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あやしい日記!

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ロバート・ゴダード (Robert Hutchings Goddard)

2006-11-10 22:26:41 | ねずみ
ガソリンは液体酸素と混じりあい、燃え始めた。ロケットは飛び上がり、大気をつらぬいて上昇した。短い時間のうちに燃料は使い尽くされたが、ロケットはさらにのぼり続け、頂点に達してから落ちた。
 これは、どこで起こったことなのか。1950年代に、ケープカナベラル(今のケープケネディ)で起こったことなのか。
 いや、そうではない。これは、マサチューセッツ州オーバーンの、雪におおわれた畑で起こったことである。日付は、1926年3月26日であった。この日、最初の液体燃料ロケットが天に向けて打ち上げられたのだが、この実験を行ったのは、ロバート・ハッチングス・ゴダードという科学者だった。
 ロケットはわずか60メートルしか飛ばなかった。速度も、時速100キロほどにしかならなかった。が、この実験は、ライト兄弟がキティ・ホークで行った世界最初の飛行機テストと同じくらいに重要なものだった。けれども、だれひとりとして、この実験に注目しなかった。ゴダードは、独力でアメリカのロケットを作り上げたのだが、一般の人たちには知られぬままで死んだ。
 ロバート・ゴダードは、マサチューセッツ州ウースターで1882年に生まれた。彼は1911年にクラーク大学で理学博士の学位を受けた。プリンストン大学で教えた後、1914年にクラーク大学に戻った。そして、ロケット工学の実験を始めた。
 1919年、ゴダードは、ロケットの理論に関する69ページの小さな本を書いた。それは「超高空に達する方法」と題する本であった。それに先立つ10年ほどのあいだに、ツィオルコフスキーというロシア人が同じような論文を書き続けていた。奇妙なことに、ロシアとアメリカとは、すでにそのころからロケット工学の分野で競争していたのだが、どちらの国民もそのことに気づいてはいなかった。
 理論を実際化することでは、アメリカのほうが早かった。1923年、ゴダードは、燃料としてガソリンと液体酸素を使う世界最初の液体燃料ロケットのエンジンをテストした。そして、1926年には、自分でつくった最初のロケットを打ち上げた。かれが、そのロケットの横に立っているところを、彼の妻が写真に撮った。それは、約1.2メートルの高さで、直径は15センチほどだった。全体が、こどものジャングル・ジムに似たワク組みに取り付けられていた。これは、ケープカナベラルの巨大なロケットたちの、おじいさんに相当するものであった。
 ゴダードは、やっとのことでスミソニアン博物館から数千ドルの研究費を受け、研究を続けた。1929年7月、かれはマサチューセッツ州ウースターの近くで、もっと大きなロケットを打ち上げた。それは、最初のロケットよりも、さらに高いところまで飛んだ。もっと重要なのは、このロケットに気圧計と温度計と、その2つを写真に撮るための小さなカメラとが積んであったことだ。それは、計器を積んだ世界最初のロケットであった。
 しかし、そのとき、ゴダードは、ごたごたに巻き込まれた。かれは、そのころからすでに、「気ちがい」だという、ささやかな評判を立てられていた。「月に到達できると信じている」というのだ。これは、かれにとっては、苦痛であった。なぜなら、彼は自己宣伝をひどくきらい、主として上層大気の研究に興味を持っていたからである。
 この2度目のロケット実験の結果、かれは警察に呼び出された。警察は「マサチューセッツ州内では二度とロケット実験はしてはならない」と、かれにいいつけた。
 さいわいなことに、ダニエル・グッゲンハイムという慈善家が、ゴダードにいくらかの資金を出してくれた。そのおかげで、かれはニューメキシコ州のさびしいところに、実験場を開くことができた。ここで、かれは、もっと大きなロケットを作り、数多くのアイデアをテストした。それらのアイデアは、いまも、あらゆるロケットに使われている。たとえば、かれは、適切な形の燃料室を設計したし、ガソリンを超低温の液体酸素といっしょに燃やすことによって、急激な燃焼のさいにも、燃焼室の壁を冷やせるようにした。かれはまた、ロケットの気体から噴射される燃焼ガスのスピードを極めて大きくすることが、根本的な問題であることを、すぐに見てとった。
 1930年から1935年にかけて、彼はいくつものロケットを打ち上げたが、それらのスピードは時速885キロに達し、到達高度は2.5キロほどになった。かれは、ロケットの飛行方向を制御するためのカジとり装置や、ロケットを正しい方向に飛ばせるためのジャイロスコープなども開発した。また、多段式ロケットのアイデアについても特許をとった。
 しかし、アメリカの政府は、かれの研究に対して、一度も関心を示さなかった。第二次世界大戦のときにだけ、政府はかれに予算を与えたが、それは、航空母艦から飛び立つ海軍機の離陸補助用小型ロケットを設計するだけのおかねにすぎなかった。
 一方、ドイツでは、一団の科学者たちが、ゴダードの原理に基づいた大型ロケットを開発していた。そして、V2号ロケットを作りあげた。もし、それがもっと早く完成していたら、ナチスは戦争に勝ったかもしれない。
 戦争が終わってから、ドイツのロケット専門家たちは、アメリカに連れてこられたが、ロケット工学について質問されたとき、かれらは、驚いて目を見張った。なぜアメリカ人たちは、そのような質問をゴダードにしなかったのか、むしろ、かれらのほうがその理由を知りたがった。
 そのときは、もはや遅すぎた。ゴダードは、1945年8月10日、原子力の夜明けのころに死んだ。
 ゴダードの技術突破は、いま実を結び始めたところである。宇宙の征服が、人類にどのような恩恵をもたらすのか、まだ正確にはわからない。しかし、宇宙を征服することによって、私たちの知識はふえるだろう。そして、知識の増加は、ときには思いがけない方法で人類の役に立つということを、わたくしたちは知っている。ときには、知識の誤用によって人類が傷つけられたこともあるが、それは、人間のまちがいであって、知識そのものの誤りではない。
 ロケットの将来がどうであれ、それは、すべて、ゴダードの最初のロケットに端を発するものである。そのロケットは、雪におおわれたオーバーンの畑で、高さ60メートルまで飛んだ小さなものにすぎなかった。

「科学の壁を破った人たち」I.アシモフ著 より

偉大な発明や理論ほど、はじめは非実用的で、凡庸な人からは理解の得られないものであるということは、ロケットだけでなく、過去の多くの偉人たちとその歴史が証明している。





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