ポンコツ野郎の独り言

職業は後々公開します。それまでは、現職までの自己紹介として文句たれが独り言をタレときます。

転落の兆し

2024-09-06 11:49:00 | 日記
母親が認知症に罹患した。

この時から、また徐々に転落し・・・掛けただけかな?

勝手にしてた休日出勤、ストップかけられた。

年収の上がる要素が打ち消された。

2016年が過去最高の年収。

年間の休日は10日も無かった。

カネを稼ぎたいから、勝手に休日出勤しただけだから、決して会社がひどい訳じゃない。

それでも、年収は485万円しか無かった。

2017年に、勤務体制が変更。

レッカー業もしてたから、年中無休。

でも、会社の公休日は日曜祝日のみ。

これが、各自シフト制に変更となった。

私、独身だったので平日の休みに固定された。

その方が良かったから、拒否はしなかった。

でも、休日出勤が減ったので、給料は激減。

なんとか奇跡的に450万円はキープしたけど。

毎月、手当の付く案件の数に一喜一憂してた。

件数が多ければ手当額が増える。

少なければ、その真逆。

ド素人に近いヤツに30万円出してくれるだけマシ?

いやっ、やっぱりカネに困りたく無い。

毎月、一喜一憂の繰り返し。

家のローンに加えて、祖父宅の解体ローンもある。

何かバイトでもしようか?

真剣に考えたけど、スポットバイトなんてロクでも無い業種ばっかり。

だから、節約して生活することに。

但し、母親には真逆なことを言い続けた。

夏は、エアコンを使い続けたさせた。

「クーラーの電気代、メッチャ安いから気にしたらアカンで。」

冬場は暖房ばっかりさせた。

暖房代って、メッチャ高い(涙)。

「電気代、毎月3万円で予算組んでるさかい、気にしたらアカンで。」

そう言って、安心して貰った。

もう、生活の中心は母親に合わせた。

公休日のご飯、母親優先。

昼間は、母親がお気に入りのスーパーで弁当を買った。

500円チョイする割には、かなり豪勢だから。

イオンの弁当なんて、貧相に見えたもん。

夕御飯は、そのスーパーで売ってる最高値のお寿司。

これに、季節の魚の刺身と缶ビールを味わって貰った。

過保護なマザコン息子(笑)。

でも、週に1日は節約生活からの解放日。

何でもメリハリが必要やもん。

だから、給料下がったけど幸福度は上昇(笑)。

そうやって、頑張った2017年。

兄と妹は、帰省して来ず。

認知症って伝えた瞬間、疎遠街道を爆走しやがった。

それでもね。

母親との2人暮らし、意外と楽しかった。

むしろ、愚兄と愚妹なんて帰って来なくても平気になった。

人間って、みんなで協力し合って生きていく動物。

でも、平成末期や令和の時代には合わないんだろう。

それが分かったから、帰省して来ない2人相手にイラつか無かった。

家族っつうても、そんなモン。

母親から見たら、たとえ息子が一人だけになっても寄り添うのみ。

ホント、マザコンチックな考え方(笑)。

まあ、自己満足やもんね。

人間の考え方やって。

そう思いましょう。

 







母親の認知症

2024-09-06 04:39:00 | 日記
前兆、あったらしい。

ただ、当時は全然気付かなかった。

介護福祉士の妻と付き合うようになって、初めて知った。

最初の前兆、2017年10月。

母親と愛知県へ旅行に行った時だった。

二人暮らしになってから、毎年旅行に行ってた。

ご当地グルメを堪能し、温泉でのんびりと。

その温泉に入られなかった。

「ドアが開かへんから、入られへんかった」

「あのな、ドアって押すか引くか横にスライドするだけやで。もう一回行ってみいや」

結局、ドアが開かないっつう理由で入浴しなかった。

夕食を堪能して貰い、好きなアルコールも飲んで貰った。

翌朝、男女入れ替えで僕がお風呂へ。

ドアって、横開きタイプだった。

ああ、ホント後悔。

仲居さん呼んで、ドアを開けて貰ったらよかったのに、しなかった。

翌月。

仕事をしていたら、母親とから電話が入った。

「車を車庫に入れへんから、入れに来てる欲しい」

当時は、スズキ・アルトが愛車。

急いで一時帰宅したら、道路を塞ぐ形で放置。

幸いにも、奥は行き止まりの所だったので、ご近所さんには迷惑掛けてない。

「たまたま調子が悪かったんやろな」

この時、母親は71歳。

それで片付けてしまった。

翌月。

公休日に夕食を食べる時だった。

公休日って、ご飯は特別(笑)。

2階から降りてったら、母親から一言。

「◯◯(私の名前)も呼んであげ。皆で一緒に食べよや

「じゃあ、オレは一体誰がやねん?」

何も気にせず笑い飛ばした。

1週間後。

またまた同じシチュエーション。

夕食の時間に降りて行ったら・・・。

「◯◯(私の名前)の分が足りひん」

流石に2週間連続はヤバい。

無言で2階へ上がり、作業着に着替えて降りてった。

「おはよう、寝てたわ。」

「おはようさん。」

この時、初めて気付いた。

認知症になり始めたかもって。

さっきも言ったけど、まだ71歳の母親。

物凄いショックやった。

翌日、会社の親しい先輩に相談。

「ストーブとか処分しとき。火事のリスク高すぎるわ」

ファンヒーター、慌てて処分した。

125ccバイクも廃車にして、母親が運転していたアルトを私が使うようにした。

ガスレンジも、IHキッチンに変えたった。

40万円弱も要したけど、実家を失ったことのある私。

もう二度と、家は失いたくなかった。

3月。

当時住んでいた地域では、名の通ったと言われてた認知症対応の病院へ。

検査をして貰った結果は・・・。

「腰痛が痛かったから、息子さんを他の人と勘違いしたんでしょうね」

「オレも腰痛持ちやけど、人の勘違いなんかしたこと無いぞ!ええ加減なこと言うなや!このヤブ医者が!」

人生で初めて、医者相手にヤブ医師言うたった(笑)。

薬も何も出なかったから、そのまま放置。

今度は幻視が出始めた。

すでに家出していた男親なのに

「オッサン帰ってくれへんさかい、追い出してや」

なんて言って(涙)。

もうアカン思って、従姉妹叔母に相談した。

奇跡的に、その旦那さんの友人のお兄さんが、市立病院で脳神経内科してるって。

2017年6月、再度診察へ。

母親、メッチャ嫌がった。

「こないだ認知症ちゃうって言われたんや!病院なんか行かへん!」

玄関で、思いっきり尻を蹴飛ばしたった。

ホンマはアカンで、親に手えなり足なり出すのは。

でも、母親のことを思って・・・。

アカンなあ、こうやって自己肯定に走ったのは。

なんとか連れ出して、従姉妹叔母夫婦と4人で市立病院へ。

検査の結果、レビー小体型認知症と判明。

しかも、このレビー小体型認知症って進行が物凄く早いって。

皆さんも御存知でしょうが、認知症を治す薬なんて無い。

あるのは、進行を遅らせるだけの薬のみ。

母親の人生、まだまだこれからって時なのに、一気に絶望的な状況に追いやられた。