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散歩のコースはどこですか

79歳の老人です。2年前まで現役で仕事をしていましたが、今は、趣味の
囲碁と読書と旅行などのほか朝の散歩が楽しみです。

伊達藩の延命は政宗から

2018-10-28 11:32:11 | 日記

先日はの23日は、一日中仙台市内の名所旧跡を見学した。青葉城恋歌に出てくる広瀬川を挟んで

沢山の公園があり、杜の都と言うように、緑が多い、住みやすい所であると感じた。この町を

作り上げたのが、かの有名な伊達政宗である。瑞鳳寺を見学してきずいたが、写真のような伊達政宗の

墓と道を挟んで2代目と3代目の墓である感仙寺と善応寺が同様に豪華絢爛な廟としてたてられている。

伊達藩は、伊達政宗が豊臣秀吉が北条の征伐の小田原攻めの時、有名な白装束で十字架を背負って参戦して

許された政宗の時代にはじまる。領国の会津地方を没収されたが、その後の関ヶ原の戦いでは、徳川側に付き、

徳川家康からは、62万石の大大名として東北一の藩となっている。しかし、3代目に入るころには外様大名は、

国替えや縮小などを徳川が実施している。伊達藩の場合は、3代目がすぐに江戸へ隠居し、4代目の子供に

譲っている。このため62万石は維持され、徳川が大政奉還するまで、続いている。このことは、3代目までは、

豪華な墓であるがその後の墓は、現在の石の墓にかわっている。このことは、青葉城の天守閣を取り壊し、

できるだけ目につかないようにして、延命をしてきた伊達藩の知恵ではないかと思った。写真の馬上の伊達政宗

の銅像の姿がこのことをものがたっている。


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