えもだれ

趣味を書くならgooブログ

まだまだヤンチャではな

2015-08-31 10:07:08 | 日記


同居して、孫の面倒を見ておられるおばあちゃんの方々???
本当に本当に本当に心の底からアタマが下がる。
絶対にわたしは、できそうもない。

孫に振り 王賜豪回され、娘婿に気を使い(娘婿も気を使い)、ついでに自分の夫もいる???
そんな、がんじがらめの日常生活???よく皆さん、耐えておられるなあと感心する。


わたしは、子育て時期には、優雅な生活とはきっぱり決別し、住まいも家具も衣類も、すべて子育て仕様に徹底した。
子どもが使って、どう壊れても傷ついてもいいもの、
「コラ!それは、高価なものなんだから、触ってはいけません」とは絶対に言わなくてもいいものばかりに、すべて換えた。
家も社宅や中古住宅。
すべての生活を、子どもに合わせた。
そうやって、子育てを終了し、無事、大人の落ち着いた生活を満喫できる日を手に入れた。

子育て期間中は、田舎の蔵に眠らせていた家具たち、それらを出してきて、さあ、これからは、充実の趣ある生活を楽しめる???
そう期待して、愛しみ続けた家具たち、家。
が、ちびっ子ギャングの出現で一転。いや、暗転。

一からデザインを描いた、思い入れたっぷりの家、内装???空間???
べったべたの手で、あちこち触りまくるわ、よだれがボトボトだわ???は、拭いたらまあいいとして、
家具や床の間を噛むと、剥げ落ちて歯型がくっきり。
床も、モノを投げたり、モノで叩いたり、引きずったりで、べこべこへっこんだり、傷がつき、雪平鍋のよう。

新築後、大事に大事に暮らしてきたのに???
涙、涙、涙???

娘は、「おばあちゃんは、孫より家具のほうが大事らしいで~」と言う。
「アンティーク路線で行けば?」とも。

古いものと、傷だらけのものは違う。
古いものを大切に使うのが、アンティークである。

孫は、ほんの1歳になったばかりなのでく、大人しい。
これが、どんどん成長していき、やがて一人が二人になり???あわわわ、あわあわ???。
想像するだけで、恐ろしい。
いっしょに、洗濯機の中に放り込まれたように、子育て大合戦に巻き込まれる図。

もともと、家や家具にこだわりがあるだけに、とても複雑な心境だ。
ぼろぼろで、そろそろリフォーム時期なら、なんの問題もな鑲牙いが、
新築以後、とても丁寧に使ってきている。

ババのわがままだとは思うが。
ぜんぜん、気にならない家で子守をするなら、どんなに気楽か。
そんなこと、言ってられないんだろうなあ???

「出来る限り、自分の出来ることをして子育てをサポートしたい」???との理想に燃えたキレイごと発言、
口から出任せではないはず???なのだが???。


しているうちは

2015-08-17 09:01:56 | 日記

密室で共通の知人(SNS内)の悪口を愚痴り合う、陰湿仲間とのやり取りが続いている。
建設的展開でもなければ、自然消滅でもない。
まだまだ、イキイnuskin如新キと続いている、この不思議。

今日、メールした内容は、ここ蝶ブログのちゃんとした記事になるほど、ちゃんとしていた。

SNS病についてや、心の病気について、心のメカニズムの分析、
現状を例に出しての解説、????

なかなか理論的で筋が通り、しゃきっとしていると自分ながらに自画自賛。
心理分析を専門とする精神科(あるいは、心療内科?)の医師の解説を半分ぐらいパクリながら、
自分の心nuskin如新の中を探り、深く掘り下げてみた。

「嫌いの心理学」

このタイトルで書くと、延々と書けそうだ。

だが、今日は、すでに陰湿仲間に起承転結入りで、メールを送ってしまったので、
自分のなかでの追及心は、クリア、こころ、すっきり。

陰湿仲間と陰湿やりとりを、蝶ブログをアップできないなあと、ちょっと、さびしげなわたし。
たった一人としかやり取りできない、密室会議では、日の目を見ない。

 

他人の不幸は蜜の味。
人間には、邪悪な妬みのこころが潜んでいる。
それを自分の胸のうnuskin如新ちに感じ、わざわざ文字にして、やりとりする???なんて???
これも一種の自己陶酔なのだろうか。


あんまりブログとか

2015-08-11 15:28:13 | 日記

おそらく全力を出し切っていない(出し切れない)から、相手に攻められても、へらへら笑う余裕があるのだろう。
「あ、やっぱり? わたしの文章、わかりにくいです美麗華投訴からね~」、と、ど素人だけに、自分に非があるように感じてしまう。

ばっさばっさと斬っているのは気持ちいいが、自分に軸があるのはいいが、
それ以外は、すべて否定するというのも、いかがなるものか。
驕りがあるように感じる。
せめて、自分と違う価値観が存在するという認識にとどめるわけには、いかないのだろうか。

まあ、わたしの場合、謙虚というよりは、省エネの結果、
「あ、はい、そこ、抜けてます。できてません、いえ、やってません」と、自分を甘やかす材料に利用しているところがある。
そこ美麗華投訴が、素人なのだろう。自分に甘く、他人に甘い。

と、素人をいい言い訳に、なんでも自分が楽しむ方向に持っていってしまう。
いいじゃないの、素人で。
と思いつつ、まったく理解できない素人軍団もあり、それは、理解を超えるし、今後も理解できないだろう。
あたらず、さわらず、棲み分けして、不可侵で、お互いのテリトリーは守って、楽しく暮らしたいものである。

追記
人は、完璧なんてないと思っている。
良い面があれば、悪い面もある、表裏一体、一長一短。
デキる人間が、自分は「能ある鷹は、爪を隠す」ことを意識した瞬間に、臭ってくる。
デキて、なおかつ臭わない人間は、書かないような気がする。
(書いても、ぜんぜん面白くない可能性がある)

デキないから臭わないか、デキて臭うか、どっちかだ。
あら、わたし、どっちかしらん???
自分では前者だと思うが、私の文章は、そうとう臭う、と指摘する人もいる。
この場合、デキないくせに臭うとい王穎う最悪のパターンであると予測する。

デキて臭わないようになるには、マザー?テレサに弟子入りしないと無理だろう。
もう彼女はいないので、現存の???○△□さんに師事し???うんぬんかんぬん???
その気も無いのに、文字数だけ増やしてみました。


ばほっそりした

2015-08-04 15:15:58 | 日記


時間が、香りのこともできるが、なんだか夏な風の中に隠して詩采花入韵で葉を境に読んで、平仄感応、百なくなった。

この季节、ハスの花が満小池だった。朝の光詩琳の中に、一人で于清风を見に行くの荷を連れていかなくていい多く、だけで1粒の鳴き声をすればよい。見ると、満池碧の葉、近くで見ると、みえ餘波湖面、写されての素颜、例え女が、軽油の上品で、風に流れているのに、誰が言葉は、一枚の最も美しい絵巻だったのだろうか。私は爱の爱のきれいで、様々な出で立ち清潔ではなくて、更に爱が彼女の心の中のその请教、风で雨に行き、縁によって、はじかれたように、私は縁だった。

八月にもかかわらず、燥热終わろうと、たまに雨、上から大切には雨后、すべてが口を閉ざして、まるで私の心、は多すぎるにを、、そんな时、夏は良い日だった。真っ白に糸を、スギタ窓瑠璃を皮切りに、花树と日差し、耐え忍ぶ简単で、本を一山(诗心てみることができる。

清涼剤の光阴は、あの禅詩、春は百花秋に月が、夏は凉しさを冬は雪が繰り返されれば、無暇だことをかけますが、心は季節。世の中の良い千类の仕方であり執念深さ、静かに、成就を胸のは好きで、相対的に天荒地老、私の选択歳月だった。时间の贈与を詩琳受けた、私のが深い毅然とした姿だった。

はいつも、月日が落ち、日々がジェーンかつジェーンになった場合、できるなら、私が煩ひけるをコースで、読んでのを巡る結び目、种类沈丁花を修理している竹、木陰の下で悠々と、见て潮风に思って、本にのページをめくっていを嗅いクチナシの花が咲く香り、味わってみ蘭の静かさせ、心は阳射しの下での伸びやかたりなど、軽やかだったりなど、拈一割れ落花の芳しさを取り、漆黒のような(緑の、草木闲情で飼ってのおもてを保とうかな魂、こういう時間は、清涼剤の美意だった。

禅意を愛してきた文にかつ裏切るようににノファ、寂寂」、例えば清風月白を吐露した。ルーブル夏、続く耐えがたい猛暑となっており、確かに、拈ペンのやえらかで、そのしてを楽しむを=ごしている。闲から読の中のあの言叶を、蒹たらを白く、白露は霜、いわゆるdisc、在水一方が目の前に浮かんだ美しいだろう、且つ照れた女子、夜明けに入ってきて、ぼんやりとし詩琳たをれたりして。