情報宝島

情報の発信

「便りがないのが良い便り」・・・

2011年03月22日 15時28分14秒 | Weblog
東日本大震災から11日目・・・
長い長い10日間だった。
海岸沿いの被災者の方は,本当に長い10日間であり,これからも続く避難生活になるだろう。
我が学校の町にも,1000名の避難者を受け入れるようだ。
それに伴い,多くの生徒も我が中学校に仮の在籍となる。
これから始まる,未知との遭遇に不安が募るのは私だけはないだろう・・・

市内の小中学校の入学式と始業式は,4月21日以降に決まった。
例年よりも,二週間遅れのスタートである。
土曜日が授業日になるのか,長期休業(夏休み)が短くなるのか,市教委の判断を待つことになる。
どちらにしても,辛いに代わりはない・・・

さて,話変わり・・・
ガソリン不足のため,車での移動を控える昨今だったが,友達の助けがあり,40リッター入れることができた。
エンプティーマークからの脱出である。
持つべきものは,良き友達だ。
それに引き換え,教え子たちは安否確認の連絡すらない。
我が家で,飲み放題,食い放題,騒ぎ放題して行ったおバカな教え子たちよ!
妻は,「飲み食いした分,返しなさい!」と怒っている・・・
「便りがないのが良い便り」とはよく言ったものだ。

書きたいことは,チョモランマだが,また長文になってしなうのでこの辺にしておこう・・・
ブログを再開させたのは,今回の大震災での情報得るためである。
書き込みがあったのは,教え子ではなく,大学時代の同級生だった・・・

やはり,このブログは閉鎖するのが良さそうだ・・・
また,いつの日か・・・

チャリティーゲーム・・・

2011年03月21日 07時26分18秒 | Weblog
昨日の記事に,大学の同期からの応援メッセージが届いた。
何の希望も持てなかった最近だったが,我に返ることができた。
辛い選手時代を共にした同期からのメッセージは心が温まる。

明日からは通常勤務になる。
ガソリンの不足で,車での通勤は不可能である。
自転車通勤を考えたが,ママチャリで30キロ以上の道のりは厳しい・・・
朝早く,ガソリンスタンドを偵察しに行った。
すでに,数キロ並んでいた・・・
400~500台は並んでいるだろう・・・
今日の給油は断念した。
このブログを更新した後,今日の食料を確保にスーパーに並ぶとしよう・・・

さて,話は変わり・・・
昨日のニュースで,16歳の少年と80歳の祖母が,9日振りに救出さてた。
あの地区は,昨年の秋口にソフト部の強豪高校と練習試合を行った際に通った。
道幅が狭く,迷路のような道になっている。
それが,救出を遅れさせた原因だと推測できる。
あらゆる奇跡が重なり合い,生かされた命なのだろう・・・
近くに布団があり,冷蔵庫も近くにあったようだ。
ヨーグルトとコーラで飢えをしのいだと語っている。
それに比べれば,ガソリンが無い,食べ物が足りない,電気が無いなど・・・
屁のカッパに過ぎない。
本当に嬉しいニュースである・・・

また,違うニュースでは,プロ野球の開催日程について話題になっている。
ニューヨークヤンキースは,開幕からの6連戦を被災のためのチャリティーゲームにすることを発表した。
海外からの被災地へ向けての活動は,被災者にとってどれほど励みになるか計り知れない。
だが,日本のプロ野球はどうだろう・・・
利益中心の日程調整としか考えられない。
プロ野球のファンが激減する理由がここにあるのだと感じた。
私は今後,プロ野球を観戦することはないだろうと思う・・・

他にも書きたいことが山ほどあるが,この辺にしておこう・・・
長文になってしまったことをお許し願う・・・
さぁ~朝食など食べる時間はない。食材確保の放浪の旅に出るとしよう・・・

震えた心・・・

2011年03月20日 09時08分15秒 | Weblog
昨日の午前中は暖かだった。
ボランティアの合間を縫って,食材確保のため長男と共にスーパーに並んだ。
2時間ほど並び,2日分の食料を調達できた。
行列に立ちながら,目隠しのために貼られた新聞に目をやった。
地震の後,新聞を読む時間すらも無かった。
幸い,時間もたっぷりあり,新聞に目を通した。
短い記事だったが,心が震えた・・・
行列のど真ん中で涙をこぼした・・・
もし,我が子だったら・・・ 
このお父さんの計り知れない悲しみを考えると,涙が止まらなくなった・・・

≪動かぬ子 強く抱く≫
『車で走っていると,がれきの海と化した住宅地の方からオレンジ色の毛布を抱えた男性3人に呼び止められた。「車に乗せてくれ」「避難所まで,早く出せ」ヘルメット姿で疲労感をにじませた男性の一人が必死の形相で訴えてきた。
毛布にくるんでいたのは子どもだった。保育園の名札が見えた。ほとんど動かない。
発車前,付き添いと見られる男性に子どもの状況を尋ねた。絶望的なのか。首を横に振った。辛い思いでアクセルを踏んだ。「寒いのか?」移動中も男性はそう言って顔を埋めるようにわが子を抱いた。
2,3分後,避難所の体育館に着いた。医師が子どもの目にペンライト,胸に聴診器を当てる。
ゆっくりと首を横に振った。男性は声もなくむせび泣き,動かない子どもを力いっぱい抱きしめた。
周りの人たちが,子どもの顔についた泥を丁寧に拭き取った。』
  ( 東日本大震災 3月13日付 河北新報(仙台市)より抜粋)

改めて,震災の威力と影響を実感した。
地震は,私たちに被災の爪痕と悲しみを残した・・・
ここから,どう行動するかが大切なのだろう・・・

不信感・・・

2011年03月19日 08時19分09秒 | Weblog
被災から一週間が過ぎた。
見なかったところも,徐々に全貌が見え始め,改めて災害の大きさを痛感する。
毎年,お正月に訪れていた志津川の神割崎の「潮風」という民宿の安否が気になっていた。
結婚以来,11年間お世話になった。
先ほど,知り合いと連絡が取れ,家族全員の無事が確認できた。
本当に嬉しい知らせだった・・・
しかし,民宿(集落)は跡形も無くなったという・・・
小学校の娘さんは,津波から走って逃げたという。足の遅い同級生は波にのまれたとか・・・
実に生生しい話しに,背筋がゾッとした。
仙台に移住し,民宿は廃業するとのことである。
また,知り合いの先生が,渡波に親族がいるので様子を見に行った。
「壊滅」以外の何ものでもなく,生き延びた人の話では,津波で溺死された遺体を飛び越えて逃げてきたとのことである。

さて,今日はボランティアもお休み・・・
ガソリンも無く,食べる物すらも無いこの状況で,しかも土曜日だというに出勤命令が出た。そのため,先日行われた東北大会の振替休業をいただいた。
学校から,遠く離れた場所に生活本拠地を置く先生方は,移動手段が無いため,出勤の換わりに最寄りの避難所でボランティアを行えという指示である。
来れる先生方は,自転車や徒歩でも出勤しろとのことだ。
20㌔以上自転車で通勤する先生も数名いる。
他の学校の先生方に電話で,勤務について聞いてみた。
「しばらく自宅待機。自分の家のことをしなさい」という指示だという・・・
校長の判断にこれまで差があるとは・・・
ボランティアの指示を受ける際に「ボランティアが嫌ではない。意図は良くわかる。本当に市内の教職員全てへの指示なのですね」と確認した。
私のボランティアに行っている避難場所には,私以外,一人の先生だけでだった。
しかも,その先生は,その避難所に避難している人だった・・・
要するに私一人がボランティアをしたことになる。
公務員として,避難所を支えることに,なんら異論はない。
しかし,妻と子どもをスーパーに3時間も並ばせて,私がボランティア・・・
ちょっと違うような気がする・・・

「皆さんも被災者ですから,やることをやったら自宅待機してくだい」となぜ言えないのだろう・・・
我が校の管理職への不信感は募るばかりだ・・・
他の職員も陰では言いたい放題だが,いざ面と向かうと自分が可愛くなる。
私は,声を大にして抗議する・・・

久し振りの更新なのに「愚痴」をこぼしてしまったようだ・・・
申し訳ない・・・
小さな情報でも構わない。
情報をください・・・

拾った命・・・

2011年03月18日 15時45分00秒 | Weblog
皆さん!地震でのケガはありませんか?
本当に,本当に酷い自然災害がやって来てしまいました。
多くの被災者の方にとって,悲惨な一週間だったことでしょう・・・
我が家も8日振りに電気が通電し,ライフラインが確保されました。
でも,食べるものも無く,呆然とその日を暮らす日々です。

現在は,ガソリンが無いため,通勤もできず市教委の指導で最寄りの避難所のボランティアをしています。
今は,一次帰宅し,4時から夕飯の準備のため,再度避難所へ向かいます。
海岸沿いの被害から比べれば,我が市はそれほどの被害ではなかった。
いや,そうでもない・・・
我が市も復興までには,相当の苦労が必要だと感じた。

この場をお借りして・・・
災害に遭われ,お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。

教え子のみなさんへ
情報が全くありません。
どんな小さな情報でも構いません。
近況報告でも構いません。
こちらの書き込みで,お知らせくださいm(__)m

お互い生かされた命です。
今後も大切にしましょう・・・