散歩のコースはどこですか

79歳の老人です。2年前まで現役で仕事をしていましたが、今は、趣味の
囲碁と読書と旅行などのほか朝の散歩が楽しみです。

中国の改革開放は日本の指導を受けてのスタートなのだ

2019-06-27 08:57:15 | 日記

今日は、30分早く散歩にでかけた。歩きはじめは、朝の風は涼しく、快適で

あったが、帰る頃には、暑くなってきた。やはり、これからは、早めの散歩が

必要か。明日から、G20が大阪で開催されるが、来日する習近平の中国について、

述べたい。15年ほど前に友達の3人で、北京、西安、上海とツアーで旅行を

したことがあった。このころは、改革開放が軌道に乗ってきたころで、あちこち

に建物が建築され始めたようで、あったが、上海の郊外をバスで夜遅くに、通った

時に、建物には、電灯をつけているのは少なく、外に出て、暑さを避けている人か、

まだ多かったように思う。しかし、現在のテレビなどの報道を見ると、その発展の

凄さを感じる。私どもが、旅行したころには日本がまだ世界第2位のGDPであった

が、今は追い越されてしまった。天安門事件が話題になったが、その後、改革開放

の路線へ移行し、それまでの政策をいっぺんさせて、計画経済から、自由主義国家

と同じく、自由競争経済と切り替えてきている。その政策を推進した、人物こそ、

鄧小平であるが、まず、日本に、調査団を結成してその自由経済の実態を調査する

ことから、約80社の企業を視察している。この最初に訪問したのが、君津の日本

製鉄工場であり、この最新鋭のシステムに驚き、自国の遅れを素直に認めて帰って

いる。その後、日本のコマツからの技術援助がスタートで、その改造にとりくんでいるが、

日本からは、技術者が中国の自動車エンジンの製造工場を見たときには、その生産性

の無さに、驚かされたそうである。それは、不良品と破棄品の区別もなく、改善

しようとする気持ちがなく、買ってくれる所が、自分の所以外には中国ではないので、

不良品が多く出ても、問題としていなかったのである。そのため、プラン、計画、チェック、

行動(PDCA)、の方策を指導し、中国の人と、一緒になって指導したのである。

そのことで、生産性が2年で倍になったそうである。これを切っ掛けとして、中国の

各企業はPDCAを導入して、生産性を揚げ、行くことになったのであるが、この

調査団は、ヨーロッパの各地の企業も視察しているが日本をモデルにしたのは、やはり

、日本が戦争に負けても、いち早く、経済を立ち上げたことや、アジア同胞として

友人としての謹慎感があったことなどがあげられようか。日本にも、土光氏、稲山氏

大平氏などや田中角栄総理などの中国を助けた人を忘れないでほしいものだ。このこ

とを習近平の現在の上層部は承知しているのであろうか。

 


ホルムズ海峡のタンカー襲撃の犯人はどうして見つからないか

2019-06-24 10:56:16 | 日記

最近の報道では、トランプが北朝鮮だけでなく、中近東のイランなどに関して発言する

記事が一面を呈していた。つい、1週間まえには、ホルムズ海峡での日本の商船

が、何者かに襲撃を受けて火災になったとの事件があった。乗務員はすべて避難し、無事

であったが、犯人は明らかとなっていない。日本の犯罪を見ると障害事件などでは、犯人

はすぐに判明するが、このような、政治の絡んだ国際間の事件の場合は、どうして、犯人

が、判明しないのであろうか。商船に乗っていた乗務員が、逃げているのであるから、船

を襲撃し、爆破した犯人を知っていないはずはないとおもうが。アメリカ側は、イラン

の革命防衛軍の仕業と言っているがイラン側は、アメリカが仕組んだものだと反論して

いる。このように、戦争になるケイスは、このような報道のやり取りから始まるものだ。

例えば、良い例では、日本が、昭和12年に起こした盧溝橋事件が挙げられる。

中国の北京西南部の盧溝橋付近で、演習中の日本軍に対して、十数発の射撃があった

とのことで、中国軍との戦争が開始されている。この射撃があったが、その犯人は、日本

側は、中国軍だと主張して、戦争に入って行ったのであるが、後には、日本側が仕掛け

た行為であったことが判明している。このように、戦争の開始は、些細なことから始まる

ものだ。安倍総理が、イランとアメリカが仲直りすることの調停出かけた矢先のことで

日本政府も、困っていると思う。しかし、戦争が、このような、些細なことから起こらない

ことを祈るばかりである。

 

 


 


 

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紫陽花は日本の象徴か

2019-06-21 09:38:53 | 日記

今日は、朝から梅雨のどんよりとした天気であったが、雨も降らず、多摩川の

下流の公園を回っての散歩であった。途中、写真のように、季節の花の紫陽花

が咲いていたので撮って来た。紫陽花と言えば、紫と青と赤とピンクの色と思って

いたが白い花がどうして咲いたのか、不思議に思い調べた。白いいろは、アントシアニン

と言う色素を持っていない品種で、決して土の土壌によっては、変化しないとのこと。

花の色は、土壌のヘイハーによって変化することは知っていたが、酸性は青色、アルカリ性は

赤色と、その濃度によって、途中の紫やピンクになるのだ。しかし、意外と近くで青色と

赤色が共存している場所も見かけるが、土壌の変化は如何に多いのかと思う。

紫陽花の歴史は、奈良時代に、日本の原産の花で、万葉集にも出ているように

、令和の名前の象徴ともいえる。この花は日本人に愛されたが、1000年ほどの間

忘れ去られ、ほとんど人気のない時代が続いたにもかかわらず、江戸時代に入り、

(三十三観音めぐり)などで記載されているように、広く知れ渡り、その後の花の

改善工夫で現在の美しい紫陽花が、全国的に栽培され、現在に至っている。その代表的

場所は、関東では、鎌倉の長谷寺であろう。

 


レジ袋の有料化に思う

2019-06-19 09:32:47 | 日記

今日まで、梅雨の合間の天気が続いている。明日からは、梅雨の全線が北上して

来て、本格的な梅雨に入るようだ。今朝も快い早朝の散歩から帰って来たところである。

最近の話題として、6/28から行われるG20の議題として上がっておるレジ袋の有料化

についての感想を述べたい。多分、2020年4月から、世界のすべての国がこの制度

を実施することになるだろう。しかし、このレジ袋いくらにするかは決まっていない。

例えば5円とすると止めて手提げを持っていく人がどの位になるか判らない。この値段

を決めるのはその制度を実施する国によって決められるだろうが、実施してみなければ

判らない。むしろプラスチック製のものに変わるエコな自然にやさしい製品の開発を

推進することが大切に思うが。でも、この制度を実施することで少なくとも、無駄な

レジ袋が減少することは間違いないと思うが。海洋資源を守るためには、それと合わ

せて、世界的に塵の分別や不当な廃棄を阻止する制度と合わせて、リサイクルの推進

をおこなうことが大切に思うが。

 


鮎釣りの解禁が今年も来た

2019-06-17 11:30:52 | 日記

今日は、朝に、多摩川の下流の睦橋の近くの土手を散歩していたら、鮎釣りの解禁

になり、多くの釣り人が川の中に入り、竿をたらしていた。昨年も、多くの釣り人

が、同じように、この場所で釣りのために、集まっていたのを思い出す。やはり、今年

の解禁日を待っていたのだと。私は、このような川の中に入って辛抱よく、魚をまつ

ことができないが、趣味の人は、このようなことが我慢づよいのであろう。

帰って来てから、昨日に大阪で起こった駐在署の警官拳銃強奪事件の犯人が

捕まったと、テレビでの報道で知った。子供達の登校も中止になるかと心配

していたが、早朝に捕まって良かったと思う。6/28日からのG20の会合が実施される

のに、この状態が続いていたら、日本の治安の安全が失われたと思われるのではと心配

していたが、早急に逮捕できて良かった。しかし、香港のデモの凄さはすごい。

やはり、中国に牛耳られることへの反発は、全市を揚げての抗議とおもえるが???

 

 

 

 


公園整備ありがとう

2019-06-14 09:30:47 | 日記

梅雨期なのに昨日からは、打って変わって涼しい春晴れの天気がつづいている。多摩川

に面した公園は、福生市が整備しているが、今日も朝はやくから、写真のように、

覆い繁った草を草取り車や人力で刈り取っていた。年間に渡って、整備しているが、

生えてくる草木がその勢いはすさましい。ほったらかしていると身の丈ぐらいに、生い

茂って来る。歩いている道が、そのままにしていると、多摩川の流れが見えなくなる

ほどになる。この整備人達の仕事は、尽きないと思う。この人達には高齢者が多い。

このようなしごとには、健康のためには、最適かもしれない。上流を歩いていると

国土交通省の実施による低水護岸工事の看板が目に入った。聞くところによると

戦後に、横田基地がベトナム戦争に使った枯葉剤をこの多摩川の土手に、埋めた

とのことであり、この枯葉剤の影響がどうであるかを、鑑定するために、一部

掘り下げて、土を分析しているとのこと。戦後の混乱の時代のなごりが現在も

残っているのだと思った。

 


モンゴルよ塵の山は相撲の力で処理しろ

2019-06-09 08:56:55 | 日記

昨日から、関東は梅雨に入った。今日は雨でも傘をさして散歩したが、やはり

歩くのが困難だ。昨日のテレビで、モンゴルの塵の山を見た。モンゴルは、

星と草原の綺麗な国と思っていたが、イメージが変わってしまった。10年前rm4

の頃では、ウランバートルの町の郊外は、草原で馬に乗りに行く、日本からの観光客が

多く、私の兄も、毎年行っているが、こんなに変化して来たのかと思う。

この国は人口が350万人ほどの小国ながら、首都のウランバートルには、その他

の半分の人口が、集まり、急激に建設ラッシュとなり、草原に遊牧していた人

たちが、周辺に、テント村を造り、労働者となって住むよう来ているようだ。

しかし、この町での生活で使われる不燃ごみや古くなった電化用品などが、

処理する設備を設けるゆとりもなく、このような塵の山なっているのだ。

この塵は、何も、モンゴルだけでなく、東南アジアでも、現在わだいとなって

いるが。この塵の山をなくすためには、住民が日本でおこなっているように

塵を分別すること制度と合わせて、焼却炉やリサイクル場などを建設して、

処理するための努力が必要である。このためには、大相撲で、日本に来て

いる横綱や多くの相撲取りがその資金や支援により改善すべきである。

すでに、相撲取りで、モンゴルに帰ってから政治家になり、国のために

活躍していると聞いたことがあるが。


ブログの一年目にあたり閲覧者への感謝

2019-06-06 09:13:05 | 日記

今日は、雲一つない青空の天気に恵まれ、今、朝の散歩から帰って来たところです。

6月に入って来て、途中で見た紫陽花が梅雨期を知らせてくれるが、一向にその気配

がない。メールを開いたら、丁度、(ブログを書き始めて、一年になりますよ)との

記事に交じって2018年06月04日に書かれた記事が添付去れてきていた。

懐かしい、一年の間、見てくれた読者の皆さんに感謝するしだいである。これからも

元気であれば、続けるぞ!との励みになった。ところで、昨日からの報道で、また、

高齢者の交通事故が、福岡の町で起こってしまった。交差点の前で、最初に接触事故

を起こしたときに、ブレーキを欠けるところをアクセルを思い切り押してしまった

ようだ。この時、慌ててしまい、そのままの状態で押しっぱなしで足を離さなかった

のではないか。そのため、100キロ以上のスピードで、逆走行路を走り、次から

次に対向車と接触し、700メートルほども走り、やっと交差点の正面の建物に激突

して止まったとのこと。81歳の高齢者が運転していて、乗っていた奥さんともども

亡くなっているので、はっきりした原因は判らないが、何と、高齢者の運転による

交通事故が多いことか。私も、高齢者での運転には、十分に注意をしているが、

認知症や運転に当たっての注意力の低下が多くなってきたことは、否めない。

このためには、認知症には、このブログを書くことで、昔を思い出すことなど

による努力と毎日の朝の散歩は欠かせないと思った。

 


人の住む環境はどうしてこうも違ってくるのか

2019-06-02 09:36:18 | 日記

まだ、梅雨にはいっていないのか、早朝の散歩は、涼しくて歩きやすい。今日は、

多摩川の下流の方へ向かって歩いたが、遊歩道の道で、草とりをしているボラニティアの

3-4人ほどに逢った。これは近所の人達が、自分達の町を綺麗にしようとする

気持ちの持っている集まりから生まれたものであろう。しかし、これと比較して

川崎の登戸での殺傷事件を知るにつけて、いかに環境の違いから、このような事件を

起こした川崎と言う気持ちの人物が発生するのか。両親が離婚して、伯父夫婦に

10歳頃から育てられたようだが、引きこもりの生活になり、家族と社会を断絶

して、会話がなく、このような生活を51歳まで続いたとは驚くばかれである。

高齢になって来た伯父夫婦が役所に、引きこもりのこの人物と同居していることを

相談したのであるが、その時期が遅すぎたようにも思える。30歳のころ、定職

に着かない頃に、引きこもりを相談する、場所があったら、このようなことが

起こらなかったのではないか。今の日本の世の中には、このような、不幸な環境

がひきがねとなって、ますます起こす事件が多くなってく来るようにも、思われる。

いくら、幼児、子供の送迎に注意を払っても、このような人を発生させない環境を

創り出すことの方が大切におもうが。