ポンコツ野郎の独り言

職業は後々公開します。それまでは、現職までの自己紹介として文句たれが独り言をタレときます。

底辺からの脱出

2024-09-01 07:46:00 | 日記
多分、2013年が底辺から脱出できた年だと思う。

実家を捨てる際、ホントは会社を辞めるつもりだった。

それを、当時の社長・・・私の男親のマブダチに言いに行くと、何故か反対された。

「僕が居てても、雑用をこき使うだけでしょ?それやったら僕、ここに居る意味なんてありませんから。給料だって、上がる見込みの無い所に居る意味、あります?」

そう、正直に言った。

「レッカーでもしてみるか?レッカーしたら、稼げるぞ」

そう言われてしまったから、踏み止まった。

年末から、レッカー部へ移動。

日曜日、出勤してレッカー出動したら手当が貰える。

だから、引っ越した12月23日以外は休日出勤するようになった。

本当なら、各日当番の人が対応する。

しかし、案件が重なったら依頼を断るしかなかった。

それを、私が拾い集めた。

待機中は、経理部の手伝いとして伝票入力した。

一気に流れが変化した。

2013年2月の給料。

毎月20万円の給料だったのが、手当として10万円近く加算された。

人間って、実に単純。

頑張れば給料に反映されると知ったら、もっと頑張れる。

府営団地へと引っ越した後、毎週休日出勤して稼ぎに稼いだ。

この年は、様々な事が生じた。

6月には、祖母を93歳で失った。

お祖母ちゃん子だったから、通夜・告別式で一人泣きに泣いた。

9月には、妹が結婚して出て行った。

実家を失った時に、アドバイスしたから。

「母親の面倒は見るから、お前は嫁に行って幸せになれ」

いざ出てったら、寂しかったけど。

これで、母親と二人で団地暮らし。

ある日、帰宅したら買い物帰りの母親がゼーゼー言って寝込んでた。

5階建ての5階部屋。

エレベーターなんて無い。

67歳の母親には辛い生活。

その姿を見て、決断した。

「戸建住宅を買おう」

2013年11月。

37歳目前で決意した。