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ある大学教授の思い

ある女子大学で情報、統計、ファイナンスなどを教えております。気がついたことなどまとめてみたいと思います。

愛国教育と反日教育

2012年10月13日 09時36分56秒 | Weblog
愛国教育とは反日教育
     1998年に来日した江沢民に、日本は3900億円もの円借款をお土産として持たせた。帰国後江沢民は「歴史問題で徹底的に日本を叩き、謝罪のしるしとして経済援助を3900億円も取ってきましたよ」と自らの実績をアピールした。これにはさすがに共産党幹部たちも顔をしかめたと言う。
    天安門事件で経済制裁を受けた上に東欧革命やソ連崩壊の影響によって自国の共産主義政権が崩壊することを恐れた江沢民はその矛先を反日教育に向けた。国民に対して中国共産党による統治の正統性を再確認させるとともに、国内の引き締めを図った。

   江沢民の指示で、1994年、中国共産党中央宣伝部は幼稚園から大学生にまで愛国主義教育を徹底しておこなうとした「愛国主義教育実施綱要」を作成して公布した。これこそ愛国教育と言う名の反日教育である。現在、25歳以下の若者たちはすべてこの教育のもとで成長してきた。

リスクについて考える(5)

2012年10月12日 09時02分12秒 | Weblog
リスクについて考える(5)
投資の話
   現在、日本国全体では赤字が1000兆円であるが、個人資産が1550兆円という。差し引き黒字であるが、このようなマクロ的な数値の由来はどの本を見ても、どの程度に信用できるなかはよく分からない。確実なのは、日々の暮らしの中で賃金や物価の上げ下げである。個人資産のうち、現金預金など流動性のあるものは、その半分程度であろう。そのうち200兆円ぐらいが、株や債券などに投資されているようだ。
 
   投資は法律で保護されている賭けであり、ばくちと同じようなものである。銀行に金を預けるなという書物を信用して、株を購入したが損をしたとブログで述べている人もいる。投資は賭けであるから、専門家が必ず儲けるはずがないから、あくまでも投資は自己の責任でしなければならない。

   ばくちだから、原則は簡単で「安く買って高く売る」だけである。問題は買い時や売り時で、その判断のための個人の意思決定にすべてがかかっている。2002年にノーベル経済学賞を受賞したカーネマン教授がプロスペクト理論という心理的要素を導入した意思決定理論を打ち出している。まず、次の二つの簡単な問題に答えを出してみたい。ノーベル賞へ挑戦してみよう。

 問題1.ある人から10万円を貰ったが、その上、次の二つの選択肢が示された。どちらをあなたは選ぶか。
A.さらに、5万円もらえることが保証されている。
B.サイコロを振り、偶数ならばさらに10万円もらえるが、奇数が出たら何ももらえない。

 問題2.ある人から20万円を貰ったが、そのうえ、次の二つの選択肢が示された。どちらをあなたは選ぶか。
A.5万円を確実に返さなければならない。
B.サイコロを振り、偶数ならば10万円を返さなければならないが、奇数が出たら何も返さなくてもよい。

   へそ曲がりは別にして、多くの人は、問1.ではAを、問2、ではBを選択することになる。要するに、人間の選択行動は、利益を獲得する局面では確実性を好む。しかし、損失の予想される局面では賭けを好む傾向にある。

   株式相場が上昇する局面では、すぐに売って少ない利益でも満足する。その反面、相場が下落する局面では、ふたたび上昇を期待して、売ることをしないので損失が拡大恐れがある。投資には専門家やプロはいない。自己の意思判断だけが唯一の頼りであることを肝に銘じておきたい。これが投資のリスク管理だ。


近現代史の見直し(1)

2012年10月11日 11時11分53秒 | Weblog
近現代史の見直し(1)
     あの戦争はコミンテルンの謀略戦に日本が巻き込まれた戦乱だった。1995年になって米国公文書館で、コミンテルンと米国内スパイとの膨大な交信記録が解読された。ハル・ノートもその結果だ。その当時、ルーズベルト大統領も共産党の謀略について過小評価していた。米国はソ連の後押しを受けて、東洋の小生意気な日本をたたきつぶす作戦に乗ったわけである。     

   1928年の張作霖列車爆破事件もコミンテルンの工作だった。1937年の廬溝橋事件は、中国共産党の劉少奇が仕掛け人だったと、本人が証言した。日本軍の対中国侵略のための謀略と言われている事件はいずれもコミンテルンの謀略だった事が判明してきている。歴史の見直しが必要だ。黙っている時でない。

    満州事変のマクマリー・メモによれば、1921年のワシントン会議によって生まれた体制で中国の権益は他国にそれ以上 侵されないように、中国の現状維持が約束さ れた。ところが蒋介石はこれを守らないで日本を挑発した。日本は国際法に基づいて努力したがかなわず自衛のために戦うはめに落ちた。

    国民党の蒋介石政権が日本を追い込んだものであり、満州事変は中国が自ら蒔 いた種を刈り取っているようなものだと1935年にマクマリーは書いている。彼はその当時、米国の北京駐在公使だった。彼は中国が悪くて、中国が原因で満州事変が起きたのだと戦後、明確に証言している。

デフレからの脱却

2012年10月09日 10時29分37秒 | Weblog
デフレ回避策
   日本は2005年頃から貿易収支を所得収支が上回るようになった。所得収支とは海外投資で受け取る利子や配当金で、貿易で儲けたお金を上回る年間10兆円の不労所得を世界から得ている。豊富な資産とモノ作 りの技術の高さに裏付けされた信用があ る。財務省や野田が言うように希臘にはならない。   


      GDPに占める輸出比率は10%だから、日本はもはや輸出立国とは言えない。現在、日本が保有する対外資産は250兆円で世界1だ。世界一の債権国家である日本は最も破綻から遠い国だ。財務省が円高介入で100兆円も無駄にしてもこの額だ。円高阻止のカネは国内投資に回すべきだ。

   使い道がないのにいくらカネを日銀がばら撒いてもうまくいかない。使い道を作り出すことが先決だ。食糧、エネ、環境などいくらでもカネの使い道はある。役人たちが自分たちの利益にならない道を作らないのが問題なのだ。

小澤謀略事件

2012年10月08日 10時17分49秒 | Weblog
小澤謀略事件
    小沢裁判は特捜部の謀略に検察審が騙されて強制起訴に至ったとんでもない事件で、11月12日に無罪判決となるだろう。事件そのものがインチキなのはもちろんだが、それが明らかになっても適切な対応を取らず、詭弁やウソ、ごまかしを続けている検察には正義はない。国民の信頼を完全に失った。    

暴走検察と一緒になって謀略事件を騒ぎ立て、「小沢=悪」のイメージづくりに奔走したマスコミの罪も許せない。1審で16回に及ぶ公判を経て無罪判決が出ても、完全無罪ではない、グレー判決などと新聞やTVは報道した。検察審の起訴議決や、指定弁護士の控訴だって、新聞・テレビの洗脳報道が後押ししたようなものだろう。

   控訴審で無罪判決なら、東京地検の2度の不起訴を含めて4度目の無罪である。しかも、最高裁の事務局が取り仕切る検察審査会なるものが、どうやら虚構だったという疑いまで出てきている。検察どころか裁判所まで腐敗しているとしたら、この国には未来はない。メディアは事件の報道を自己検証するべきだし、このまま司法の暗い闇を放置していいわけがない。おりしも、最高裁の裏カネづくりまで明るみに出されて裁判にかけられている。

リスクについて考える(4)

2012年10月07日 11時03分22秒 | Weblog
リスクについて考える(4)
儲け話 賭けと投資
賭博とファンド
  いずれも,楽をしてカネを稼ごうとする行為である。リスク、すなわち損得のブレが大きいことが共通している。相撲の世界では、さまざまな賭けが行われていることは常識で、大関が野球賭博をしていたと聞いても、あまり驚かない。何しろ昔から星取りまで取引されていたようにも思われている。それにしても、自分たちはサッカー籤をしてカネを稼いでいる文科省が、いくら監督官庁とは言え、けしからんと怒るのも不思議な気がする。サッカー賭博は法律で認められているからというだけでは済まない気がする。


  ファンドは正当な経済行為だから、文句を言われる筋合いはないかもしれない。多くの投資家からカネを集めて、株、不動産、映画、ゲームなど様々な投資先があり、そのリターンを分配する仕組みである。不況で行き場を失った資金が様々な投資先を見つけて動き回っている。ファの運営業者と投資家とのトラブルが増えているという。ファンド運営者は金融商品取引法で登録義務があるが、登録料をけちって、隠れて運営している業者も多いようだ。

  調べてみると、いろいろなファンドが形成されている。苗木ファンドというのは、例えば苗木100本の権利を500万円で契約すれば、5年後からは毎年10万円相当の配当が得られるというものだ。沈没船から宝物を引き上げるファンド、新人画伯の作品に投資する絵画ファンド、ゲームなどのコンテンツに投資するITファンドなどいろいろとある。いずれも、元本保証、高利回り、配当保証など謳っているが、保証の限りではない。うまい話には落とし穴があることも当然だ。


リスクについて考える(2)

2012年10月05日 09時00分08秒 | Weblog
リスクについて考える(2)

原発再稼働

   記録映画「チェルノブイリ・ハート」では、ロシアやウクライナで癌によって死亡した人の多くが、原発事故の犠牲者としてカウントされていた。人間の30%は癌で死ぬので、事故との関係を証明する根拠には乏しい。1986年4月26日の事故を検証するために、国連は調査委員会を発足させて2005年に膨大な報告書を出した。これによると、事故直後の消火活動で死亡した人は50人で、死亡原因が事故と関係ある甲状腺がんと診断された人は僅か10名程度という。70万人もの追跡調査でも、ロシアの他の地域とくらべて発がん率の増加は見られてはいない。


     2010年に30%の電力を原子力に頼っていたが、これをすべて石炭や石油の火力に置き換えると、年間費用の増加は4兆円になり、国民1人当たり4万円の負担となる。その上に温室効果ガスの放出で、温暖化のリスクと地球生態系への影響は避けられない。とくに石炭火力では原発よりもはるかに多い放射性物質を排出する。原発の代わりに老朽化した石炭火力をフル稼働することは、経済のみならず健康にも有害だ。

   事故から1年たち、さまざまな情報が伝えられてきている。これらの情報を常識的に判断すると、この事故は想定外との東電の説明は到底納得できるものではない。総合的に考えると、この事故は明らかに人為的なもので、少なくとも放射性物質を空中にばら撒く一歩手前で止めることができたはずだ。原発の安全性は原子炉そのものではないことが浮かびだしている。原子炉を安全に保つ技術的な考え方は極めて単純なことで、水で冷却し続けるだけの話だ。

   いかなる天変地異が起きても、この冷却システムが絶対に保たれると言う二重三重のネットワークを構築することに尽きる。つまり航空機などの設計に取り入れられているフェイス・セイフの思想を徹底的に構築することだ。そのためには、政府、官僚、学者、企業の間で構築してきた安全神話なるものをすべて廃棄することから始めなければならない。何が起きても99.9%の確率で冷却水が遮断される事がないシステムが構築できたとしても、0.1%の確率で放射性物質が出た場合の対策も十分に意識しなければならない。

   原子炉は再稼働しないで休止中でも、冷却水を止めることはできない。だから、稼働していないから安全だと言うわけではない。福島の時にも地震の発生と同時に、自動的に制御棒が燃料棒の間に入り、核反応は停止していた。電源喪失で冷却水が回らなくなっただけだ。99.9%でも絶対に安全性が確保されていないと言うなら、自動車にも飛行機にも乗らないことだ。



リスクについて考える(1)

2012年10月04日 11時29分24秒 | Weblog
賭けごとの範囲

賭けてもいいよ

  この言葉は日常的に使われているが、どこまでが刑法上の罪に問われるのか、その境界の判断は専門家でも分かれている。刑法185条に定めるところは、賭博をした者は50万円以下の罰金とあるが、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、犯罪は不成立とされている。また1項では、常習として賭博をした者は3年以下の懲役となり刑が重くなるが、単純な賭博は、刑法の中でも最も軽い刑罰である。


  賭博行為は民放90条にある公序良俗、すなわち公の秩序と善良な風俗に反する法律行為だから認められないとなる。国民の射幸心を煽り、勤労の美風を損ない、経済活動への影響を避けることと、副次的な犯罪を防止することにあるともいわれる。それでは毎日、パチンコ屋で過ごして生活費を稼いでいる人は、これに該当するのではないかと思われるが、パチンコは競輪、競馬、競艇、宝くじなどと共に法律で保護されているから問題ないという。

  賭博罪が成立する条件として、当事者双方がともに損をするリスクを負担することがある。だから、ゴルフ大会やビンゴゲームでの景品は、当事者の一方が景品を用意するだけで、負けても損を生じないから賭博には当たらない。ただし、何でも金銭を賭けたら賭博罪となるようだ。サイコロ、花札、マージャン、ゴルフ、パチンコなどすべてについて言える。プレー代、夕食代などを賭けても直接金銭を賭けてはいないから、常識的な範囲では認められる。


  賭博の背景には偶然性に賭けるということがある。有価証券取引、保険、宝くじ、競馬、競輪、競艇、オートレース、お年玉付き年賀はがき、サッカー籤、懸賞などすべて、偶然性がその背景にあるが、これらはすべて法律で認められているから、賭博ではない。こうして見ると、賭博罪については行政の恣意性が感じられる。野球賭博もサッカー籤と同じようにすれば、問題はなくなるみたいだ。リスクと言う言葉は日常的に使われているが、危険性と言う意味ではなく、蓋然性と言う意味だ。つまり確率的な考え方が背景にある。


満州とはどんな国だったか(2)

2012年10月03日 11時18分42秒 | Weblog
満州とはどんな国だったか(2)

日本の満州支配はじまり

   この時の日本軍の働きぶりを評価した英国は、1902年の日英同盟に向かう事になる。マクドナルドは、その後、日本駐在公使となった。満州は清国が支配していたが、義和団の乱に乗じて、ロシア軍が居座り、どんどん侵略を続けて、事実上ロシアの支配下となってしまった。北国のロシアの基本的な政策は南下であり、このまま、満州から朝鮮半島にまで支配を進める気配まで出てきた。清国も日本も何もしなければ、朝鮮から日本にまで乗り出してくる事が予想された。

*満州写真館 大連(1)

*満州写真館 大連(2)

*満州写真館 大連(3)

  これに対して、自存自衛のため、日本は大国ロシアに戦いを挑む状況に陥った。日本は事前に清国に通告して、満州でロシアと戦うと断っている。1905年に戦いに勝って、満州からロシアを追い出して清国に返した。1895年の下関条約で、大連や旅順のある遼東半島は日本の管轄となっていたが、ロシアは独仏を誘って、同半島の返還を要求した。日本はこの三国干渉を涙を飲んで受け入れた。この事もロシアに対する敵意を高めていた。ロシアは旅順に難攻不落の要塞を構築した。1904年の秋から冬にかけての要塞攻略が日露戦争の最大の戦いとなった。司馬遼太郎著の小説「坂の上の雲」に詳細に描かれている。

   1905年のはじめに多くの犠牲を払いながらも旅順をおとして、その年の5月には東郷平八郎艦隊がバルチック艦隊をせん滅して戦争は終わった。同年9月にボストンの北にあるポーツマスで講和条約が米国の斡旋で開催された。日本はロシアに対して韓国への指導権を認めさせ、旅順と大連の租借権をロシアから取り戻し、満州における鉄道の支配権を得た。これにより、日本は満州におけるかなりの支配権をロシアに認めさせた。その他、日本は樺太南半の割譲も得たしかし、賠償金は獲得できないなど講和の内容に対する国民の不満が高まり、東京では暴動が発生した。→日比谷焼打事件


税制に対する無関心

2012年10月02日 10時24分16秒 | Weblog
税制に対する無関心

税金に対する意識
   教育、勤労、納税は憲法26条、27条、30条に規定されている国民の三大義務である。この中で最も意識されない納税について考えてみる。給与の銀行振込みが普及しているから、給与明細を毎月手にしても、あまりよく見る人はいない。見たとしても税金が多いことをぼやくぐらいであろう。要するにサラリーマンにとっては、毎月納税していると言う意識は低い。


  日本以外の先進国では給与所得者の源泉徴収とか年末調整はない。年度末に支払う税金は新入社員から社長まですべての人が毎年、個々に確定申告する制度を取っている。確かに、日本の制度は余計な手間がかからなくて楽であるが、その分だけ税金に対する意識、即ち節税とか税金の使われ方に関する感覚は低くなる。これこそ歴代の日本の官僚たちや為政者が目指してきたことである。


   源泉徴収とか年末調整とか言うシステムは、ナチスドイツの制度を導入したことは知られている。日本では戦争費用を効率よく集める手段として、1941年の太平洋戦争を始める直前に導入されたという。国税の規則によれば、給与所得者は所得税をとられていても、納税している相手は勤務先であり、単に税というカネを天引きで負担しているにすぎない。


   日本の法律の全ページを100とすると、そのうち80は税法と言われている。要するに税金に関する法律は複雑怪奇であり、一般国民には分からないようにできている。これも為政者の狙いのように思える。そして所得税に関する法律はしばしば改定されている。最近だと、殆どのケースは給与所得控除を引き下げる企みが潜んでいる。要するに増税である。ここではサラリーマンはもっと税金に対して、意識を払うべきとだけ申し上げておく。

*三木義一著「サラリーマンのための所得税入門」光文社新書 \760.


満州とはどんな国だったか(1)

2012年10月01日 10時28分13秒 | Weblog
満州とはどんな国だったか(1)

満州との日本の関係

   1868年の明治維新後、日本は1894年に清国、1904年にロシア、1940年に米国といずれも巨大国家を相手として戦った。常識的には、勝てそうもない相手と喧嘩をするはずがない。闘わなければならない理由があった。何もしなければ日本は独立を維持することができない瀬戸際まで追いつめられた自衛のための戦いであった事は明白である。これら3つの戦いで、焦点となっているのが満州の存在だ。

*満州写真館 旅順


   朝鮮半島は清国の属国として200有余年も支配され続けてきた。そうなると日本に対しても清国が手を伸ばしてくることが明らかだった。そのために日本としては朝鮮が独立国家として頑張ってもらうようにするのが最善の方法だった。日本の宣戦布告書には、朝鮮を独立国とせよ、これに手を貸すのが日本だと書いてある。清国の布告書には、朝鮮はわが属国だから、日本は手を出すなと書いてある。1895年に日清戦争が終わると、独立して大韓帝国が誕生した。朝鮮半島に介入したのではなく解放したのが日本だ。

   日清戦争で清国の弱体ぶりを見た欧米列強は中国の分割に乗り出した。独、仏、英、露が各地に租借地を作り権益の確保に努めた。米国は中国へは直接にこなかったが、ハワイを合併し、フィリッピンを領有した。これに対して中国本土では、1900年に西洋化に対する排撃運動がおこり、これに便乗して清国は列強に宣戦布告した。義和団の乱と北清事変と言う。北京には10カ国の公使館があり、自衛のために各国合同の義勇軍が作られた。英国のマクドナルドが全体を指揮したが、実際に戦ったのは日本が主体だった。ロシアはこれに乗じて大部隊を派遣したが、ろくに戦わないで、そのまま満州に居座ってしまった。他の国もそれぞれ軍を残したが、日本軍は義和団を制圧したら、さっと引き揚げて帰国した。


執着と諦観

2012年09月30日 11時04分32秒 | Weblog
執着と諦観

脱同一化療法

   就職活動に失敗して自殺する学生が増加していると言う。先生がたにとって、これほど胸が痛む話はないはずだ。「努力すれば必ず報いられる」とか「諦めずに頑張れば必ず報われる」とかいう言葉がある。けれども現実は、いくら努力しても頑張っても成果が出ない事のほうが普通で、報われる人は少ないと考えるべきだろう。日本人は一般的に粘り強くて努力家と呼ばれる。しかし、余りにこれに固執すると、そのことで心を追い詰めることもある。

   

   バブル崩壊後の20年で、株価、GDP、人口、給与、お小遣いなどすべて、伸び悩み、縮小してきている。個人がどんなに努力しても、解決できるわけではない。就職だけでなく、結婚、昇進、老後なども頑張っても効果は余り期待できない。さまざまな苦しみの中で現実と折り合い、焦りや苦しみを抑えて前に進む方策を見つけなければならない。


   高度成長期を努力して生きてきた団塊の世代以上の人たちには、なかなか諦めという概念を肯定することができないか苦手な人が多いようだ。諦観とか諦念と言う言葉がある。これはありのままを受け入れる意味と辞書にある。現実をあるがままに受け入れて、受け止めて、柔軟にしなやかに対処する生き方みたいだ。草食とかいう言葉があるが、これこそまさに、大切なものを残して、若者たちの物欲へのこだわりを切り離す生き方だ。


   うつ病の療法として脱同一化と言う方法がある。これは諦めきれないという自分の気持ちを受け止めながら、一歩引いて物事を考え直す方法だ。努力してもうまくいかないことは、なるようにしかならないと思いながら、どうしても譲れないものだけには、最後まで拘りをみせることだ。

*諸富祥彦著「人生を半分あきらめて生きる」幻冬舎新書 800円


厚黒い術

2012年09月29日 11時09分39秒 | Weblog
厚黒の術
厚黒学
   日本には厚顔無恥と言う言葉があるが、それに近いものが厚黒というようだ。毛沢東もこれを学び実践した。面の皮が厚くて腹黒いことを信条として政治を行うことをいう。荀子の性悪説は「人の性は悪なり、その善なるものは偽なり」という主旨だから、この思想からの流れであろう。厚黒であれば成功し、不厚黒では失敗する。
  


  厚黒学は清朝末に生まれ、太平洋戦争末に死亡した学者、李宗吾(1879~1944)が創作したものという。「面の皮は城壁より厚く、腹は石炭よりも黒く生きよ」と言う思想が儒教道徳の裏に隠されていた中国4000年の成功哲学だった。三国志の登場人物などから、実例が紹介されている。

   魏の曹操は「人を裏切っても、裏切られることはない」と豪語して、周りの人や妻子まで殺して平然としていた。蜀の劉備は有力者に頼りながら、成功したら自分の手柄とし、困ったときには泣きついてでも、物事を有利に進める才能があった。その他、越の勾践は呉王夫差に敗れたら、すべて投げ出して許しを乞うたが、逆になった時には絶対に許さなかった。

  中国とは国交回復40周年を迎える。ODAで総額7兆円もの援助そしてきたが、そのことは当然と思っていることだろう。国連総会で日本を盗人扱いする厚黒の隣の国との関係を良好に保つには相当の覚悟が必要だ。


所有からレンタルへ

2012年09月28日 10時12分07秒 | Weblog
所有からレンタルへ
レンタル世代
 最新の国勢調査による総務省のデータによれば、4人に3人が戦後生まれとなった。戦前生まれのうち、昭和生まれが21%、大正生まれが4%。明治生まれが0.1%となっている。すでに戦後生まれの団塊の世代が65歳を越えて、定年を迎え年金族の仲間入りをする人が急激に増加している。




 

   石油ショック前後に生まれた人たちが60歳になる2030年頃には、果して安心して年金をもらえる状態になっているのか不安要素があるから、おそらくこの世代を境にして、物事の価値観が大きく変わってきているものと思われる。アラサーとかアラフォーとか言う言葉で代表されている人たちの生活と意識を詳細に分析することは、大学の卒業研究の絶好のテーマでもある。

  それ以前の世代を農耕民族型の定着世代とすれば、それ以降の世代は騎馬民族型の移動世代となっているように思う。定着型では、結婚して車とマイホームを持つことを個人生活の価値観としていた人が多かったが、移動型では、モノを所有するという概念が薄く、すべてレンタルで済ませて、カネがあるのなら生活をエンジョイすることに使うことになる。


  ここ10年くらいのスパンで物事をざっと見れば、まずは独身者の増加、結婚年齢の高齢化、車は必要な時にはレンタカーですまし、住まいは貸しアパートという傾向が顕著になっている。こうなると政府がいくら補助金をつけてエコカーやマイホームを購入しろと叫んでも、残念ながら彼らには効果は少ない。これからのIT産業やビジネスは、このレンタルを意識する事で伸ばす事ができそうだ。



*http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1150.html 人口の推移

*http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2008np/index.htm 人口ピラミッド


バブル世代入社組

2012年09月27日 09時43分52秒 | Weblog
バブル入社組の現在

   一般にバブル景気の期間は1986年12月から1991年2月までの4年と3ヶ月と言われている。日経平均株価を見てみると1989年末から暴落している。この相違は、地価の暴落が株価のそれより遅れて来たことが理由にあるのだろう。全国市街地価格指数では、バブル景気の終わる頃とそのピークが一致している。1988年4月に大学を出て入社した人は、現在、45歳前後になっている。バブル期入社の1期生だ。これから3年間に大学を出た人も、すべてバブル入社組だ。
   

   バブル期の卒業生には入社試験などはなく、誰でも大学を卒業したら、どこかの企業にはストレートで入社できたらしい。というのも、筆者はちょうどこの頃、ある企業のNY事務所勤務で日本にいなかったので、バブルと言う事を身をもって経験していない不幸な時期にいた。銀行や証券会社が理工系の卒業生を大量に採用したので、製造業では理系の優秀な人材が採用できなくて困ったと言う話は聞いた。



   入社での苦労をしていないし、十分な社内教育も与えられなかった彼らも、40~45才前後の人生で最も重要な時期に差し掛かっている。企業にしてみれば少なくとも管理職のポストを用意しなければならないが、リストラに次ぐリストラで、新しいポストができるどころか、ポストそのものが少なくなっている。酷な言い方をすれば不良債権みたいな存在になっているらしい。


   バブル崩壊後になると、急に採用試験が難しくなり、就職氷河期が到来した。厳しい就職戦線を勝ち抜いてきた後輩たちは、滅私奉公タイプの働きものが多い。然しながら、企業にとっては、がん細胞のように膨らんでいるバブル組に頑張って、新しい道を探してもらわないと、この不況下を生き残る道はない。会社の運命を左右するという意識を持って、日本経済の再建に邁進してもらいたいと考えている。