北海道 秘境・自然 旅日記

北海道の美しい自然や、あまり知られていないマニアックな場所を写真で綴ります。

地図から消えた町~鴻之舞鉱山・後編~

2011年05月18日 06時20分56秒 | 網走の風景
2011年5月5日

鴻之舞鉱山探索、更に続きます。
旧元町跡の付近はさすがに最も栄えていた場所だけあって、
数々の遺構が残されています。


これは何なんでしょう?
地下へと続く階段があります。
過去の地図と照らし合わせても、この辺りには坑道入り口はないようです。
秘密の地下室??


ここから右手奥の林の中に入っていくと、見事なレンガ造りの石窯のようなものがあります。


林を出て国道沿いに進むと、すぐに今度はこのような建造物があります。
よく見ると住友のマークが!
住友鉱業の書類などが保管されていた場所のようです。


またまた「学舎の里」の石碑です。
ここは中学校の跡のようです。


建物の壁が壊れ、煙突だけが残っています。


国道の右手側には、鴻紋索道の橋脚があります。


古代インカ文明の遺跡のようです。
秘境感たっぷりです。


軌道の橋脚の横には鴻之舞軌道記念碑があります。


このあたりが最も栄えていたところなんでしょうか。
鴻之舞鉱山跡の碑があります。


鴻之舞鉱山跡の碑の奥には住友が建てた慰霊碑が鎮座しています。


こちらも鴻紋軌道の橋脚ですね。良い雰囲気です。

さて、更に紋別方向へ進んでみましょう。


上を見上げると、空をまたぐ大きな橋が見えてきます。


かつて鴻之舞鉱山に住んでいた小玉勝信氏によると、鴻紋軌道の橋脚で「五号坑橋」と呼ばれ、
ローマ時代の水道橋のように現在でも廃鉱から湧き出る酸性度の高い排水を沈殿池に送っている。
和田秀穂氏著:「鴻之舞鉱山」参照


鴻之舞鉱山が閉山した後、住友金属鉱山株式会社は旧坑道から酸性度の高い排水が流れ
出ないよう坑道を遮蔽しましたが、この鉱山では横穴を開けながら金鉱石を採取して
いたので、排水の水位が上昇すればまた流れ出すようです。
(鹿児島の菱刈鉱山などは竪穴で掘られている。)
この排水はここを通って沈殿池へ送られているようですが・・・
あまり水が流れているように見えないですね・・。


さらに紋別側へ進むと川にも橋脚が残されています。


北の端にはいまでも住友金属が創業しています。
実は先程の排水の処理や沈殿池の管理に、今でも1億3000万円の経費がかかっているようです。
そのためここで、他の鉱物を産出し、経費に当てているようです。


さて、鴻之舞鉱山巡りもいよいよ最終地点です。
上藻別というところに、当時の駅逓後が保存会により復元されています。
ホームページはこちら
中には鴻之舞鉱山の貴重な資料が展示されているようです。
訪れた時間が早すぎて、まだ開いてませんでした。


隣にはサイロのような建物も。


ブランコ・・・?


木製の蒸気機関車。温かみがあります。


つり橋渡りもできます。
子供達も喜びそうです。

何の気なしに訪れた鴻之舞鉱山でしたが、記事にするにあたりいろいろと勉強させていただきました。
記事にはしてませんが、当時の鉱山の役割や生活様式、他の鉱山のこと、鉱害について、
たこ労働や朝鮮人の強制労働などの暗部について・・・。
こういったことを知った上でもう一度訪れると、また違った景色が見えるような気がします。

今回の「鴻之舞鉱山」について、
ホームページ「オホーツク最大の産業遺産 鴻之舞鉱山と上藻別駅逓」
および著書「鴻之舞鉱山 和田秀穂氏著 サンケイプリント社」を参考にさせていただきました。
大変わかりやすく解説してあり、是非読んでみて下さい。

そして、是非この場所を訪れて、歴史に埋もれそうになっている「鴻之舞鉱山」に
少しでも触れてみてはいかがでしょうか。

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
数人・・・いそうな・・・予感 (ZEP400)
2011-05-18 08:33:42
よっ!!!
ディスカバリーイケブージャパン もしくは
イケジオデシック・・・

なんか いそうな ブルブル・・・
こんなとこで安易なポーズは ブルブル・・・
危険だね(^^ゞ
返信する
ZEP400さんへ (ikeboo(いけぶー))
2011-05-18 14:47:26
こんにちは~。
いや、まじで、言いっこなしで!
怖くなってしまうじゃないですか・・・。
写って無いですよね?
見つけたら指摘せずに心の中にしまっておいてください。
返信する
依頼人 (八海のおやじ)
2011-05-18 23:45:28
こちらの話は後で・・・

次は「笹の墓標」の取材をお願いします
近くの朱鞠内小学校の裏には地元民しかあまり知られてない
当時深名線から羽幌までの鉄道工事も行われてたようです
終戦後工事は中断されましたがトンネルが2つ残ったまま存在してます
このトンネルにはある動物が集団で生存している様です(多分人には危害を加えないと)
懐中電鐙とカメラはフラッシュでお願いします
返信する
Unknown (てら妻)
2011-05-19 00:22:54
度々お邪魔します。こちらの四季を写真に収めている方々?が紋別にお住まいです。住友の書庫跡と太陽がリンクした作品はナカナカです。決して遊び気分ではいけない所が道内は多いです。朱鞠内湖は覚えている方も少なく、図書館でも資料はお取り寄せの連絡待ち状態。羽幌方面も色々考えさせられるものがあります。炭鉱跡ばかりではなく、開拓者の悲劇等。温泉及び探検談楽しみにしています。お邪魔しました。
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八海のおやじさんへ (ikeboo(いけぶー))
2011-05-19 13:38:43
こんにちは~。
笹の墓標??
まだまだ知らないところがたくさんありますね・・。
僕はすっかり北海道が好きになってしまったので、
こういった考えさせられる事もこれから
勉強させていただこうと思ってます。
えっ・・ある動物・・・?
こうもり・・でしょうか?
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てら妻さんへ (ikeboo(いけぶー))
2011-05-19 13:44:38
こんにちは。
四季の写真・・知りませんでした。
すごく興味があります。ちょっと調べてみます。
実は、最初は申し訳ないですが、若干興味本位で行きました。
しかし、あの墓標を見て衝撃?いうのでしょうか、
まさに息を呑むといった粛々とした気になりました。
写真を撮っているうちに、これはちゃんと勉強しないと
かつての人々に申し訳ないな、と思いました。
まだまだ浅くしか知らないとは思いますが、
ほんの少しは近づけたかなと感じております。
また、いろいろとコメントよろしくお願いします。

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ここがルーツなのです (星宮菫)
2017-05-14 12:36:00
かつて私の本籍は「北海道紋別市鴻之舞旭町番外地」でした。
昭和38年に父はこの地を離れて、今から30年ほど前でしたか、この地を再訪し、門の前に立った時、眼前に、かつての、賑わいを見せる街並み、人々の群れが、現実そのものの様に、鮮やかに現れたのだと聞きました。町の喧騒も昔の儘に、何かを語る人の口の動きまでもありありと見てとれたのだと。
もう、行かなくてもいい、と語っていた父も、間もなく病を得て、外出もままならない体となってしまい、5年前に、終に儚くなりました。
私は、父とこの地を訪れてみたかったです。
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父の噺 (星宮菫)
2017-05-14 14:12:29
2009年二月のブログの方が上手く書けていたので、張ってみます。

その街の中には学校も小中とあり、映画館、体育館、何でもあり、近隣のどの町よりも人口が多く、繁華であったそうだ。
四半世紀以上前になるが、父は一度だけ、閉山になり、今は管理人がいるだけという、その街へ行ったことがあった。
街の入り口に立った時、今は人が住まなくなり荒れたままの街並みを見ている筈なのに、一番賑やかだった当時の街の様子が目の前に現れたのだそうだ。建物の中で働いている人々の顔、往来を行きかう人々の顔がはっきりと見えた。街の喧騒を肌で感じたと言う。
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