。それでもやはり男は男、女のオスカルに家督相続させるより、実の息子がいるのだったらそちらに相続させたいと思うかもしれません。そしてオスカルには自然に(?)普通の女にもどってほしい(?)と思うかもしれません。そうなるとジャルジェ将軍はモーリスを養子とし跡継ぎにして(養子の権利は嫡出子と同等)オスカルは自由の身にという図式になるのでしょうか?しかし、あの年まで男として育てられ軍人貴族として生きてきたオスカルが、モーリスの出現で突然、自由の身になったとしても、どんな生き方があるでしょう・・・・?私には分かりません。
でもジャルジェ将軍が必ずしもそう考えたとは限りません。この年まで、娘オスカルを男として軍人として、鍛え上げて無理な生き方を強制してきて男の子が出来たからといって、あっさりポイできるものでしょうか?オスカルにしても「これまでの私の人生はなんだったのだ?」と疑問に思ったかもしれません。ジャルジェ将軍は、やはり、跡取りはオスカルしかいないと思ったかもしれません。そして、モーリスには父親としてできる限りのことをするに留める。という図式が自然な気もします。
どちらにせよモーリスはジャルジェ将軍の息子ではなかったわけですから、これらは私の想像の域をでませんが・・・・・。
さて最後に私生児の問題について少し書いてみようと思います。フランス革命後1793年11月2日のデクレ「自然児相続権遡及法」によって私生児にも相続権が認められます。それも相続分は嫡出子と同等という画期的なものでした。しかし残念なことに、相続権が認められたのは単純私生児だけで、姦生子と近親子には認められませんでした。それでも扶養料は認められ革命前の家なき子状態からは大きく前進します。でも、この法律は長続きしませんでした。テルミドールの反動によって私生児に与えられた権利はどんどん無くなっていってしまいます。そして、ナポレオン法典によって私生児は正式に法定相続人になれないことが明文化されてしまうのです。


ベルサイユのばらと私生児と

2011-03-10 19:13:18 | マンガと歴史
ベルサイユのばらと私生児とー
マンガ「ベルサイユのばら」は多くの人に読まれたヒット作である。かくゆう私も読者のひとりであるが今回はフランスと革命と私生児についてみていきたいと思う。まずフランスではアンシャン・レジーム期を古法の時代、革命期を中間法の時代、ナポレオン法典以降を近代法の時代と区別してきた。このような法律の変遷のなかで私生児の立場はその時代時代によって大きくかわっている。ベルサイユのばらの時代は革命前夜なので古法の時代になる。
さて「ベルサイユのばら」を読んでいるといくつかの疑問点がでてくる。まず第一に、この時代、女に相続権はなかったはず・・・。いくらオスカルを男として育てても女は女、ジャルジェ家の家督は継げないはず。それにオスカルを男として育ててしまっては婿養子のきてもなくなってしまう。まあ、マンガの中では父、ジャルジェ将軍に結婚しろといわれた時、山のように求婚者が現れますが・・・。ジャルジェ将軍はそのあたりをどう考えてオスカルを、男として育てたのでしょう。
あとは、ロザリーやら、ジャンヌやら、ベルナールやら、みんな謎多き私生児のキャラクターたちであります。それというのもこの時代たとえ認知がされても私生児には相続権も何も無かったのです。
非嫡出子に関しては、この時代にあってはキリスト教の厳格な倫理感に基づいて、これ等の者はバタールとしてさげずまれ、法的には正式の父母を有さずしたがって法定相続権も無くまさに「家なき子」の状態だった。しかもその人の財産(私生児が自分で築き上げた財産)はその死亡と共に主の無い財産となり私生児その人の子孫に相続されることも、許されず国王及び領主の所有になってしまったのです。この様な問題は宗教の問題でもありました。革命前の時代カトリック教会が日本でゆうところのいわゆる戸籍事務をつかさどっており、出生、婚姻、死亡等の身分変動は、管轄する聖堂区の人名簿に登録されることを要した。そのため信者でないプロテスタントやユダヤ教徒はカトリック教会で挙式しないためその婚姻を登録してもらうことが出来ない。このため夫婦は適法に婚姻しているものとは認められず、生まれてくる子は私生児となってしまい親の財産は子に相続されることなく国王や領主に帰属してしまった。この事態は革命前の末期、大きな社会問題となり1787年の王令では、非カトリック教徒の身分証書は世俗の役人が扱うことし、この不都合を除去しようとした。革命後1792年9月20日-25日の法律は全ての身分変動に関する事務を市町村吏員いわゆる身分吏の管轄に移した。
さてマンガに話をもどしましょう。まず、ロザリーはポリニャック夫人とサン・レミー男爵との間に生まれた子。そしてジャンヌはラ・モリエールとサン・レミー男爵との間の子。そしてベルナールは妻子ある貴族に権力ずくで愛人にされた母親から生まれた子です。
このころ私生児にも色々いて、父母共に未婚の場合の私生児を、単純私生児、父母のどちらかまたは双方が別の人と結婚している場合の私生児を、姦生児それから近親相姦から生まれた子を近親児として区別していました。(もっとも教会は中世以来4親等までの血縁者の結婚を禁止してきているそうなのでこの時代どの程度、血が近ければ近親相姦となったかは私の集めた資料には書いてないので分りませんが・・・。)ロザリーを生んだ時ポリニャック夫人は15歳、当然未婚でした。(両親にも知られず身ごもったといっていましたから)サン・レミー男爵が結婚していたかは、ハッキリとは書かれていませんでしたが「命をかけて愛し、信じていたのに・・・・」「彼は女中のラ・モリエールにも手をつけ、すでに女の子を生ませていたと知ったとき・・・・・」byポリニャック夫人というからにはサン・レミー男爵は独身とみていいでしょう。つまり、ロザリーは単純私生児です。
次にロザリーの姉ジャンヌですが、ラ・モリエールも未婚のようでしたのでジャンヌも単純私生児です。一方ベルナール・シャトレですが彼は妻子ある貴族に権力ずくで愛人にされた母から生まれたのですから姦生児(不倫の子)となります。ベルナールは5歳の時、母に無理心中の道ずれにされ、自分だけが助かったという身の上です。父親は誰なのかハッキリしていますが、この時代私生児には何の権利もありません。5歳の子供がいきなり1人きりになり(それとも母方の親族等がいたのでしょうか?例えば祖母とか?)その後どの様な苦労の末、新聞記者にまでなったのかちょっと想像出来ません。きっと大変な苦労だったのでしょう
単純私生児であるロザリーとジャンヌにも、もちろん親の子としての一切の権利はありません。父親のサン・レミー男爵は亡くなっていますがもし財産を残していたとしても私生児に相続権はありません。こうして、ロザリーとジャンヌという異母姉妹はラ・モリエールの女手一人で育てられることになります。その後ジャンヌは自分の手で未来を切り開き(野心に向かって突き進み)ロザリーは母ラ・モリエールを気遣いながら必死に働きますが、ラ・モリエールを、ポリニャック夫人の馬車にひき殺されてしまいます。復讐を誓ったロザリーは、ベルサイユへ向かい、その途中「でっかいお城」をベルサイユ宮殿と思い込んで馬車から降りてきたジャルジェ夫人を刺し殺そうとしてオスカルに止められます。ことの仔細をきいたオスカルはロザリーに同情し屋敷に引き取ります。
時がたち、ロザリーは宮廷に出入りできるほどの貴婦人になり、オスカル、アンドレにエスコートされベルサイユにおもむきます。そこで母の仇ポリニャック夫人と再会、隠し持っていたナイフでさそうとしますがオスカルに止められてしまいます。こうした一連の流れの中で、ロザリーは母モリエールに「お前は本当は貴族の娘、母の名はマルティーヌ・ガブリエル・・・・」と言い残されていたことをオスカルに話し、実の親探しが始まります。そして、こともあろうに育ての母ラ・モリエールの仇、ポリニャック夫人が実の母親だと分ります。ポリニャック夫人は夫人でロザリーの苗字がラ・モリエールだと知ると昔、自分が生んだ子かもしれないと思い調べます。そして娘シャルロット亡き後、ロザリーを引き取ろうと画策しますがしかし、どういった形でひきとるのでしょうか?ポリニャック夫人の夫という人は作品に出てきませんから、どんな性格なのかとんと見当もつきません。・・・・が、妻が自分との結婚前にほかの男との間に出来た娘を引き取るのはいい気はしないと思うのですが、それにこの時代、女はまったくの無能力者で全て後見の夫がたよりです。つまりポリニャック夫人にはロザリーを引き取る権利も義務もないのです。(権利がないのは無能力者だから、義務が無いのは私生児には一切の権利が無かったから)まあ合理的に考えればやはり、ポリニャック伯爵の養女として引き取られたと考えるのが妥当な気がします。(養女は嫡出子と同等の権利を持つ)どう考えてもあの強欲なポリニャック夫人の夫ですからなんでも妻の言いなりだったように思われてなりません。
こうして色いろな私生児がベルサイユのばらを彩りました。
最後に革命がおき、私生児に相続権が認められたのは1793年11月2日「自然児相続権遡及法」のデクレからです。しかし認められたのは、単純私生児のみで、姦生児と近親児の相続権は認められませんでした。でも、扶養料は認められ革命前の家なき子状態を大きく前進しました。