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2019年よりパルクールのお店を始めたので、ブログを移動しています。

2021年03月02日 19時40分24秒 | parkour
パルクール屋内練習施設 JUMP & LEAPのホームページ内でブログをやっています。

こちらから移動できます。
https://www.jump-leap.com/blog
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COVID-19を乗り越えるための行動|パルクール|#be strong to be useful|#survive from COVID-19

2020年03月30日 15時15分53秒 | parkour
コロナウイルスという言葉を聞かない日はないようになりました。
本質的な感染による重症化や死亡などのダメージに加え、オリンピック延期や各イベントの中止や延期、あらゆる経済的ダメージもこれから拍車を掛けて増していくことが予想されます。うちの会社も例外なくダメージを受けておりますが、必要以上の感染機会の増加を防ぐ意味でも、ビジネス的な拡大活動はしていません。COVID-19は年齢によらず感染リスク、重症化リスクがあるとも言われており、各国民全員の意識的な感染予防のための行動も必要ということが、具体的になってきている気もしてきました。

そこで今回私がこのブログで発信したいのは、「COVID-19を乗り越えるための行動」です。

Webで溢れる情報は混乱を呼び、適切な行動を選択できなくなることにも繋がります。
私はその一助として、せめてパルクール界だけだとしても、この世界的危機的状況を乗り越えるための知識共有をしたいと思いました。

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1.WHOが推奨する行動
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WHOが3/20に以下9つのアドバイスを発表しました。これは外出制限の状況下で心身ともに健康であるための項目です。

①免疫力を高めるために健康的な食生活を送る
②アルコール類と糖分の多い飲み物を控える
③喫煙しない。COVID-19の症状を悪化させるリスクを高める
④大人は1日30分以上、子供は1日1時間以上運動する
⑤外出が許可されている場合は、他人と安全な距離を保ちながら、散歩・ランニング・サイクリングをする
⑥家から出られない場合は、ダンス・ヨガ・階段昇降などをする
⑦在宅勤務時は、同じ姿勢で長時間座らない
⑧30分ごとに3分の休憩を取る
⑨音楽を聴く、本を読む、ゲームをするなどして緊張を解放する
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ストレスが免疫を弱化させるため、これらはストレスを溜めないための行動指標でもあります。
そして④〜⑥で言われているように、運動はも健康維持のためには有益な行動です。

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2.適切な情報収集
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WHOが作成した「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)一般向け特設ページ」
https://extranet.who.int/kobe_centre/ja/news/COVID19_specialpage_public

特にこちらのページ「COVID-19流行によるストレスへの対処」
https://extranet.who.int/kobe_centre/sites/default/files/pdf/Coping-with-stress-print-JPN%20ver.pdf


動画で見る「感染予防:WHO Centre for Health Development (WHO Kobe Centre)」
https://youtu.be/lFlpZreqbIs

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春を目前に、この世界危機的状況という新た局面を迎えています。
私たちがこの状況を打破し、生き残るためには、それぞれが適切な知識を持ち、その上で適切な行動を選択し、実践することが重要となり得るはずです。

パルクールという一見するとCOVID-19とは関係ないような世界ではありますが、私たちトレーサーが出来ることは必ずあると信じ、会社も、ジムも、個々のトレーニングも継続していきたいと思います。この状況が改善した暁には、またみんなで練習会:JAMを楽しめる日がくるはずです。

最後までお読みいただいたトレーサーの方々は是非この正しい知識や情報を拡散するためにも、ブログのシェアをお願い致します。
宜しくお願い致します。

#be strong to be useful
#survive from COVID-19
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私は何者なのか

2020年03月10日 23時09分35秒 | parkour
こんばんわ。かずやです。

ブログは本当に「時々だけ」書くようになりましたが、消してしまうことはしたくありません。
自分の想いやいろいろな出来事の経緯を伝える場がなくなってしまうのは、もったいないと感じます。

ということで今回ブログで書いていきたいのは「私について」ですかね。

まぁなんとなく読んでもらって笑ってもらえればと思います。
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パルクール屋内練習施設「JUMP & LEAP」は2月2日で1周年を迎えることが出来ました。それを記念して、私自身について、まぁ言ってみれば壁新聞的な情報発信を実施していこうかなと思いました。

経緯としては色々あるのですが、大事な部分として「石沢は何を考え、(店に最近いないけど)何をしているのか、そしてこれから何がどうなっていくのか」ということを、この内容を通じて読者に共有していくことが目的です。

この共有の先の話ですが、自分石沢の考えや行動を知っていれば、この先パルクールがどうなっていくのか、そしてうちの会社(SENDAI X TRAIN LLC.)がそれにどう対応して動いていくのか、さらにはその先の子ども達には(パルクール的に)どんな未来が待っているのかが分かる、ということだと思っています。

ようやくここからが本題なのですが、

「んで、石沢憲哉って誰なん?」

という方は少なくないのではないでしょうか?パルクールの人?会社の社長?協会の人?など、実はよく知らない方でもこの文章を読めば即分かるような感じで書いてみようと思います。大した文章力などありませんが、ポケモンでもやりながら片手間に読んでいただければと思います。


石沢は青森県五所川原市という一度殺人事件で全国ニュースに挙がった街の出身です。

夏には立佞武多(たちねぶた)という高さ10数メートルにもなる佞武多が街を練り歩き、外国人観光客が奇声を上げて喜ぶというお祭りがある街でもあります。興味のある方は暴動真っ最中の香港に行くつもりの覚悟でいらしてください。

さて、そんな五所川原市で高校卒業までの18年間をぬるま湯に浸かって生きてきた私です。
その18年間、私がどれほどのぬるま湯に浸かって生きてきたのかをご紹介しましょう。ここからの話は急な話に思えると思いますが私の性格に関係する部分なので、端折らずに書きますね。

私の祖父の話なのですが、樺太近辺やらで軍人として生きていた方でした。

当時樺太はロシア軍だけではなく、領土を得るために様々な国から開拓使を送り込んでおり、私の祖父もその一人としてかなり熾烈かつ過酷な日常を送っていたと話していたのを覚えています。

祖父は最期、認知症になって色々訳わからなくなっていたのですがそれでも「憲哉、ロシア軍が来るからお前は逃げろ」と家族を守るための言動を取っていたのを思い出します。泣けるわ。そんな元軍の祖父は私が子どもの頃は山で猟銃を撃ち、ナイフで家畜を捌くなどいわゆるマタギとしての生活と、役場の営林署(当時は山の管理が仕事)に勤めるという生活にシフトしていたようです。

私はそんな祖父が大好きでした。

猟銃を撃つと聞けば付いて歩き、祖父が撃ったスラッグ弾の空薬莢がお気に入りで、火薬の匂いを嗅ぐのが好きでした。
祖父の家にあった銃を保管するロッカーや弾を作る道具、皮を剥ぐためのナイフが保管されている金庫などが、まるでスパイの家にある保管庫のような印象で、またその部屋には模造刀ではありましたが、数々の剥製の中に刀が置かれていました。

そうした環境の中、私は物心つく頃には軍隊や各国の諜報員などに憧れていました。小学校の頃の将来の夢は「歴戦の特殊部隊への入隊」でした。まさに中二病とはこのことです。家では、御徒町のアメ横で買ったベトナム戦争時代の払い下げ軍服やヘルメットを着用し、エアガンを携えてパトロールごっこ。友達とは軍隊での演習をを模した戦争ごっこ。縄を腰に巻き、2階から飛び降りてラぺリング(降下訓練)の訓練もしていました。アホか。

あ、ちなみに父は私と一緒にサバゲーをやったり、私の小学生の時の誕生日プレゼントにカーショー(有名なナイフメーカー)のナイフを買ってくれたりと、なかなか私とタメを張る中二病です。

その甲斐あって、私は中学生くらいまでマジでこういった生活を続けており、簡単な軍隊用の手信号や地雷の撤去方法、手りゅう弾の仕組みなども着々と身につけていきました。もちろん、今は忘れています。っていうか日本に地雷とか無いし。

ここから話は急に変わります。

私は小学校高学年の頃、いわゆるイジメに合っていました。

まぁ、変な子だったのも間違いはないのですが、私は比較的成績が良かったという事も有り、家も比較的裕福だったとうことも有り、さらには結構な自信過剰でも有り、クチも達者で、、とここまで言えばもういじめられる理由は分かると思うのですが、平たく言えば相手を馬鹿にした態度を取る嫌なヤツだったんですよね。きっと。多分。おそらく。

いじめの内容は分かり易くリンチ、物を壊されるとかでした。お金の問題は出なかったですね。

あと私、いじめられているということを私自身が思いたくなかったということもあったし、元々友達多かったってのもあって、あまり孤独にはならなかったんですよね。そういう意味では本当に周りに恵まれていたんだと思います。そういう友達は今もやっぱり友達ですし。

あと親ですかね。親がいじめを知っていたかどうかは分かりませんが、私が中学生のある日、警察に呼び出された時の話なのですが、当時小学生から中学生に上がった私はまだ少しだけいじめの余韻のようなものが残っており、ある日突然、警察から呼び出しがありました。

内容は
「お宅の息子さんの友人が中学校の校舎の窓ガラスを割ったり、スプレーで落書きをしていた。そしてそのスプレーはお宅の息子さんが持ってきたものだと、その友人が話しているので、一度警察署に来て話をして欲しい」
というものでした。

うちの親は私が事件の当日家にいたことを分かっていたし、スプレーなんか渡してもいないと話す私を頑として信じてくれました。

警察署には結局行きましたが、警察は最後まで私を疑い、事情聴取は中学生ながらに結構衝撃的でした。また、取調室でかつ丼を食べたのも、この時が人生で最初で最後だと思います。いや、最後であってくれ。

最終的にはいじめっ子連中が私を道連れにしようとしていたことを自白し、私は何の咎もないとされて釈放。

この時私は、親が私に対して持つ信頼を目の当たりにしました。

また警察の適当さや杜撰さ、さらには、もはや友人ではありませんでしたが、いじめっ子たちのようなクズもこの世にはいるもんだと理解しました。
まぁそのいじめっ子たちも生活背景とかを後に聞くと可哀そうな部分もあるんですけどね。

でもまぁ私はこのあたりから徐々に開花していく感じだったんだと、今思えばそう感じます。

そのあたりから私は自分に自信を持てるようになった気がします。

何があっても信じてくれている親がいて、何があっても友人として関わってくれる本物の友人がいて、ある意味で社会はなんて適当なんだと気付く部分があって。私は自分の思うことや自分のやりたいことはやってもいいんだと思えるようになってきました。

しかしここで、大変なことが起きます。

中学生の私は徐々に分かっていたことにいよいよ気づくのです。
「百戦錬磨の世界の名立たる特殊部隊への入隊」はその時の自分には不可能だということに。

人生で最初の挫折はここだったんじゃないかと思います。

私はここから夢を失い、何かに打ち込むことが一時的になくなりました。
なんとなく高校に行き、何となく先輩の女性が可愛いという理由で弓道部に所属し、何となく可愛い同級生に恋をして、何となくの高校生活を過ごしていました。いや、そんな何となくでもなかったかも知れません。

高校ではバンドもやったし、結構モテたし、文化祭でも結構派手にやったし、親友たちとは酒をのんでみたり、たばこを吸ってみたりと、一通りの高校生が体験するであろう経験はしました。それもこれもすべては一緒にいた友人たちが素晴らしいからでした。

私は非常に交友関係が広いのですが、高校時代の友達が最もメインの親友と呼べるのは間違いありません。
一緒に過ごした高校生活以降、まさに家族と言っても過言ではないような死線をいくつも潜っては…いないのですが、色々大変な思いも共有してきました。

私は彼らがもし人を殺してしまったとしても、きっと何か理由があったに違いないと思えます。それくらい彼らの事を信頼しています。

彼らがいるから、今の自分はこんなにも自信を持って生きているとも断言できます。

さて高校生活も終わる頃、私は進路を選択しなくてはいけませんでした。大学、専門学校、就職、ヒモ野郎。色々な選択肢がある中で私が選択したのは「作業療法士」という職業でした。

作業療法士は、いわゆるリハビリの先生で、脳卒中やSCDなどの神経内科疾患や四肢欠損、骨折などの外傷後のリハビリをする人です。

理学療法士や言語聴覚士という職業もあるのですが、それとはまた異なり、作業療法士は「現状の能力でどうやって生活していくか」を一緒に考えながら能力を再獲得していくことを支援する職業です。なんかパルクールっぽいですよね。

その中でも私は小児分野に興味があり、脳性まひや重度心身障害者の他にも、軽度発達障害(注意傷害や自閉症、アスペルガー障害など)などを持つお子さんたちとその保護者さんを相手に仕事をしていました。

まぁなんでこの職業を選択したかって話ですが、当時高校生だった私は夢がありませんでした。でも一つあったのは「モテたい」という気持ちです。

ある程度の勉学で成就し、ある程度の収入がもらえ、ある程度ステータスの有る職業という限局的なカテゴリーを作り、その中から自分の現状の能力で容易に辿り着けるものを消去法で探しました。その結果が「作業療法士」でした。ただそれだけです。

そして私は特に難しい受験勉強をせずに、仙台にあるリハビリテーションの専門学校(3年制)に入学していくわけです。もう私は一人暮らしがしたくしたくて堪らず。親が心配していることなど、当時一つも気に掛けなかったことを覚えています。

話はその専門学校時代にシフトしていきます。今でも覚えています。

専門学校の教室へ入ると、全部で40名ほどの生徒がいて、なんと男子はわずか6名だけ。おかげでこのうち5名(1名は途中退学)は結束が強く、今でも深い絆があると、私は思っています。専門学生時代の私は2つのキーワードで話がまとめられます。「女性関係」「勉強」の2つです。まず女性関係から話をしていこうと思いますが、さすがに大っぴらなこの場できわどいお話は出来ないのでやめておき「勉強」というキーワードでお話をしていこうと思います。

今思えばですが、私はおそらく勉強が好きです。学生の頃から本を読むことがあまり苦ではなく、教科書も漫画も辞書も地図も、読んだり見たりするのが好きでした。

ちなみに今現在も月に2~3冊の本は読みます。ビジネス書や投資、自己啓発や社会学的な本、漫画やアニメも大好きで移動時間はほぼそれに時間を費やしています。

なので、実は私は専門学生になって国家試験の勉強をする時期までは、あまり勉強らしい勉強をしたことがありませんでした。

国家資格を取得する時は、おそらく平均で14時間/1日くらい勉強をしていました。過去問10年分の問題を全部総復習し、その全てで満点を取れる状況を作った上で友人と重箱の隅をつつく問題を出し合い、分からない部分は徹底的に先生に聞くというスタイルでした。その甲斐あってか私は国家資格(高校受験もですが)は何とか合格することが出来ました。

何となくですが、私は勉強というものに対する考え方が一般的ではないように、自分では感じています。

私の思う勉強は「目的を達成するために必要な知識を得る手段」です。

つまり目的によって必要な知識は異なり、目的に見合っていない勉強はその時の自分にとっては不要なものなのです。

では、その目的というものがどの程度の抽象度(規模や展開)で設定されているか、という事がここからの話の重要点となります

(話がややこしくなってきましたよ)

例えを出しましょう。

【高校受験に合格する】という目標を掲げたとしましょう。これは非常に抽象度が高く、規模や展開が広すぎて展開が見えにくいです。
どこの高校で、どんな科で、そのためにはどの科目をどの程度の点数を取ればいいのかが分かりません。
では次の目標はどうでしょう【宮城県の労災病院付属の看護学校を受験して合格する】
これは明確に必要な受験科目や合格に必要な点数などが分かるため具体的ですよね。

こういう具体的な目標設定ということを、私は小さいころからのオリジナル軍事訓練(自宅警備レベルですが)で培ってきました。

敵兵がどの程度いて、戦況がどういう状況で、自分の使える武器や兵力を勘案し、どうやって戦えば勝てるのかといった具合です。
重要な点は具体的かつ短期的な目標設定です。
「まずここまでを達成するんだ!」と仮でもいいから決め、そこまでに無駄な努力をしないよう計画を立てるのです。
努力には価値があります。努力の無駄遣いはよくありません。

でもどうやって目標を設定すればいいか。。。。。。。。。。。


疲れたので、続きはまた今度。。





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なぜFIG主催の大会に出場するのか【Part1】

2019年10月20日 12時25分32秒 | parkour
私石沢がパルクールと出会い、パルクールを始めて今年で10年が経過しました。

「なぜFIG主催の大会に出場するのか」
その理由について、まだ全てを露出することは出来ませんがお話していこうと思いました。

ですがその前に、
「なぜ理由を公表するのか」
という理由を先にお話ししたほうが良いかと思うので、お話します。


▼なぜ理由を公表するのか

それは「フォロワーにだけは知っておいて欲しいことがあるから」です。

私を含めたXTRやJUMP&LEAPには、今まで信頼を寄せてくれたフォロワーが存在しています。
私は、そのフォロワーは私たちの何に「信頼」を寄せ、何を「期待」してそばにいてくれているのかを考えてみたのですが、
人間性、知識量、経験、理念や哲学などの考え方、運動能力など、可能性はいくらでも挙げられる訳ですが答えは出ませんでした。

あるフォロワーが私と連絡を取る中で話してくれたことがありました。
※明確に同じ言葉ではありませんが

「今まではかずやさんたちを信じているからこそ、何も発信がなくてもきっと何か考えているんだろうと思えた。しかし今回、かずやさん達が考えていることが分からない。今までのアンチFIGの言動と大会出場という今の言動がリンクしていないように感じる。そうなると疑問や不信感が生まれる。きっと考えがあってのことだとは思うが、それはかずやさんたちにとって勿体ないことだ」と。

私は口数は多い方なんですが、今回の件のような大事な事柄には敢えて多くを語らず背中で語るタイプの人間でありたいと思っていました。しかし、自分が思っている以上に私の背中を見ている人は多くいたようで、私の何も言わずに信念を変えているように見えた行動に疑問を抱く方も多かったのでしょう。これは私の「わかってもらえているだろう」という甘えだったんですね。

だから私は、私たちを信じていてくれたフォロワーたちに自分たちの考えを公表する責務が(多少なりとも)あるのかなと思ったのです。

なぜアンチFIGの石沢がFIG主催の大会に出場するのか、
それは「大切なフォロワーにだけは知っておいて欲しいことがあるから」です。

さて、続きて本題です。


▼なぜFIG主催の大会に出場するのか

まず理由は一つではありません。
当然ながら「色々な理由」が複雑に絡み合ってのことです。
言えること、言えないこと、言っていいのか分からないことなど、色々あります。

でも言える理由の中でも特に声を大きくして言いたいことはパルクールを継続している「子どもたちの為」という理由です。

先に話した私たちのフォロワーの中には、将来までパルクールを継続したいと心から願う子どもたちも、それを応援している保護者もいます。

彼らがパルクールを継続するために必要なことは何か考えた時に、自分の頭の中に浮かんだものとしては「パルクールの社会的地位」でした。
こう言うと勘違いする方も出てくるかも知れませんが、今のパルクールには社会的な立場がありません。下手したら「危険なストリートスポーツ」だという認識が未だにある人も多いのではないでしょうか。

確かにパルクールを実践する場所として「生活している環境の中で=ストリート」という考え方も出来るので一概に間違いとは言い切れないのですが、でもパルクールが危険行為や禁止行為であるとされるのは心外です。パルクールの根幹は心身を鍛練するトレーニングであり、そこから発展した枝葉として競技などが存在する【時代になった】わけですよね。

話を少し戻しますが、
子ども達がパルクールを継続するためには、パルクールに対する誤解を極力ない状態で認知度を挙げていき社会にとってポジティブなものと認識されること、つまり社会的な地位を得ていくことだと思っています。そのためには、現在FIGが発信しているパルクールの歴史情報には多少間違いがあると言えるので(パルクールは体操の一種で…という説明)、そういった適切な修正や発信の仕方について、パルクール委員会は機能していくのが望ましいのではないかと個人的に思います。こういう事を本来であればパルクール委員会⇔日本体操協会⇔FIGという手順で話し合いをしていくべきなんでしょうけど、現状個人で上記内容を組織に伝えても「あんた部外者でしょう」で一蹴されて終わりな訳です。

だから私は、最初JPA(日本パルクール協会)として、組織としてFIGの会長と話し合いの席を作ってもらい話し合いをしました。が、その結果は特に何も建設的・発展的なものには至らず。その後、複数回の連絡からは特に何のレスポンスもなく今に至るという感じ。つまり色々やってみたけど交渉は今以上は難しいってことですね。
※詳しくはちょっと怖いのでここでは書きませんが

じゃあこれ以上方法がないからボイコットや無視、SNSで意見を投げ付けるだけかと言われるとそうではありません。
出来る手段を模索して、考えに考え抜いた結果として、私たちが選んだ手段は「FIG主催の大会に出場」な訳です。

部外者が蚊帳の外で文句を言っても通るわけがないし、私たちにはきちんと意見を述べるための【準備】が必要なんだと、大人の世界だからこそ思うのです。
参加者として、FIGの考えややり方を見て聞いて体験して、直接感じるモノを感じて、その上で誰と、どのように、どうやって対話が出来るのかなどを考えないといけません。
勿論、競技としてのパルクールを楽しみ、他のトレーサーと交流していくことも大事ですが、上記目的のためにも、勝ち上がる必要もあると思います。
言葉だけでは、今までと変わらないですからね。体験して、勝って、その上で意見を交換できることを目指していきたいと考えています。

なんだかまとまりがなくなってきましたが、
FIG主催の大会に出場する理由は【手段:自分で見て聞いて体験して対話のチャンスをうかがう】であり、
その目的は【子どもたちの将来の為:適切な情報発信を促し、本質的パルクールの社会的地位向上】なのです。

大会、楽しみですね。
あとその周辺のスポットでのジャムも楽しみですね。
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ブログ再開

2019年05月24日 12時00分00秒 | parkour
おはようございます。

ブログを「再開」することにしました。


自分自身のパルクールに対する考えだけではなく、パルクールを子どもたちの教育に使っていくという考えやビジョンをより多くの方に伝え拡げていくことが必要だと再認識したため、再開することとしました。

嬉しいことに、そして思った以上に、「石沢の考えを聞きたい」という方はいるようで、その方たちと今までは顔を合わせた形で話すことが大事と思ってブログも放置気味でしたが、なかなか会えない方や一つの読み物感覚で読みたい方などのためにも、文章化して残しておこうというのも、再開した理由の一つです。

暑苦しい程のパルクールへの愛や、子どもたちの将来に向けてパルクールをどのように使っていきたいと考えているのか、そしてそのビジョンや展開について書き込んでいきたいと思います。

更新も不定期にはなりますが、何卒宜しくお願いいたします。
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