小説『生活小説』

『生活小説』の実戦・実戦版です。半分虚構、半分真実。

(33) スリーアウト。1

2004年11月22日 | 小説+日記
 高橋は目を閉じる。息を深く吸って、ゆっくり吐く。
 再び目を開けると、自分が、電車の中で、つり革につかまっていることに気付く。さっきまでの、激しい頭痛は治まっている。窓の外を、景色が流れていく。杉山美香が、高橋の服の袖を引っ張りながら、「大丈夫?」と聞く。ああ、だいじょうぶ。ちょっとめまいがしただけで、べつに、なんともないよ。とりあえず、新宿で、服と本を買って、それからバスにでも乗って、海のほうにでも行こうか。高橋君、そんなに無理しちゃっていいのかな、と杉山美香は言ってみるのだが、高橋がその気になっているなら、多少、無理させちゃえ、高橋君が優しいときなんて、滅多にないんだから、と思う。

 高橋と杉山美香は、デパートの中の書店で、英会話の勧誘につかまっている。もしよかったら、いまから、ご一緒に教室のほうへ行きませんか? そこで、かるくテストを受けてもらって。すぐ終わりますよ。授業も体験できますし。かるいものですから、どうですか、お二人でいらっしゃれば。高橋と杉山美香は顔を見合わせて微笑む。
 はい、ここまでは、営業用のトークでした。美香、じゃあ、後から、また連絡するね、ちょっと遅れるかも知れないけど、いいよね。英会話の営業の女性は杉山美香に軽く合図する。ほらね。ユキちゃんでした。高校の同級生。杉山美香は高橋にささやく。随分、君も顔が広いね。そりゃそうよ。ただ、ぼーっとしてたわけじゃないもん。

 なんだか眠い。なら、寝ちゃいなよ。バスから見える夜景も結構いいもんだね。いいから、いいから、高橋くん、寝ちゃいなよ。ああ。

 ユカリのナイスバッティング! 略して、ユカナイ。栗山っち、もう一球。たのむぜ、ど真ん中へストレート。へいへい、栗山っち、ビビるなよ。ほーら、ほらほら、ユカナイ。
 ユカリちゃんにはかなわないなあ。いやいや、たいしたことないっス。ちょっと調子に乗ってたっス。ユカリちゃん、これからどうする? おっといけない、バイトの時間が近付いてるっス。あ、ユカリちゃん、まだパン屋で働いてるの? いいじゃん、今日は休んじゃえ。だめっス。わたし、パン、好きっスから。結構、責任感強いんだなあ。せっかく会えたのに。申し訳ないっス。じゃあ、送ってくよ。あ、ありがとうございます。
 栗山っち、優しいな、優しいな。でも、わかってますよ、栗山っち。そんなにたやすくバイト先へは送ってくれないってことぐらい。ばればれっスよ、栗山っち。ほらきた、国道。ほらきた、怪しい建物。ほらほら、車、入ってくよ。やっぱ、栗山っち、やってくれるねえ。

 午後6時を過ぎるとすっかりあたりも暗くなり、ネオンはちかちか輝くのだけど、高橋君はスースー、寝息を立てちゃってるし、バスは揺れるし、私の化粧はうまくのってない。