ベルサイユのばらー嫡出の女子と庶出の男子跡継ぎはどっち?
ベルサイユのばら外伝に出てきた男の子をご存知だろうか?名前はモーリス、母に死なれ「父をたよってジャルジェ家に来た子供です」母の名前はフローラ、モーリスは母と二人パリに住んでいた模様です。オスカルは「あの少年が本当に私の弟だったら私の人生はまったく違ったものになるだろう」「弟だったら私はもうこの軍服を着続ける必要は無いのだ」と想います。そんな時「ジャルジェ将軍のもとへ刺繍入りのチョッキが送られてきます。
-刺繍文字には「愛しいレニエへフローラより」とかかれていました。」(レニエというのはオスカルパパの名前です)本当にモーリスはジャルジェ将軍の息子なのでしょうか?
事態はその後、意外な方向に向かいます。それはジャルジェ家に入った馬泥棒、馬泥棒は言います。「6年前に貸した馬を帰してもらいに着ただけだ」そして爆弾発現「ガキえらい高い熱を出した時、医者に連れて行くのにオレの馬を借りただろ?」「パリに囲っていたフローラって女のちっこい息子だよ。6年前の・・・・」「ようやく調べ上げたんだからな、ジャルジェ将軍と」と言いますがジャルジェ将軍が顔をみせると「ウ・・・ソ・・・」人違いと気づき愕然とします。ようやく探し当てたのに・・・・・。
そして、その後まだ朝のうちにジャルジェ家に来訪者が現れます。名前はビュゾー大佐、ジャルジェ将軍の部下です。そしてモーリスを見つけると抱きしめるのです。そう、モーリスはこのビュゾー大佐の息子だったのです。大佐は話します。10年以上前、パリの町娘フローラに恋をしたこと、そして結婚の約束をしますが両親の反対にあいかけおちの約束をしたこと、なのに約束したその日に怖気づき行かなかった自分の卑劣さ「私は卑怯者です、自分を取り巻く社会を捨てきれなかった。と・・・・」それきりフローラは姿を消してしまい。長男だったビュゾー大佐は両親に決められた結婚をしたこと。子供も次々と生まれ若い日の恋の痛みも忘れかけたある日、フローラと再会したのだと・・・・。ビュゾー大佐はフローラのためにパリに一軒家を買い与え密かに愛を育みそしてモーリスが生まれたのだと言います。そんなある日まだ幼いモーリスが高熱を出し医者に連れて行くため、いきずりの人に馬を借りたことしかし、ここで正直に出ればフローラとモーリスのことが家族にバレてしまうかもしれない。それでモーリスを医者に連れていくと馬を返すこともせずそのまま家に帰ってしまったと・・・・。数日後パリの屋敷を訪れた時フローラとモーリスの姿はなくなっていた。「フローラは2度までの私の過ちを許してはくれなかったと・・・」こうしてビュゾー大佐とモーリスは抱き合いハッピーエンド。そしてオスカルが言います「分らないのは何故モーリスがウチに着たかということだ?」ビュゾー大佐は言います。「申し訳ありません、フローラの関心を引きたい余りジャルジェ将軍の名を騙ってしまいました」若気の至りだったのです・・・と。
ジャルジェ将軍は大声をはりあげて怒り一件落着です。
さてここで、モーリスの立場について考えて見ましょう。両親は、結婚していませんからモーリスは私生児です。この時代、私生児にも色いろな立場の人がいました。両親共、未婚の場合の私生児を単純私生児、父母のどちらかあるいは双方が別の人と結婚している場合を姦生子、そして近親相姦から生まれた子を近親子として区別していました。(もっとも、中世以来、教会は4親等までの血縁者間の結婚を禁じてきていたので私の集めた資料では、どの程度、血が近ければ近親相姦になるのかわかりません。)さて、話をモーリスにもどしましょう。両親は二人とも未婚の状態で出会っているとはいえ二人は破局し、数年後、再会した時は父親は結婚しています。父親は妻子ある身で女をパリに囲うことになったのです。そして生まれたのがモーリスですから、モーリスは姦生子です。革命前のフランスは私生児にとってはとても過酷なものでした。フランスはキリスト教の国です。そのため神の前での結婚をしていない男女から生まれた私生児は罪の子として差別され、たとえ認知されていても法的にも慣習的にも何の権利もなかったのです。仮に父親の家族に迎えられたとしても法的には私生児には何の権利もありません。まさに、家なき子の状態でした。
モーリスの場合は私生児それも姦生子です。従ってモーリスはビュゾー大佐に引き取られてもこれから先、多くの困難が待ち構えていることになるのです。(父親には嫡出の子供たちがいることも考えるとモーリスの立場は非常に微妙です)
ここで話を変えてオスカルのことを考えてみましょう。モーリスが本当にオスカルの弟だったらオスカルは本当に軍服を着続ける必要が無くなったのでしょうか?ジャルジェ将軍には家庭があります。女ばかりですが、嫡出子が6人います。モーリスが本当にジャルジャ将軍の息子だったとしても立場はやはり姦生子です。もちろん、法定相続権はありません。それでもやはり男は男、女のオスカルに家督相続させるより、実の息子がいるのだったらそちらに相続させたいと思うかもしれません。そしてオスカルには自然に(?)普通の女にもどってほしい(?)と思うかもしれません。そうなるとジャルジェ将軍はモーリスを養子とし跡継ぎにして(養子の権利は嫡出子と同等)オスカルは自由の身にという図式になるのでしょうか?しかし、あの年まで男として育てられ軍人貴族として生きてきたオスカルが、モーリスの出現で突然、自由の身になったとしても、どんな生き方があるでしょう・・・・?私には分かりません。
でもジャルジェ将軍が必ずしもそう考えたとは限りません。この年まで、娘オスカルを男として軍人として、鍛え上げて無理な生き方を強制してきて男の子が出来たからといって、あっさりポイできるものでしょうか?オスカルにしても「これまでの私の人生はなんだったのだ?」と疑問に思ったかもしれません。ジャルジェ将軍は、やはり、跡取りはオスカルしかいないと思ったかもしれません。そして、モーリスには父親としてできる限りのことをするに留める。という図式が自然な気もします。
どちらにせよモーリスはジャルジェ将軍の息子ではなかったわけですから、これらは私の想像の域をでませんが・・・・・。
さて最後に私生児の問題について少し書いてみようと思います。フランス革命後1793年11月2日のデクレ「自然児相続権遡及法」によって私生児にも相続権が認められます。それも相続分は嫡出子と同等という画期的なものでした。しかし残念なことに、相続権が認められたのは単純私生児だけで、姦生子と近親子には認められませんでした。それでも扶養料は認められ革命前の家なき子状態からは大きく前進します。でも、この法律は長続きしませんでした。テルミドールの反動によって私生児に与えられた権利はどんどん無くなっていってしまいます。そして、ナポレオン法典によって私生児は正式に法定相続人になれないことが明文化されてしまうのです。
ベルサイユのばら外伝に出てきた男の子をご存知だろうか?名前はモーリス、母に死なれ「父をたよってジャルジェ家に来た子供です」母の名前はフローラ、モーリスは母と二人パリに住んでいた模様です。オスカルは「あの少年が本当に私の弟だったら私の人生はまったく違ったものになるだろう」「弟だったら私はもうこの軍服を着続ける必要は無いのだ」と想います。そんな時「ジャルジェ将軍のもとへ刺繍入りのチョッキが送られてきます。
-刺繍文字には「愛しいレニエへフローラより」とかかれていました。」(レニエというのはオスカルパパの名前です)本当にモーリスはジャルジェ将軍の息子なのでしょうか?
事態はその後、意外な方向に向かいます。それはジャルジェ家に入った馬泥棒、馬泥棒は言います。「6年前に貸した馬を帰してもらいに着ただけだ」そして爆弾発現「ガキえらい高い熱を出した時、医者に連れて行くのにオレの馬を借りただろ?」「パリに囲っていたフローラって女のちっこい息子だよ。6年前の・・・・」「ようやく調べ上げたんだからな、ジャルジェ将軍と」と言いますがジャルジェ将軍が顔をみせると「ウ・・・ソ・・・」人違いと気づき愕然とします。ようやく探し当てたのに・・・・・。
そして、その後まだ朝のうちにジャルジェ家に来訪者が現れます。名前はビュゾー大佐、ジャルジェ将軍の部下です。そしてモーリスを見つけると抱きしめるのです。そう、モーリスはこのビュゾー大佐の息子だったのです。大佐は話します。10年以上前、パリの町娘フローラに恋をしたこと、そして結婚の約束をしますが両親の反対にあいかけおちの約束をしたこと、なのに約束したその日に怖気づき行かなかった自分の卑劣さ「私は卑怯者です、自分を取り巻く社会を捨てきれなかった。と・・・・」それきりフローラは姿を消してしまい。長男だったビュゾー大佐は両親に決められた結婚をしたこと。子供も次々と生まれ若い日の恋の痛みも忘れかけたある日、フローラと再会したのだと・・・・。ビュゾー大佐はフローラのためにパリに一軒家を買い与え密かに愛を育みそしてモーリスが生まれたのだと言います。そんなある日まだ幼いモーリスが高熱を出し医者に連れて行くため、いきずりの人に馬を借りたことしかし、ここで正直に出ればフローラとモーリスのことが家族にバレてしまうかもしれない。それでモーリスを医者に連れていくと馬を返すこともせずそのまま家に帰ってしまったと・・・・。数日後パリの屋敷を訪れた時フローラとモーリスの姿はなくなっていた。「フローラは2度までの私の過ちを許してはくれなかったと・・・」こうしてビュゾー大佐とモーリスは抱き合いハッピーエンド。そしてオスカルが言います「分らないのは何故モーリスがウチに着たかということだ?」ビュゾー大佐は言います。「申し訳ありません、フローラの関心を引きたい余りジャルジェ将軍の名を騙ってしまいました」若気の至りだったのです・・・と。
ジャルジェ将軍は大声をはりあげて怒り一件落着です。
さてここで、モーリスの立場について考えて見ましょう。両親は、結婚していませんからモーリスは私生児です。この時代、私生児にも色いろな立場の人がいました。両親共、未婚の場合の私生児を単純私生児、父母のどちらかあるいは双方が別の人と結婚している場合を姦生子、そして近親相姦から生まれた子を近親子として区別していました。(もっとも、中世以来、教会は4親等までの血縁者間の結婚を禁じてきていたので私の集めた資料では、どの程度、血が近ければ近親相姦になるのかわかりません。)さて、話をモーリスにもどしましょう。両親は二人とも未婚の状態で出会っているとはいえ二人は破局し、数年後、再会した時は父親は結婚しています。父親は妻子ある身で女をパリに囲うことになったのです。そして生まれたのがモーリスですから、モーリスは姦生子です。革命前のフランスは私生児にとってはとても過酷なものでした。フランスはキリスト教の国です。そのため神の前での結婚をしていない男女から生まれた私生児は罪の子として差別され、たとえ認知されていても法的にも慣習的にも何の権利もなかったのです。仮に父親の家族に迎えられたとしても法的には私生児には何の権利もありません。まさに、家なき子の状態でした。
モーリスの場合は私生児それも姦生子です。従ってモーリスはビュゾー大佐に引き取られてもこれから先、多くの困難が待ち構えていることになるのです。(父親には嫡出の子供たちがいることも考えるとモーリスの立場は非常に微妙です)
ここで話を変えてオスカルのことを考えてみましょう。モーリスが本当にオスカルの弟だったらオスカルは本当に軍服を着続ける必要が無くなったのでしょうか?ジャルジェ将軍には家庭があります。女ばかりですが、嫡出子が6人います。モーリスが本当にジャルジャ将軍の息子だったとしても立場はやはり姦生子です。もちろん、法定相続権はありません。それでもやはり男は男、女のオスカルに家督相続させるより、実の息子がいるのだったらそちらに相続させたいと思うかもしれません。そしてオスカルには自然に(?)普通の女にもどってほしい(?)と思うかもしれません。そうなるとジャルジェ将軍はモーリスを養子とし跡継ぎにして(養子の権利は嫡出子と同等)オスカルは自由の身にという図式になるのでしょうか?しかし、あの年まで男として育てられ軍人貴族として生きてきたオスカルが、モーリスの出現で突然、自由の身になったとしても、どんな生き方があるでしょう・・・・?私には分かりません。
でもジャルジェ将軍が必ずしもそう考えたとは限りません。この年まで、娘オスカルを男として軍人として、鍛え上げて無理な生き方を強制してきて男の子が出来たからといって、あっさりポイできるものでしょうか?オスカルにしても「これまでの私の人生はなんだったのだ?」と疑問に思ったかもしれません。ジャルジェ将軍は、やはり、跡取りはオスカルしかいないと思ったかもしれません。そして、モーリスには父親としてできる限りのことをするに留める。という図式が自然な気もします。
どちらにせよモーリスはジャルジェ将軍の息子ではなかったわけですから、これらは私の想像の域をでませんが・・・・・。
さて最後に私生児の問題について少し書いてみようと思います。フランス革命後1793年11月2日のデクレ「自然児相続権遡及法」によって私生児にも相続権が認められます。それも相続分は嫡出子と同等という画期的なものでした。しかし残念なことに、相続権が認められたのは単純私生児だけで、姦生子と近親子には認められませんでした。それでも扶養料は認められ革命前の家なき子状態からは大きく前進します。でも、この法律は長続きしませんでした。テルミドールの反動によって私生児に与えられた権利はどんどん無くなっていってしまいます。そして、ナポレオン法典によって私生児は正式に法定相続人になれないことが明文化されてしまうのです。